まりっぺのお気楽読書

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スウェーデン王グスタフ3世妃 ソフィア

2011-09-09 23:08:30 | スウェーデン王妃
宮廷に多くのゴシップをもたらした王妃
グスタフ3世妃 ソフィア・マグダレーナ・アヴ・ダンマルク


1746~1813/在位 1771~1792

グスタフ3世といえば、王に即位してから自分でクーデターをおこして
王権を取り戻し “ グスタフ3世時代 ” という一時代を築いた王ですが
結婚生活は失敗に終わってしまったようです。

ソフィアはデンマーク王フレデリク5世とイギリス王女ルイーセの王女です。
      
5歳の時にグスタフと婚約し、未来のスウェーデン王妃として教育されました。
この結婚はスウェーデンの王家ではなく議会が決めたもので
グスタフの母ロヴィーザはずっと抵抗していました。

だ、か、ら… 1766年に結婚した後も、王グスタフ・アドルフには親切にされましたが
ロヴィーザには冷たい扱いをうけてしまいます。
パーティーの席でも、有益な話を聞こうと美しく若い女性そっちのけで
年配の女性と会話したという政治大好き!なグスタフはソフィアを完全に無視しました。
母后ロヴィーザはさらに二人の仲が悪化するよう助長していました。

美しくて、持参金もたっぷりあって、王妃に相応しい女性に育てあげられていたのに
なぜかスウェーデンでは不人気でした。 ロヴィーザの呪いか…

ソフィアも「とにかく将来は王妃」ってな感じで育てられていたので尊大さがあって
宮廷の人たちとは打ち解けなかったようです。
真面目でよそよそしい性格はグスタフとは正反対で歩み寄れなかったし
グスタフの取り巻きとも気が合いませんでした。

グスタフはソフィアが式典要員になってくれればそれでよかったのですが
ソフィアは賑やかで華々しい席が嫌いときています。
カール(13世)の妃ヘドヴィクによれば、ソフィアが公務をこなしている時は
嫌々人に会っているのがまる見えスケスケだったそうです。

ソフィアは極力自分の邸宅であるウルリクスダール宮殿に籠って
2週間に1度サロンを開き、たまに大好きな劇を観に行く以外は孤独を愛していました。
フランス式のドレスはこれ見よがしだから嫌いということで、英国式ドレスを好みました。

大人しく優雅で礼儀正しかったということですが、一方堅苦しく横柄で
グスタフは “ 氷みたいに冷たい ” と言っていたとか…

この夫婦、噂によると、結婚から9年後の1775年まで夫婦関係が無かったとかで
ヨーロッパ中の宮廷で物笑いの種になっていたそうです。
1774年にグスタフの弟カール(13世)が結婚したんですよね。
早速カールの嫡子が期待されましたが、グスタフも自分の嫡子を! と目覚めたようです。

噂って尾ひれがつくじゃない? この噂にも様々なおまけがついてまわりました。
グスタフが不能、グスタフがホモ、二人とも欠陥がある… といった具合です。

1778年にソフィアは待望の王子グスタフ(4世)を生みました。
1782年にはカール・グスタフが生まれましたが1年で亡くなりました。

でも、だからって安泰ではありませんの… もうおわかりですよね?
グスタフの父はグスタフ3世ではないっていう噂が大々的に広がりました。
父親はフルキラ伯アドルフ・フレデリクと言われています。

でも事実はちょっと違うようで… そっちもちょっと可笑しいのですけどね…
フルキラ伯はグスタフの教育係だった人で、なんと! 童貞と処女の二人に
正しいセックスの仕方を指南したということでございます。

グスタフも未経験~? かなり魅力的な人だったということですが?
それに若い頃から各国の宮廷に出入りしてますよ。
マリー・アントワネットには夜会まで開いてもらってますよ…
それなのに29歳まで何もなかったというのかい?
政治一筋ね、ある意味尊敬しちゃう。

なんでも呼び出されてどうやったらいいか実演して見せたらしいです。
これも噂としてかけめぐったのですが、人々はそっちを想像してまた大笑い!
どっちにしても、せっかくの王子誕生がいいようには受け取られなかったわけですね。

グスタフの母后ロヴィーザは「待ってました!」とばかりに
王子は庶子だと宣言し、二度とソフィアと口をきかないと決意して実行したそうです。
この件でグスタフ3世は、ロヴィーザに公式な宴会の場で謝罪させました。
これでさらに親子の絆が壊れることに…

ソフィアは変な噂にもロヴィーザの態度にも大きなショックを受けましたが
グスタフが庇ってくれたし、夫婦の中はしばし改善して幸せな時期を過ごしたようです。

1792年、グスタフ3世は仮面舞踏会の会場で暗殺されてしまいました。
貴族の権力を奪ったグスタフ3世には敵も多く、不満も膨らんでいました。
ポケットには暗殺予告の手紙が入っていたそうです。

ソフィアは隠遁して慈善活動に精を出し始めますが、なぜか喪服を着るのを拒み
これがまたまたスキャンダルになります。

14歳の息子グスタフ4世の摂政は義弟カール(13世)に任せて政治には関わりませんでしたが
グスタフはソフィアの要求はなんでも聞き入れました。

1809年にグスタフ4世はカール(13世)に追放されてしまうのですが
ソフィアはずっとスウェーデンにとどまり、その後ナポレオン時代にとってかわってからも
スウェーデンの自分の領地で暮らしました。
カール14世妃デジレ・クラリーに親切にした数少ない人々のうちの一人でした。
きっと異国で冷たくされることの悲しみがわかっていたからでしょうね。

ソフィアはスウェーデン王室史上最も悲劇的で孤独な人物と言われております。

(参考文献 武田龍夫氏『物語スウェーデン史』 Wikipedia英語版)
コメント (2)
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