こちらはイシュトヴァーン5世妃エルジェーベト
地味だけど幸せだったかもしれない・・・
ベーラ4世妃 マリア・ラスカリズ
1206~1270/在位 1235~1270
マリアの父ビザンツ帝国を追われた亡命国家、ニカイア帝国のテオドール1世です。
マリアはハンガリーとの同盟のために12歳でベーラと結婚しました。
ちなみにベーラも12歳…最初の王女は14歳で生まれてますよ!
完全な政略結婚でしたがお子様は8人生まれていますし、夫は名君だし
それなりに幸せな王妃だったんじゃないかしら?
エピソードがないのでわかりませんけど…
ベーラ4世は1270年に亡くなり、マリアもその2ヶ月後に亡くなりました。
異国情緒をもたらしすぎた王妃
イシュトヴァーン5世妃 エルジェーベト・クン
1239~1290頃/在位 1270~1272
ヨーロッパの宮廷では屡々オリエンタルな趣味が流行った時代もありましたが
エルジェーベトはやりすぎちゃったのね…それもそのはず、そういう生まれなんですもの。
エルジェーベトはトルコ人の血が流れるクマン族の族長クセンの娘です。
ベーラ4世時代、ヨーロッパの各地はモンゴル帝国の襲撃をうけていました。
国を追われたクセンたちはハンガリーに逃れてきましたが
ベーラ4世は彼らと戦うより手を結んでモンゴルに反撃しようと考えました。
クマン族はシャーマンの支配を受けていて、キリスト教からみれば異教徒です。
ベーラ4世は、彼らがキリスト教に改宗し、王に忠誠を誓うことと引き換えに
保護してあげよう、と提案しました。
エルジェーベトは同意の証しとして王子イシュトヴァーンと婚約しました。
たぶんふたりとも1歳ぐらいです。 気が早いったら…
しかし婚約期間中にモンゴルが攻めて来て、父のクセンは寝返らないように…と
貴族たちに暗殺されちゃいます。
ハンガリー王家も一時期オランダに避難しました。
1253年、12歳になったエルジェーベトは、同じ年のイシュトヴァーンと結婚します。
1272年、王になって2年しかたっていないのにイシュトヴァーン5世が戦死しました。
エルジェーベトは10歳の王ラースロー4世の摂政になりました。
イシュトヴァーン5世妃時代のエルジェーベトの記録はないそうです。
亡くなった年もはっきりしていませんが、1290年頃らしいです。
寂しいわね…あまり人前に姿を現さなかったのかしら?
で、エルジェーベトの失敗は子どもたちを異国情緒たっぷりに育てちゃったこと。
一応キリスト教に改宗していたものの、生まれながらの習慣はなかなか抜けませんよね。
特に長男ラースロー(4世)はとことん異国風にこだわったせいで
悲しい最期を迎えることになります…つづく
(参考文献 Wikipedia英語版)
地味だけど幸せだったかもしれない・・・
ベーラ4世妃 マリア・ラスカリズ
1206~1270/在位 1235~1270
マリアの父ビザンツ帝国を追われた亡命国家、ニカイア帝国のテオドール1世です。
マリアはハンガリーとの同盟のために12歳でベーラと結婚しました。
ちなみにベーラも12歳…最初の王女は14歳で生まれてますよ!
完全な政略結婚でしたがお子様は8人生まれていますし、夫は名君だし
それなりに幸せな王妃だったんじゃないかしら?
エピソードがないのでわかりませんけど…
ベーラ4世は1270年に亡くなり、マリアもその2ヶ月後に亡くなりました。
異国情緒をもたらしすぎた王妃
イシュトヴァーン5世妃 エルジェーベト・クン
1239~1290頃/在位 1270~1272
ヨーロッパの宮廷では屡々オリエンタルな趣味が流行った時代もありましたが
エルジェーベトはやりすぎちゃったのね…それもそのはず、そういう生まれなんですもの。
エルジェーベトはトルコ人の血が流れるクマン族の族長クセンの娘です。
ベーラ4世時代、ヨーロッパの各地はモンゴル帝国の襲撃をうけていました。
国を追われたクセンたちはハンガリーに逃れてきましたが
ベーラ4世は彼らと戦うより手を結んでモンゴルに反撃しようと考えました。
クマン族はシャーマンの支配を受けていて、キリスト教からみれば異教徒です。
ベーラ4世は、彼らがキリスト教に改宗し、王に忠誠を誓うことと引き換えに
保護してあげよう、と提案しました。
エルジェーベトは同意の証しとして王子イシュトヴァーンと婚約しました。
たぶんふたりとも1歳ぐらいです。 気が早いったら…
しかし婚約期間中にモンゴルが攻めて来て、父のクセンは寝返らないように…と
貴族たちに暗殺されちゃいます。
ハンガリー王家も一時期オランダに避難しました。
1253年、12歳になったエルジェーベトは、同じ年のイシュトヴァーンと結婚します。
1272年、王になって2年しかたっていないのにイシュトヴァーン5世が戦死しました。
エルジェーベトは10歳の王ラースロー4世の摂政になりました。
イシュトヴァーン5世妃時代のエルジェーベトの記録はないそうです。
亡くなった年もはっきりしていませんが、1290年頃らしいです。
寂しいわね…あまり人前に姿を現さなかったのかしら?
で、エルジェーベトの失敗は子どもたちを異国情緒たっぷりに育てちゃったこと。
一応キリスト教に改宗していたものの、生まれながらの習慣はなかなか抜けませんよね。
特に長男ラースロー(4世)はとことん異国風にこだわったせいで
悲しい最期を迎えることになります…つづく
(参考文献 Wikipedia英語版)