学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

校舎の風格

2005-12-19 | 教育
学校の正門のまえに立ったときに
感じる雰囲気というものは
案外大事なものなのではないか。

校舎の古い新しいに関わらず
正門のまえにたった者に
その学校の凛とした雰囲気を感じさせる
校舎の風格というものがあるように感じる。

名も知らず,顔も見たことがない
数多くの先達たちが,
同じ校舎の同じ机で学んだのだという事実を
子どもたちに感じさせる校舎は,
それだけで,教育的価値があったのではないか。

かつての木造校舎や石造りやレンガ造りの校舎には,
そのような風格があった。

便利さや合理性を追求した
現代的な校舎には,
時の流れの重さを受け止めるだけの力が
備わっていないような気がする。

そのため,どうしても教育そのものも薄っぺらなものに
なってしまうのだ。

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4 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
学問はイマジネーション (ほり)
2005-12-21 23:22:42
>>名も知らず,顔も見たことがない

数多くの先達たちが,

同じ校舎の同じ机で学んだのだという事実を

子どもたちに感じさせる校舎は,

それだけで,教育的価値があったのではないか。



人間が人間であるというのは、時間と空間を超えて思いを馳せることだと私は思います。直接知らない人、目の前にいない人を考えるのは、かなり人間らしいことだと思います。感性かもしれませんが、育んでいくつもりがなかったら持ち得ないものだと思います。
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Unknown (madographos)
2005-12-21 23:34:59
>ほり様。コメントありがとうございます。ほり様のおっしゃる「人間らしい」部分が,どんどん今の教育から抜け落ちている気がしてなりません。とても危険な感じがします。なんとかならないもんでしょうか。
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「つるつるきれい」か「汚い」か (ほり)
2005-12-23 00:17:24
ものの「風格」がわからない人が増えている気がします。

真新しいきれいさ、の価値が尊ばれ、古色めいたものの美しさがわからない。プラスチックの使い捨て生活が染みついてしまったのでしょうね。「手入れ」の感覚がない。モノは古くなれば価値がなくなる一方になっている。

鉄筋の校舎でも、内装を木造にしてぬくもりのあるものにするだけで、感性が変わるかもしれません。だって、板張り(フローリングじゃなくて)は、ぬれぞうきんで拭き掃除をすると、ニスを塗らなくてもどんどん輝いてくる。「汚れを取ってきれい」じゃない、もっと積極的な「きれい」。小学校の校舎が変われば、変わってくるだろうな。でも、「イマドキ、拭き掃除なんて。」と親も多くの先生も反対するでしょうね。

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Unknown (madographos)
2005-12-23 11:54:59
>ほり様。いつもありがとうございます。私の家には,学校の古い木の机があるのですが,先日家に来た外国人が,どういうわけかとてもなつかしがっていました。ほり様のおっしゃる「風格」は,案外グローバルな価値かもしれませんね。
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