詩の現場

小林万利子/Arim 「詩のブログ」 詩をいつも目の前に
小林万利子/Arimの詩とエッセイと音楽Arim songs

ある人への手紙

2015-09-16 | 小林万利子/Arimの詩と音楽について〜お知らせ
"種をこぼして歩く…"そんな比喩の似合う人から、
私は様々なインスピレーションを頂いたことがある。


ジブリの「もののけ姫」の中の、
シシガミが歩くそばから足元に花が咲き、
枯れていき…、という場面を思い浮かべました。
多くを語りかけてくる場面です。

とても美しくてはかなくて、生命というものの輪廻を
感じます。時は移ろいゆき、その変化こそが生命その
ものであると知るのです。

時の中で、消えていくものと生まれてくるものは
隣り合わせにあるものなのかもしれない。
そしてそれは、深い根で結ばれていると感じます。
詩が生まれてくる場所でもあるかと思います。

…詩とはいたるところにあるものだと思います。
とても大事なものです。
…詩は偉そうなものではないし、大袈裟なことでも
ない。いろいろな言葉として生まれてくるものです。
時代の中で、時にはメッセージ性を強めたものも
ありますし。詩そのものを手渡すものもある。

人が日々生きている日常は辛辣なものかもしれません。
でも、いのちを頂きここに生きているということは、
変えがたい素敵なこと。
そういうことって、わからなくなってしまうものです。
目の前にある小さな花を、
"ほらこんな素敵な花があるよ"って、
誰かに手渡してあげられるもの、それが詩でしょうか。
習慣のなかに埋没してしまうものを、生まれてはじめて
見たときのように、輝かせてあげられるものが、
詩の力でしょうか。そんなことを思っています。

詩作品は、その時その時の産物。
この「詩の現場」というblogは詩のお店のように思って
頂ければと思っているのです。
お店とは、"見せる"場所です。旬もの八百屋さんのようにです。…天候によったり、だから不出来もサービス品も
いろいろありますw。

よくお金にならなければ書かない、見せない、という詩人の方もいらっしゃいますが、詩自体は、そのようにお金に執着したものではないと思っています。
お金を頂く詩は、受注生産か、気に入って頂いた詩をちゃんとした形に整えてお渡しするときでいいじゃないかと私は思っています。
逆にお金を頂かなければ書かないなんてことは、詩にたいしては失礼とw。実際詩の場合は、参加費を払って発表する場合とか、或いは原稿料はありませんが1、2冊贈呈、が多いでしょうか。

…詩は、詩そのものであり、書き手は自分を通して詩を実現するだけと思っています。詩がうまく生まれ出れるように、産婆さん役でもあると思ってしまう…。

詩に対してのご意見は皆さん1人1人異なる立ち位置で書いているものだと思いますが、偉そうじゃないものが好きです。優しくって、凛として、美しくて。
そんな詩を、1篇でも書いていきたいと思います。
でも、詩の花はいろいろあり…がいいです。詩ですものね。詩は時の花ですから…。



ありがとうございます。応援してネ♪
にほんブログ村 ポエムブログ 現代詩へ
にほんブログ村

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。