まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
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ポーランド王ヴワディスワフ2世妃 エルジェピタ

2015-04-03 21:59:36 | ポーランド王妃
王様ご乱心? な王妃選び
ヴワディスワフ2世妃 エルジェピタ・グラノヴシュカ


1372~1420/在位 1417~1420

家系図寂しぃぃぃ
         
アンナ・ツィレシュカを亡くしたヴワディスワフ2世は、サンドミエシュ連合の
ピリツァ領主オットンのひとり娘エルジェピタと再婚しました。
母親のヤドヴィカはヴワディスワフの名付け親です。

エルジェピタは12歳か13歳の時に父オットンを亡くし、広大な領地を相続していました。
噂では結婚を3回ぐらいしていて、二男三女のお母さんだったと言われています。
そのうちの2回は誘拐されたあげく結婚したということです。

いずれにしても、ヴワディスワフと結婚した時には
ナクロ城主ヴィンセンティ・グラノヴスキという人を7年前に亡くした未亡人でした。

ヴワディスワフはアンナを亡くした翌年の1417年、妹のモスヴィア公アレグザンドラを
訪ねたのですが、そこにエルジェピタがいたみたい、ひと目惚れ?
アレグザンドラの協力もあってか、その年のうちに結婚してます。

この結婚はポーランドの貴族社会でものすごい非難を浴びました。

65歳(55歳説あり)のヴワディスワフには、アンナが生んだヤドヴィカしか子供がいません。
ピァスト家につながる人でなくとも、もっと若い人と再婚して子供産んでもらわなきゃなのに
45歳の相手を選ぶってどうなのよ~! 後継ぎどうすんのっ!! ということでね。
もし王子が何人かいたら、老後はお二人で仲良く… なんて祝福されたいたかもね。

結婚から2年ぐらいしてエルジェピタは健康を崩し、1420年に亡くなります。
結核だったみたいですが、なんだかあまりにも急なので
「もしかして領地がほしかっただけ…?」なんて中世の陰謀的なことを考えてしまった…

でも世間の批判や憶測をよそに、実は二人の結婚生活は幸せなものだったようです。
エルジェピタはヴワディスワフの旅行や視察にも度々同行しました。
ヴワディスワフにとってエルジェピタは、政治のことなんか関係なく
本気で結婚したいと思った相手だったのかもしれません。
エルジェピタも王妃としてヴァヴェル大聖堂に葬られています。

近年の歴史家は、エルジェピタの最初の二度の(誘拐&)結婚はフィクションで
実際にはグラノヴスキが初婚だったと考えています。
また、生年も10年ぐらい盛られてて、本当は1382年生まれじゃないかと議論されています。
そうすると結婚した時には35歳だから、頑張れば一人や二人産めるかも…

当時の著述家たちが、下流から嫁いできた王妃を嫌って書いたものだと推測されます。
歴史上の人物の評価は、当時の政治的背景や著者の主観に左右されているものも多いので
うのみにしちゃいかん!! って、改めて思いますね。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとこと深夜番組コーナー
うちは二人とも帰りが遅い方なので、テレビつけたらニュース23かゼロからの深夜番組っていう流れになるのですが
『しくじり先生』がゴールデンにいっちゃうなんて~!ゴールデンにいくとだいたいつまんなくなっちゃうんだよね
コメント
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