masumiノート

何を書こうかな?
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台風12号

2011年09月02日 | 日記

台風でヒマ

だけどハイオクの車が連続で3台
80リッター☆60リッター☆60リッター☆
ハラハラドキドキ
\(;゜∇゜)/ヒヤアセモン☆

え?どういうことって
σ(^_^;)アセアセ...

配管工事で系列ローリーが荷卸し出来ない状態が続いていたので、在庫が・・・・ネ
(;^_^A アセアセ・・・

何とか月曜日まで持ちますように(^人^)

・・・・・

工業団地の送迎車が午後3時台に店の前を走って行った。
電車がだいぶ遅れているらしく早々に操業を停止して帰宅させるらしい。

こうちゃんに、
「開けててもヒマやし、うちももう閉店しようよ~」と言うとマタマタ叱られた(・・;)

普通の小売店は台風で営業時間前に店を閉めることがあっても、スタンドはそれをしたらアカンのや
誰がどんな急用で燃料を入れに来るか分からんやろ
そんなときに、開いてると思って来てくれはるのに店が閉まってたら申し訳ないやないか

そら、今では24時間営業のセルフがあるからイザとなったらそっちに行かはるかも知れんけど・・・
(6 ̄  ̄)ポリポリ
昔からの癖っちゅーか・・・やっぱり営業時間中は開けとかなな

それにスタンドの明かりがアルのとナイのとでは、道を歩く人にとっても全然違うやろ

 

はい、そうですね(・・*)ゞ


ソウイウコウチャンガスキダヨ



消える地場SS

2011年09月02日 | ガソリンスタンド

「J本田」進出で市場は一変 「仕入値以下」の攻勢、疲弊し撤退を決意
8/19 「ぜんせき」より

無秩序な価格競争が又一つの地場SSを廃業に追い込んだ。

貯蓄を取り崩し、年金すら運転資金の不足分に充当しつつも
「お世話になってきた地域住民の方々に迷惑をかけたくない」との思いで、
石油製品の安定供給に尽力してきた地場の3者店。

経年地下タンクの追加投資問題で、「限界」と廃業されることに・・・

それでも、
「悔いはない。生き残っているSSはこれからも頑張ってほしい」と言われる飯野石油の飯野社長。


私は
悔しいです。


・・・


飯野社長さん、
ながいあいだ お疲れ様でしたm(_ _)m

桔梗(写真)の花言葉は「誠実」です。

(このブログが目に留まることがあるかどうかわかりませんが・・・)


消費者の皆様、是非全文お読みください。
m(_ _)m



北関東と首都圏ガソリン市況に大きな影響力を持つジョイフル本田(以下、J本田)。

同社の安値攻勢の前に、近隣の地場中小SSが次々と撤退し、生き残ったSSも疲弊状態が続く。

 

栃木県ではJ本田・宇都宮SSの進出による長引く市場混乱によって、
地場組合員SSの飯野石油(宇都宮市、飯野征利社長・JX系)が今年末での廃業を決意した。

 

 

同社は1971年に創業。
県道35号線がアスファルト舗装され、モータリゼーション時代到来を予感した飯野社長は、

近隣SSで2年ほどの経験を積み独立。

SSをオープンして以降は順調に売り上げを伸ばしていった。


しかし、05年に北関東道・上三川インターチェンジ近くにJ本田SSがオープンしてからは状況が一変した。

周辺のガソリン市況は一気に10円以上も下落し、販売数量とマージンの急激な減少により採算が悪化、

「売り上げは2割以上も激減した」という。

 

「J本田の販売価格は我が社の仕入れ価格よりも安い。

同じ組合の仲間に、冗談半分で“同社と販売店契約を結ぼうか”なんてことを話したこともある」

 

 

圧倒的な安値に対し、組合に不当廉売で訴えるよう要望した事もある。

J本田のオープン以降、近隣には元売子会社やフリート、県外大手SSが次々と進出、

来店客は見る見る減少し、とうとう全盛期の半分以下に落ち込んだ。

 

この間、J本田を中心とした安値攻勢の前に地場の中小SSが相次いで撤退していく。

 

「同じ窯の飯を食った組合員が次々と辞めていくのは耐えられなかった。

宇都宮支部の南地区には多いときには20組合員がいたが、わたしが辞めれば3業者しか残らなくなる」

 

 

長引く過当競争の影響で、徐々に体力を蝕まれ、ついには赤字に陥る。

銀行の対応は冷淡になり、貸し渋りや貸し剥がしにもあった。

 

「景気の良かった時代にためこんだ貯蓄はすべて取り崩した。

いまでは年金すら、会社の運転資金の不足分に充当している。

こんな状況がもう7~8年続いている」と嘆く。

 

そこまでの状況に陥っても、

「長年お世話になってきた地域住民の方々に迷惑をかけたくない」との思いで、

石油製品の安定供給に尽力してきた。

 

大震災でも燃料不足の中、殺到する問い合わせの電話にも真摯に応え、

供給支障が続く中で懸命に供給し続けた。

 

 

廃業を決意したのは、消防法省令改正による経年地下タンクの追加投資問題。

同社の地下タンクもこれに該当する。

 

「(これ以上運営を続けていくのは)もう限界だと悟った」。

 

しかし、飯野社長は決して後悔はしていない。

「自分で選んできた道。

いろいろなことがあったが、この商売を続けてきて悔いはない。

生き残っているSSは、これからも頑張ってほしい」

 

40年以上続いた飯野石油は今年12月で廃業する。

また1つ地域とともに歩んだ地場SSの灯が消える。


 


 

個人経営の販売店(PBも系列も)の皆さん、
周りのSSが次々と廃業しても、所謂“残り福”を期待できないことが分かるでしょう?
そして、市況が安定している地域の販売店の皆さんも、これは決して対岸の火事ではないのですよ。

“元”を正さねば、全ての3者店が姿を消すまでこの様なコトは続くでしょう。

業転なんていう、反発を逸らすための“撒き餌”に惑わされていてはダメです。