学校の正門のまえに立ったときに
感じる雰囲気というものは
案外大事なものなのではないか。
校舎の古い新しいに関わらず
正門のまえにたった者に
その学校の凛とした雰囲気を感じさせる
校舎の風格というものがあるように感じる。
名も知らず,顔も見たことがない
数多くの先達たちが,
同じ校舎の同じ机で学んだのだという事実を
子どもたちに感じさせる校舎は,
それだけで,教育的価値があったのではないか。
かつての木造校舎や石造りやレンガ造りの校舎には,
そのような風格があった。
便利さや合理性を追求した
現代的な校舎には,
時の流れの重さを受け止めるだけの力が
備わっていないような気がする。
そのため,どうしても教育そのものも薄っぺらなものに
なってしまうのだ。
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子どもたちに感じさせる校舎は,
それだけで,教育的価値があったのではないか。
かつての木造校舎や石造りやレンガ造りの校舎には,
そのような風格があった。
便利さや合理性を追求した
現代的な校舎には,
時の流れの重さを受け止めるだけの力が
備わっていないような気がする。
そのため,どうしても教育そのものも薄っぺらなものに
なってしまうのだ。
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数多くの先達たちが,
同じ校舎の同じ机で学んだのだという事実を
子どもたちに感じさせる校舎は,
それだけで,教育的価値があったのではないか。
人間が人間であるというのは、時間と空間を超えて思いを馳せることだと私は思います。直接知らない人、目の前にいない人を考えるのは、かなり人間らしいことだと思います。感性かもしれませんが、育んでいくつもりがなかったら持ち得ないものだと思います。
真新しいきれいさ、の価値が尊ばれ、古色めいたものの美しさがわからない。プラスチックの使い捨て生活が染みついてしまったのでしょうね。「手入れ」の感覚がない。モノは古くなれば価値がなくなる一方になっている。
鉄筋の校舎でも、内装を木造にしてぬくもりのあるものにするだけで、感性が変わるかもしれません。だって、板張り(フローリングじゃなくて)は、ぬれぞうきんで拭き掃除をすると、ニスを塗らなくてもどんどん輝いてくる。「汚れを取ってきれい」じゃない、もっと積極的な「きれい」。小学校の校舎が変われば、変わってくるだろうな。でも、「イマドキ、拭き掃除なんて。」と親も多くの先生も反対するでしょうね。