学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

授業を受ける姿勢

2009-02-25 | 教育
授業を受けるには
作法というものがあってしかるべきである。

授業の最初と最後には,
きちんと起立してお辞儀をする。

話を聴くときは,
きちんと先生の目を見て,
背筋を伸ばし,手を膝の上に置く。

話を聴くときとノートをとるとき,
作業をするとき,などなど,
動作にけじめをつける。

居眠り,私語,立ち歩き厳禁。

このような授業作法を早いうちから
叩き込んでおけば,
それだけで教室は崩れないし,学力は伸びる。

何も奇をてらうことはないのである。
昔から学校では当たり前とされていたことを
当たり前にやり続ければよいのである。

教師には,その教師の能力を超えた授業はできない。
教師の能力には限界がある。
優れた教師がいつも存在するわけではない。
だとすれば,学習者の側の学ぶ姿勢の有無,
それも外面的にはっきりわかる学ぶ姿勢の有無が,
授業の価値を大きく左右するのである。

つまり,大したことのない授業でも,
真剣に熱心に聴けば,学力は伸びる,
ということである。



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21 Comments

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全く同感です (ほり)
2009-02-25 00:59:15
こんにちは。
自分の思い出話ですが、私は小学生のとき、ことに低学年の頃は特に、登校前、毎朝、ほんとうに、もう毎朝、祖母(両親共稼ぎでしたので)から「学校の先生の話はちゃんとききなさい」と言われ続けました。思えば、それが学ぶ姿勢、授業を受ける態度の基礎作りの一部になったと思います。もちろん、学校でも、先生の話を聞く重要性を教えられましたよ。はずかしながら、私語で叱られたことだって何度もありますし。(傍迷惑な児童でした。)
私は、小学校で、実に実り豊かな教育を受けたと思っています。田舎のごくごくふつーの公立の学校ですが。
持って生まれた能力の割に勉強ができるようになったのは、その頃に培われた基本的な心構えのお陰だと思っています。
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教師の姿を見れば・・・ (kurazoh)
2009-02-25 01:02:55
授業力うんぬんよりも、そもそもそういう「作法」が徹底できる教師が少ないという点では、同じご意見のようですが・・・。
職員会議の教師の姿を見れば一目瞭然でしょう。
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Unknown (madographos)
2009-02-25 22:03:43
>ほり様。コメントありがとうございます。私も同じような子供時代を過ごしました。やはり昔から当たり前とされていることを当たり前にやっていくべきだと思っています。
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Unknown (madographos)
2009-02-25 22:05:32
>kurazoh様。決定的に異なるのは,私はこのような作法を徹底できる教師が少ないというような言及はしていないということです。
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教師の力ではなく (taketyann)
2009-02-25 23:06:03
私も入学して最初のころは、姿勢だのお辞儀だの細かく指導された覚えがあります。

小学1年の担任はまだ若い女性の先生でしたが、今のように話を聞かなかったり、走り回るような子がいなかったのは、やはり家でしつけられていたからでしょう。「先生の言うことは聞くものだ」という常識が存在していたおかげで、経験の浅い教師も子どもの前に立てたのだと思います。

そういった有形無形のサポートを抜きに、個人の力量だけで子どもを指導するのは、多くの教師にとって骨の折れることだと思います。だからこそ精神を病んで休職する先生が、毎年数千人も出てくるのではないでしょうか。
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Unknown (madographos)
2009-02-25 23:24:22
>taketyann様。コメントありがとうございます。「先生の言うことは聞くものだ」とする家庭の価値観に支えられていたということは,まったくおっしゃるとおりです。
今の教師の精神状態には,一種のねじれが起こっているように感じます。教室できちんと座って授業を聞くようしつける必要があると一方で思っていながら,一方で子供の個性や気持ちを尊重してやらなければならないと思っている。その両方の思いが同時に起こって,今ここで起こっている状況に対して,対処することに一瞬のためらいが生じる。その積み重ねが,秩序の崩壊を生んでいるような気がします。教師が普通に考えて普通に判断できることを,普通に行えることが大事だと思います。騒がしいときは叱り,秩序を乱す行為は制止し,不正は罰する。そこに子供の心の問題などを持ち込んで話をややこしくしないことがまずは大切なことなのではないかと思います。
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学習者としての資質がない教師が最大の問題では? (kurazoh)
2009-02-26 00:06:28
「教師の能力には限界がある」としながらも、なぜ「教師の力量不足が問題である」と教師が言えないのか。それが教師不信の最大の原因なのではないでしょうか。
「教師の精神状態」で逃げる姿勢を、子どもは辟易として反抗する、それを力で押さえつけることができる教師が「優れた教師」であるように表現する、そこに問題性を感じませんか?
文月さんのようにやさしい語りかけができないほど、この「根っこ」の問題の解決には困難さを感じています。
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Unknown (madographos)
2009-02-26 00:19:33
>kurazoh様。教師の能力には限界があるからこそ,教師の力量不足は問題ではないのです。というか,教師の力量不足に問題を帰結させては,教育問題は解決しないというべきでしょうか。kurazoh様は,教師の力量不足を指弾なさいますが,それが問題解決に少しでも役立つことがあるのでしょうか?
「教師の精神状態」以下の文章は,理解不能です。
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問題の根っこ (kurazoh)
2009-02-26 01:01:08
問題がないことにしようとする教師がいる以上は、解決する以前に、問題があることを明らかにしておかなければなりません。
指導力不足の原因は、まれに改善不可能な資質の問題もありますが、何が問題かが把握できていないことにあるわけです。
なぜ子どもが居眠りするのか、なぜ立ち歩くのか、なぜ私語ばかりしてしまうのか、なぜ内容が理解できないのか、そこに正対しない限り、学校への信頼は決して回復することはないでしょう。
「授業を受ける姿勢」がよくなれば、学力は上がります・・・授業を受ける姿勢がよい子どもの学力が上がっていない実態を無視して、学力不足を子どものせいにする、そういうふうに教育を語る教師の姿勢に問題の根がある・・・というのが私の考えです。
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Unknown (madographos)
2009-02-26 01:11:28
>kurazoh様。以前にも申し上げたことがあるかと思いますが,私が表明している以上のことを,ご自身の経験からあれこれ付け加えて解釈される傾向がおありのようで,閉口しております。ところで,kurazoh様は,学校改善の実効ある処方箋をお持ちなのでしょうか? 私は,内田樹氏の『街場の教育論』の考え方が,最も現実的で現場に即した処方箋だと思っております。
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