教職の専門性というのはどういうことだろうか?
よくよく考えてみれば,
教えている教科の内容を
専門的に深く極めているわけでもなく,
誰にでもわかりやすく教えることのできる
十分な技量を備えているわけでもないし,
今後とも,それらが身につく気配もない。
ただただいろいろな雑多な仕事やできごとがあり,
それぞれに日々対処することが求められる。
そして,日常生活や子どもの成長に関する
ありとあらゆることを深くはなくても,
多少は知っていて,
その知識を使えることが求められている。
学校教師の専門性を考えるとき,
つくづくそれは,
スペシャリストの道ではないなと思う。
どこまでも,
ジェネラリストに徹すること,
それこそ,
教職の専門性と言えば言えるのではないだろうか。
よくよく考えてみれば,
教えている教科の内容を
専門的に深く極めているわけでもなく,
誰にでもわかりやすく教えることのできる
十分な技量を備えているわけでもないし,
今後とも,それらが身につく気配もない。
ただただいろいろな雑多な仕事やできごとがあり,
それぞれに日々対処することが求められる。
そして,日常生活や子どもの成長に関する
ありとあらゆることを深くはなくても,
多少は知っていて,
その知識を使えることが求められている。
学校教師の専門性を考えるとき,
つくづくそれは,
スペシャリストの道ではないなと思う。
どこまでも,
ジェネラリストに徹すること,
それこそ,
教職の専門性と言えば言えるのではないだろうか。
何しろ色んな症状の人が来て、色んなことを言う。
一応ゆっくり言い分を聞いて、それに見合った処方や専門医を紹介して・・・、時にはミニカウンセリングもして・・・。
教職は、息の長い進路指導でもありますしね。
スペシャリストよりもジェネラリスト、深い知識に裏打ちされた広い視野がないと、生徒のニーズ・親の要望にはこたえられないなと確かに思いますね・・・。
子どもから見て、30年選手も新規採用も全く同じ立場の「(教科)担任」として教壇に立たれることになるので、養成機関の大学では、「教職の専門性」を養うカリキュラムになっていなければなりません。
それが、指導案も書けない実習生が次々に送られると、「専門性」を育て、高める現場の教師への教育力も必要になります。
こういう責任を「忙しくて無理」という言い訳で逃れようとする人がいますが、そういう人にとっての「崇高な使命」とは何でしょうか。
教職の専門性には、教科以外に教育心理、学級経営など多岐にわたる分野の知識が必要とされますが、大学教育の現状はどのようなものなのでしょうか。指導要領の改訂が続く今日のような状況では、小・中・高の現場と同じように大学教育の場でも混乱しているのではないでしょうか。
政府は教育基本法改正などで教師に「自己責任」を押し付け、予算を必要としない「道徳」だの「愛国心」だのと、いかにも教育に力を入れているふうに装っています。しかし、学力低下、格差教育を進め、公教育をすっかり崩壊させて国家の存続を危うくしていることにいまだ気づいていないのです。
何千年という歴史の中で暗記科目に長けた「官吏」によって国家が腐敗していった「古い中国」を手本にした明治官僚制度を今も続けているわが「日本」。
学力低下しているのは官僚の頭の中です。
と、全く記事の内容とは関係のないコメント、すみません。