詩の現場

小林万利子/Arim 「詩のブログ」 詩をいつも目の前に
小林万利子/Arimの詩とエッセイと音楽Arim songs

心映え、という言葉がある…

2015-10-10 | トークタイム
心映え、という言葉がある。
ある時に見せて頂いた心映えの美しさに、
その人についての記憶は刻まれる。
たいていのことでは覆されない。
人に対してどんなことができるか、
どんな時に何をしてあげられるか。

私が窮地に陥った時に、
人が生きていくことの深い視点に立ち、
いつかもう一度立てるような
愛に満ちた思いやりの言葉を頂いことがあり、
たぶん生涯私はその方の心映えの美しさを
忘れられないだろうと思う。

その美しい心映えは、その人が生きてきた中で
ご自分の心のひだに織り成した景色で
あったのだろう。
あのような紋様を私は自分の人生で織り込めるか
どうかわからない。

でも、いつか真似てみたいと思っている。
心映えの美しい人。
永遠に憧れる人の心の場所だ。



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メモリ

2015-10-10 | トークタイム
詩の言葉を通してしかわからないことが、
確かにあるのです。
だから、詩に惹かれている…。
絵も、そうだと思う。
誰かが描いたその絵があるから、
生きていることの痺れるような深淵に
触れることができる。



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祖国の記憶とは

2015-09-01 | トークタイム
"祖国とは、記憶のこと…"という言葉を知ってから、
ずっと、祖国という意味合いを考えていた。
日本人は血縁に連なる土地に住み、
日本人としての歴史を一つの国土に繋いでくることが
できた…。もちろん時の為政者の変遷の影響が
多々あったなかで。

だが、私達の国は継続されているし、
国民は亡国の憂き目にもあわないでこれたのだから、
"祖国"といわれても、あまりピンとこないというのが
正直なところだと思う。
外国に出た方は、日本を違った時間の軸で捉えて
こられたのかもしれぬが。

戦後70年経った今、私たち日本人は、
この国土で戦争を知らぬ時間を生きてきた。
素晴らしいことだったと思う。
だから、戦後生まれの私たちにとって、
祖国の記憶と言ったら、平和そのものなのだと思う。

国を失くした民族、国を追われた人たちは世界中にいる。
その人たちが、祖国を想うとき、何を心に浮かべるだろう。
今は失われて焼土と化した土地かもしれぬ…、
永遠にとっておきたい美しい山河の風景だったり、
家族との懐かしい時間の記憶だったり。

私たち戦後日本人の"祖国"の記憶は、
平和な世の中なのだと思う。
国土に70年間戦争が起きなかった。
毎年、広島、長崎の原爆投下の日に、平和の尊さを祈る。
それ以外に"平和"という言葉さえ、口にするのが不思議な程、平和な暮らしをしてきた。

ところが今、私たちは日常的に毎日、"戦争"という言葉、
"平和"という言葉を口にして、平和を願っている。
戦後の"戦争を知らない子供たち"だった私たちの子供世代、
…戦争を知らない第2世が、平和のためのデモに声をあげている。

祖国の記憶とは、平和を続けてきた国、
そして平和を手離さないと願う人々の心がある国のことだと、刻印されたい。
…連日のデモ、若者、母親たち、文学者、法曹界、弁護士、
ミュージシャン…日本人の心に根付いた平和を願う気持ちを、尊いと思わずにいられない。



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暗号の迷路で

2015-07-11 | トークタイム
何故、人間は心の中で、辛い記憶を
リフレインしてしまうのだろう。
歩いてきた途中に光が射してきたことを、
新しい記憶に刻み付けなければならない。

この世界は暗号に充ちている。
色彩や形は自然の言葉だ。
人の心に美しい織物のつづきが
織られていくために、
時々、暗号は言葉に生まれ
変わらないといけない。

人の心は美しい形、音、色彩、時間…
これらを翻訳した言葉によって
膨らんでいく。
だから、時々暗号の迷路で
進めなくなったら、
どこかから鳴り響く言葉を頼りに、
光漏れてくる方角へ抜け出なくてはならない。

森にたくさんの木々の葉が繁るように、
心に木漏れ日を浴びて風にそよぐ言葉が、
たくさん届き生い茂ればいい…。
言葉は人と人との間から生まれる宝物。
温かなものを伝えるために
言葉は生まれたいと願っている。
そんな言葉に力を借りて。


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届くか届かぬもの

2015-05-05 | トークタイム
人の世の淋しさを、
もののあわれにかえるなり…。
人は皆、届くか届かぬかわからない、
遠いものを想うものだなと思う。

人は、この世に生まれるときに、
離れてきたもの、失われたものが
あるのだなと思う。
どこかに置いてきたはずだから、
その記憶は微かに残っていて、
だから、遥かなものに、
届かぬ幻影に思いを馳せるのかなと。

人の世は淋しい。
生きることは淋しい。
誰もその人に代わって生きることは
できないのだけど。
…星の下に立ち、そんな一人二人が、
一緒に生きているのだとわかり、
ささやかな話などできることが、
なぐさめになるのかもしれないね。
文学や芸術に焦がれる理由も
そこにあるのかな…。
そして音楽はストレートだね。



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フィクションて大事だと思う

2015-04-12 | トークタイム
フィクションて大事だと思う。
文学とか芸術が必要。
現実とフィクションを客観視して
知ることが大事だと思う。
現実の中では真実というものは捉えがたい。
時としてフィクションの中に
真実は描かれるものだとも思う。

フィクションを享受して精神的な弾力を
培わないと、生きる日々が些末な意味に
がんじがらめになり息苦しくなる。
直情的に攻撃的になったり、
悲観的になったり1つ1つに
過敏になりすぎてしまう。
良いものに囲まれていても猜疑心に満ちたり、
現実に狂気が入り込んでしまったり。

もっと可笑しくて、情けなくて、
でも頑張ってしまったり、弱かったり
急に立ち直れたり、立ち直れなかったり。
緩やかな時間が無理であるなら
深度を持った時間の中で、
あぁ~、なんて暖かい目で理解して
許しあったり助けあったり。
人間てそういう振り幅の中で成長していると思う。
それは社会が成熟していくことでもあり。

登りは良いのだけれど、
談笑したり励まし合ったり、先に行く人を
仰ぎ見たり、人の息づかいも聞こえてね。
でも、坂道は登ると下らなければいけなくて。
…坂道を走って下って行ってはダメと、
小さな子供に声かけるんだけど、
そんな感じがする。
自分もみんな余裕がなくて。




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共通言語と共有言語…

2015-04-09 | トークタイム
共通言語と共有言語について
朝から、途切れつつ考えている…。
人にとって共通言語は、はじまる言葉。
共有言語は、拡がりと深度を持ち、
理解しあったり信頼関係を結んだり、
時間を越えて連続するダイレクト言語。

絵を見たり、詩を読んだり、
柔らかい部分に触れてくるものは
こちらの領域と思うが、
伝え合うためには
時々、言葉を変換しなければならない…。

…共有言語の海は広いので、
人は居合わせたお互いの居場所を確認すべく、
手に触れている魚を時々、
注意深く釣り上げて見せあうことが大事で、
そこに醍醐味がある。

…思いや行動は一人歩きを
してしまうものだが、
時に、共通言語の網を投げあい
言葉を大切に使うことで、
人は共有できる感覚を膨らませ
遊びあうことができ、
ホッと、親しみや信頼を
深めることができるのだろうね…。



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余白のリレー

2015-02-17 | トークタイム
余白や余韻というものを好み、
そこに流れる時間をいつくしみ、
物事の深淵を感じ取ってきた日本人の文化を
貴重なものだと思う。
四季の移ろいにもののあわれを
見てきた感受性…。
そこにはポーンと水なかに小石が落ちて
いく音を聞くような、鮮明な思考が
言葉なりの景色を連れて心に現れる。

自分の余白を、そして他人の余白も、
すぐに埋め尽くさなければいけないとも
いうような観念が、何だかここのところ
多いように感じられる。
…音楽のセッションのように、
より素敵なものを作りあげていけるのなら、
なんて楽しくて創造的な余白のリレーに
なれるだろうと思うが。

言葉は費やせば費やすほど
本当に思うことから離れていくことがある。
しかし大切なことは何とかその言葉で
伝えなければならない。
…余白を共有できるには、信頼感がなければ
ならないが、もし互いが理解しにくい関係で
あるならば、丁寧な言葉を尽くさなければ
ならないデリケートな時代であるなと思う。



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明けましておめでとうございます

2015-01-02 | トークタイム
新年明けましておめでとうございます。
2015年が、皆様にとりまして
素敵な1年となりますように
心からお祈りいたします。

今年も、いろいろな新しい詩との出会いを
お見せできればと思います。

「詩の現場」へお気軽にお越し頂き
どうぞ、ご高覧頂けますよう
宜しくお願い致します。



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今年も、一年ありがとうございました

2014-12-31 | トークタイム
今年も一年、「詩の現場」にお越し頂きまして、
誠にありがとうございました。

時代は変化していきますが、
生きる日々、いろいろな詩を書いていきたいと
思います。

この詩のブログは、私の詩のホームであり店であり…。
天候その他による作物のような、日々の産物にて、
今後もどうぞ、末長くご笑読頂けましたら幸いです。

…今年も、後僅かとなりました。
どうぞ来年が、平和な世の中が拡がるような
そんな幕開けの年となりますよう祈念しつつ、
皆様、良いお年をお迎え下さい。



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重層低音のようなひびきが

2014-12-31 | トークタイム
中沢新一さんの語録によく出てくること、
生のなかの死。生きることと、死んでいくことの
重層低音のようなひびきが、
どこか、心の底流に生きはじめたのかもしれない。
最近、生きていくことと、死んでいくことは
同義語だというふうに思えてきた。

人生を、自分探しの旅なんていう場合があるけれど、
それでは淋しすぎる。
人は、自分と自分以外のものに出会うために命を受けた。
愛するものに、どれ位本気で出会えるか…。
そこに意味がある。
一生をかける仕事でもいい、
人でもいい、
動物や植物でもいい、
夢中になって、激しい恋に落ちていくように
生きていく、死んでいく。
そんな人生がいいんじゃないか
なんて思うよ…年の瀬に。



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ふくらみ

2014-09-08 | トークタイム
人間の心には、相反するものなど
一方向ではないものが
つねに揺らいである。
だから、いいのだと思う。

私たちは、日ごろ
いろいろな人に会い
いろいろなものを好きになり
いろいろなことに傷つき
大切なものを見失ったりする。

そして、誰かを許して
誰かに許されて
絶望と夢をくりかえすように
生きている。

そんな時間のなかで
大切な心という袋が
複雑な彩色を帯びて
その人の色に
ふくらんでいくのだろうね。



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カナブンの風

2014-08-22 | トークタイム
…カナブンは、
飛行能力がとても優れているという。

先程、羽音を立てて、すごい勢いで
近づいてくるカナブンが窓枠に止まった。
陽が照りつける中、
風は待つものと思っていたところへ。

その羽(翅)は、
飛び立つために
風の波を起こすんだね。

美しいカナブンの写真・画像まとめ




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箪笥に軍服を見つけた日、

2014-08-15 | トークタイム
…30年近く前だろうか、
まだ健在だった祖母と母と一緒に、
古い箪笥の虫干しを手伝ったことがあった。
昔の着物類が、古色そのままにしまわれていた。
下から2段分には、引き出してみると
黄土色の何やら硬いものがでてきた。
父が戦争に行った時の軍服とゲートルだった。

平和な昼下がりだった。
なにか場違いのような気がしたのを覚えている。
なぜ家の箪笥に軍服がしまわれているのだろう。
素朴な疑問が頭をもたげた。
だが誰もそのことは口にしなかったので、
話を掘り下げることはためらった。

父は陸軍に所属し、中国に戦争に行ったと聞いたことは
あったが、それ以上の話は父の口からは続かなかった。
箪笥に軍服を見つけた日、
あの時、軍服の時代は過去であり、
日本にはもう似合わないと思った。
鮮烈に感じた私の育った時代との違和感。
その印象を、ずっと強く心に描いていたいと思うのだ。




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