学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

「目標」を考える

2009-06-11 | 教育
学校には,「目標」がつきものである。
学校教育目標からはじまって,
学年目標,学級目標,班の目標,係の目標,個人目標などなど,
さまざまなレベルで目標をたてて,
そのもとで行動することが求められている。

この目標を立てて行動するという考え方は,
生き方に対するある種の価値観を表明している。

すなわち,人生は,
目標を立ててその達成をめざして
歩むべきであるという考え方である。

もちろん,これは他の考え方もできる。
人生は,全く無常なものであって,
未来のことは全くわからないのだから,
不確実な未来を前提とするのではなく,
ただ与えられた一日一日を
精一杯生きるということが大切だという考え方である。
そのほかにもいろいろな考え方があるであろう。

まず,学校は,
目標を立てた段階で,
ある種の人生観を表明しているのだということに
自覚的であるべきである。


さらに,「目標」を立てるということは,
よい価値のなかから,
ある価値を選択するという行為であるということに
自覚的であるべきである。

よく学校の目標などで,
教育の全方向を射程に入れた抽象的な目標があるが
(これは学校の教育の目的から言えば,
 まさに正しい目標なのであるが),
その目標は,行動の規範となる目標にはなりにくい。

つまり,目標が意味のあるものであるためには,
あらゆる価値の中から,
限られた価値を抽出したものでなければ
ならないのである。

つまり,目標は,進む方向を指し示すものでなければならない。

例えば,大雑把に言えば,
「学力を確かなものにし,
 豊かな人間性を涵養し,
 健康と体力を身につける」
というのは,学校教育全般の価値を反映したものであるが,
行動の規範となる目標とはなりにくい。
むしろ,
「体を鍛える」という価値に限定すると,
とるべき行動を指し示す力がより強い。
また,「毎日朝6時に起きる」というように数値が明確であると,
さらに行動を規定する力が強い。


学校の目標体系の中で,
どの目標が
どのレベルの行動規定力をもつ目標にすべきなのか,
当然,下位目標の方がより限定的で具体的であるべきなのだが,
そのあたりの体系的な構造がうまくいっていないと,
目標というものは,
ただの貼紙にすぎないものになってしまうだろう。

また,学校に特色を出して,
ダイナミックな学校運営をしたいと思うのならば,
上位目標である学校教育目標そのものを
より限定的な価値に絞る勇気が必要であろう。
しかし,公立学校に
果たしてそれが許されるのかということは,
別の課題として残っている。






最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。