学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

先生の評価

2005-09-27 | 教育
先生は,ものを教える人である。

生徒や保護者が先生をプラスに評価するとき,
「いい先生」「すごい先生」「立派な先生」などの言い方がある。

以下は私の勝手なイメージである。
ご容赦願いたい。

「いい先生」という場合,
親しみやすく,子どもの気持ちに寄り添ってくれる
人格円満な先生というイメージがある。

「すごい先生」という場合,
なにか尊敬すべき優れた業績や
何か特別な手腕をもっている先生というイメージがある。

「立派な先生」という場合,
人格高潔で,
子どものために献身的に働いてくれる先生というイメージがある。

ところが,教え方の上手な先生は,
「教え方のうまい先生」としか言いようがなく,
なにか「先生」にぴったり一言であてはまる形容詞や形容動詞が
私には見当たらないのである。

もし,ぴったりくる形容詞があったら,
教えていただきたい。

ひょっとすると,
先生は,ものを教える人なのに,
ものを教える,そのことの卓越性は,
一般には,あまり評価の対象になっていないのではないか。

それよりも,教える技術以外の人格的な側面や業績などで
評価されているのではないだろうか。

ものを教えるという職業上の技術に長けていても
それだけでは評価されないとすると,
教員というのは因果なものである。

私の勝手な思い込みである。
ご容赦願いたい。

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4 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
能「張良」 (ほり)
2005-09-27 23:07:32
>>それよりも,教える技術以外の人格的な側面や業績などで評価されているのではないだろうか。



だから、張良は馬に乗っていた黄石公に、落ちた沓を二度はかせて、兵法の奥義を受けたのでしょうね。



昔の話ですけど。。
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Unknown (madographos)
2005-09-27 23:48:52
>ほり様。コメントありがとうございます。張良は,二度で黄石公に認められましたが,今の教員は,無限に落ちた沓をひろってはかせることを繰り返させられた上,奥義も何も得られないという境遇のような気がします。勝手な曲解ですみません。
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師匠の弟子の逆転 (ほり)
2005-09-28 19:28:17
先生の解釈、今風で、実におもしろいです!

なぜなら、本来は張良が弟子で黄石公が師匠なのに、イマドキの先生は、先生の方が、まるで弟子の張良のように、生徒の沓を拾って、「良い先生だ」と生徒に認めて貰おうとするかのようですから。

どっちが先生かわかりませんね。

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Unknown (madographos)
2005-09-28 19:37:06
>ほり様。コメントありがとうございます。どうしても,沓をひろっている姿そのものが,今の教師にだぶってしまうのです。生徒のニーズに従って,せっせとサービスにつとめる教師の姿を見たら,張良や黄石公は何と言うでしょうね。
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