まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
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フランス皇帝ナポレオン3世愛妾 ハリエット

2009-08-07 00:14:23 | 王の寵姫・愛妾
未来の皇帝に貢ぎ続けて・・・
ボールガール伯爵 アン・ハリエット・ハワード


1823~1865/愛妾 1846~1852

ハリエットはイギリス人で、祖父がブライトンのホテルオーナー
父親が靴工場の持ち主でした。
でもちょっとお転婆だったのかしらね? 15歳の時にジョッキーのジェム・メーソンと
ロンドンヘ駆落ちして憧れていた女優になりました。

     
18歳でパトロンだった陸軍少佐マウントジョイ・マーティンと結婚しました。
子供も生まれて社交界でも人気者になり、しばらくは平穏な生活を送っていたみたい。

23歳の時パーティーで追放中のナポレオン(後の3世)に出会い恋に落ちます。
ナポレオンはさっさとハリエットの館へ引っ越して来て盛大なパーティーを催したり
豪勢なレストランに友人を招待したりの大盤振る舞いを繰り返します。
もちろん、お金の出所はハリエットです。
建前はフランスへ帰った時に皇帝になるための人脈づくりだったけど … どうかしら?
どんちゃん騒ぎが好きな人のようだし。
ハリエットはハムの監獄にいたナポレオンの息子も引きとって育てます。

ところで夫は~?
マーティン少佐はハリエットがナポレオンを愛していると正直に打ち明けると
彼女の気持ちを理解して財産まで与えて身を引いたらしい … なんてジェントルな。

1848年、2月革命がおこってルイ・フィリップが退位します。
帰国したナポレオンはハリエットの根回しのおかげで大統領に就任しました。
さらに彼女は、ナポレオンの皇帝になりたいという野望を叶えるため
キャンペーンやパーティーなど、相変わらず財政的な援助を続けました。
1851年、その甲斐あってナポレオンはとうとうフランス皇帝に即位しました。

するとどうでしょう?
ナポレオンは自分の身分に相応しい皇后を探し始めたじゃあありませんか。
もともとパリには以前ナポレオンと婚約していた強敵マチルド皇女がいましたが
本当の敵はスペインからやってきたウージェニー・ド・モンティホ でした。

ナポレオンがウージェーニーと婚約した時、ハリエットはナポレオンの諸用で
イギリスに行かされていて、新聞で婚約を知りました。
しかもフランスに帰ると家が荒らされナポレオンからの手紙が持ち去られていたらしい。
ひどい話よね…

結局ハリエットが使ったお金は返されて、ボールガール伯爵の称号ももらって
半年後には和解も成立したようですが、そういう問題じゃないのよね … 女心の問題なの。

イギリスに帰ったハリエットは馬のブリーダーのクラレンス・トリロニーと再婚しました。
これも夫の事業にお金を使われちゃって9年後に離婚し、その年に亡くなりました。

ハリエットは亡くなる前にパリを訪れ思い出の地を見て歩いたそうです。
オペラ座ではナポレオン3世夫妻の前に顔を出して嫌がらせと言われましたが
彼女は末期の癌で、最後にナポレオンの姿を見ておきたかったのでしょう。
彼女の遺言で遺産は少女救済施設設立に使われました。

              
                  こちらはお写真
                  社交界で人気者だった頃でしょうか?


金づるだったって思わされるほど癪なことって、きっとないわ!
お金持ちにはつきものの悩みなんでしょうか? 私には関係ないけど

(参考文献 窪田般彌氏『皇妃ウージェニー』
      ドーン・B・ソーヴァ『愛人百科』 Wikipedia英語版)

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コメント (1)
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