詩の現場

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詩と詞について

2015-09-16 | 小林万利子/Arimの詩と音楽について〜お知らせ
日頃から感じていることを抜きには、
自分の立ち位置や、"詞を書きたくなったよ"、
という気持ちを伝えられないのだろうな…、
と思いまして、少し書くことにしました。

日本語の現代の詩は、「現代詩」と言われるようになって
から、より言葉の難しい方向へ歩いていってしまい、
多くの市民権を得ているとは言えません。
現代詩がなくとも、皆生きていける…。
現代の詩の言葉が、同時代人の心の支柱になれてない、
ここがいつもとても残念に思えてならないところなの
です。
その代わり、ポップスをはじめ、歌の詞が心に
共感を呼び、勇気をもらったり、日々の気持ちの支えに
なったりしているのです。

例えば、日本の詩人で誰が好き?などと質問すると、
いまだに宮沢賢治や金子みすゞや、中原中也が出てきて
しまう、もちろん素晴らしい詩人に違いない、
だけど生きている時代が違いすぎるのです…。

PCや携帯、瞬時に情報が飛び交う時代、
人の苦悩や詩に書かれた感受性は共通かも知れないけれど、私たちに覆い被さってくる時代の感覚は異なります。
共感を呼ぶ過去の詩人たちが、もしこの時代に
タイムトンネルをくぐりテレポーテーションしてきたら、
別の形の今の時代にあった詩を書かれるでしょう。

また現代詩人といえばいつも谷川俊太郎さんとなりますね。谷川さんは本当に素晴らしい大詩人だと思いますし、
同時代であることに大きな喜びを感じます。
ただ絵や美術の世界と違い、詩の場合は、取り上げられる
詩人の層が薄いことも確かです…。
だから現代の日本に「詩」の力が弱くなってしまったのだと思っています。
優れた芸術家がたくさんいらっしゃるように、
たくさんの詩人が活躍できればいいと思うのです。

ところで過去においては、明治時代になり言文一致運動が
起こりました。
讃美歌の翻訳詩や上田敏の「海潮音」から始まり、
藤村、有明、露風などの詩人が、短歌でも俳諧でもない、
新しい自由な詩の形を模索していきます。
詩の言葉により、近代人の憂鬱ともいうような心の内面へ
下りていった時代のように感じます。

…そして、日本語の口語自由詩は、なんと言っても
萩原朔太郎が確立し、さらに日本語での詩的思考と
詩的表現を自由自在な次元に拡げたのは、
西脇順三郎の偉業だった、と思っています。
戦争の時代を経験したために、モダニズムは形を
変えざるを得なかったが、その後「荒れ地」を始め、
戦後詩を経て、60年代辺りからより実験的な詩の形を
とる現代詩が生まれていきました…。
それは時代的な意味があることだったと思います。
しかし平成の今、現代詩はいまだに難しい迷路を
歩いているように思えるのです。…

半面、異論も覚悟の上あえて言ってしまえば、
朔太郎、順三郎…の日本語詩への大胆な実験とも
言うべき跡を継ぎ、…日本語の詩の世界の可能性を
現代に拡げたのは、"歌詞"の世界だと、
私は思ってもいるのです。
果敢だし、実験的だし、共感できるし、さらに新しい
言語感覚や詩的思考を経験させてもらえる…
乱暴な言い方だけど、ユーミン、陽水、桑田さん…
そして心に響く日本の歌謡の詞が、人の心にたくさんの
花を咲かせているのです。
歌は多くの人の心を捉える。happyでもunhappyでも、
人の心には歌があります。
そんなより自由で、人の心に寄り添えるような歌の詞の魅力に惹かれます。
そしてより直接的に心に届く、時には"詞"の言葉となるものを書いてみたくなったのです。


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