学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

実践的指導力とは

2007-01-17 | 教育
教師に求められるものは,実践的指導力である。

では,実践的指導力を構成している要素は何であろうか。

実は,教師の実践的指導力とは,
これこれであるという確固としたものはないのである。

教師の指導力は,概して個性的なもので,
あくまでも生徒との人間関係のなかで
発揮されるものであるから,
どんなベテランであっても,
対象となる生徒の違いによって
指導力が発揮できたりできなかったりするわけである。

すべての生徒と円滑な人間関係を結べる教師など
存在しないのである。

一般的な人間関係を考えてみても,
だれとでも友達になれるなどというのは,
楽天的な過大評価に過ぎないであろう。

どんな生徒に対しても
効果を挙げることができる指導法などを喧伝する人物は,
多くの場合,
はなはだ教育的ならざる意図の下で
作為的に自分の実践についての過大評価を行っているか,
もしくは,
自分の指導力の限界に全く気づいていないかのどちらかである。

このように考えてみると,
教師の実践的指導力とは,
はななだ危ういバランスのうえに
成り立つものなのであり,
なにかのはずみで失われかねないものなのである。

ベテランのまともな教師なら,
必ずこのことには気づいているはずである。

よく生徒による教員評価というようなことが
あたかもよいことのように宣伝されているが,
一歩間違えば,この危ういバランスを
崩しかねないものなのである。

学校は,
心あるベテラン教師が,
素直な胸のうちを,
安心して表明できる場所であってほしい。

しかし,それもかなり難しそうである。


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4 Comments

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多様と問題教員 (Kimura Masaji)
2007-01-21 09:40:07
■「指導力不足」という概念がある。評価についてほぼ上の評価と外部としての生徒や保護者の評価をあわせながら「指導力不足」を測定し、最終的には免職をさせるというものだ。■私の経験してきた職場では、生徒も困り、同僚も困っているとんでも教員が何人か存在してきた。精神病だと思われるが、本人に自覚はない。あるいは、現在治療中だが、医師は教壇に立つことについてOKを出している。しかし、会議でもとんでも発言をし、延々と時間をとり、授業中にも奇行がみられる。■もっと極論すると、高校生が授業をやったとしよう。能力がある生徒はできるだろう。いや、一応やるだろう。そのときに、それが不適切であるという基準なり、尺度を私たちの現場は明らかにもっていない。■したがって、セクハラやあきらかに犯罪行為を犯すまで放置されたりする。多様は必要だ。しかし、問題教員を私たちはふるうシステムを必ずしももっていない。むしろ、多様を隠れ蓑にそうしたあきらかに問題な教員が放置され、生徒が被害に遭うことは少なくない。■私は多様の一方で、まじめでけなげでとんちんかん、と私がつねづねいってきている、微妙に常軌を逸した教員がまじめであるとき、我々の現場はまったくその区別を基準としても持たず、そういう教員が平然と生きていけるという状況が存在している。ここをどうかんがえたらよいのだろうか?
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学校にその能力がないという問題 (Kimura Masaji)
2007-01-21 12:30:48
ご意見をうかがいたかったのは、こういうことです。おっしゃるとおり、管理職や教員集団が対応できればいいのですが、君はこういう基準で、こういう根拠で「指導力不足」という認定をする基準が学校にはないと私には見えるのです。それこそ、犯罪まがいの行為まで待たなければ何もできない。それとmadographosさんがお書きになられた多様や、
「教師の指導力は,概して個性的なもので,
あくまでも生徒との人間関係のなかで
発揮されるものであるから,
どんなベテランであっても,
対象となる生徒の違いによって
指導力が発揮できたりできなかったりするわけである。

すべての生徒と円滑な人間関係を結べる教師など
存在しないのである。」

という認識にまぎれて容易に、認定できない。あるいは、同僚のこと、くわえて年長の同僚ともなると、その教員に対しておかしいとは、とてもじゃないが、いえないというような状況があるのです。ま、すくなくとも私の現場では。そういう問題はおありにはなりませんでしたか?
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Unknown (madographos)
2007-01-21 12:41:38
>Kimura Masajiさま。コメントありがとうございます。生徒も困り,同僚も困っている教員が実際に存在するとして,その学校の校長はその教員にどのように働きかけているのでしょうか。あるいは,仲間である教員集団は,その教員にどのように働きかけているのでしょうか。どのような教員が生徒にとって望ましいのか,教員相互の意見交換ができる環境が必要なのではないでしょうか。
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Unknown (madographos)
2007-01-21 12:49:37
>Kimura Masaji さま。コメントありがとうございます。年長であれ,年少であれ,「おかしい」といえないということは,その学校がその人の行動を認めたということに過ぎません。規準がないからといって,だれがみてもおかしいことにはおかしいと言えないような学校に,だれも子供を預けたいとは思わないでしょう。少なくとも,私の現場では,そのような問題は起こり得ません。
おそらく,私がこのエントリーで言っていることは,議論の前提が違っているのではないでしょうか。先生のおっしゃるような「おかしい」行動をする教員を擁護するつもりは全くありません。
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