masumiノート

何を書こうかな?
何でも書こう!

hiroさんへ

2010年03月30日 | ひとり言
※えっと、すみません。
この記事は、本来、hiroさんのところへのコメントです。
ここにコメントを入れてもらっても、お返事はしないかも知れません。
hiroさん、ごめんなさい。こっちに書いちゃって。

・・・・・
これって輪廻転生(あ、又輪廻って使っちゃった^^;)転生とかカルマのお話になりますよね。
「子供は親を選んで生まれてきてくれる」っていうのは、私もそうだと思うのですが、こと、この子殺しに関しては、どうも首を縦に振りたくない。
他人同士で成人後(人格がある程度出来上がってから)の殺人なら、「前世の・・・」という理由付けは許せても、乳幼児を殺す親(この事件は血の繋がりはないけど)は、どうしても認められない。そんな理由で納得したくない。

人間は前世の罪を清算するために生まれてくるのか?
人間は幸せになる為に生まれてくるのか?
(あぁ、頭がおかしくなる)

>こういった負の連鎖はいたるところで起きているのだろう
これも、その通りだと思う。
だけど、繰り返さなくても負の連鎖を断ち切ることは出来ると思う。

それは、想像力によって、
本を読んだりニュースを見たり、人との会話から・・・
相手の立場に立つ、
思いやり、

あれ?まとまりがつかなくなる予感・・・(汗)

虐待されて亡くなる乳幼児が、実はとても進化した魂(霊性)で、この殺人を犯す事になる人間を救うために、“選んで”生まれてきてくれているとしたら、
それが本当だとしたら、
その他の殺人や戦争や災害にも、そういった理由があるとしたら、
私たちは、この世でどんなに残酷で悲惨なコトが起ころうと「あ、そう」って、「それは救済だから」で済ませていられることになる。
もしかしたら、そういう事もあるのかも知れないけど

だけど、そんなことは出来るはずが無い。
何せ、私は、力の無い、自分の力だけでは生きていけない乳幼児や動物に対する虐待は、噴火もので、出来たら触れたくない、考えたくない。しんどい。


この事件の19歳の男の子は、取調べ中に子供が亡くなったことを聞いて涙を流したらしい。
このあと、本当に“大切さ”を知って、生きていってくれたら・・・

19歳の男の子って書いた。
19歳って、その人物によって大人だったり子供だったり・・・
神戸の連続殺傷事件の犯人の男の子、当時14才だった・・・
私は、この男の子の事を考えるとき、胸が切ない。
殺されて亡くなった被害者や遺族の方には不愉快な発言かもしれないけど
この男の子(現在は男性)にも、本当に幸せになってほしい。と思う。

hiroさん、ごめん。
何かのぼせて来た。
結局何が言いたいのかよく分からんくなった・・・

もう寝ます。。。m(_ _)m

家紋

2010年03月30日 | 本・映画
そういえば、実家の家紋って何だろ?
結婚(最初の)したときに聞いたけど忘れちゃった(^^;
まあ、どうせ明治になってから苗字をもらったクチだと思うからあんまり関係ないか (*゜ー゜)>テヘヘッ


あなたのルーツが分かる/日本人と家紋 (学びやぶっく)
楠戸 義昭
明治書院

このアイテムの詳細を見る


64Pより

藤原氏の紋は“舶来花”の牡丹

藤原氏の支流が藤紋なのに対し、本流の近衛、九条、鷹司は牡丹を家紋とした。
牡丹は関白家のシンボルとして権威ある紋章であった。
この牡丹紋は平清盛の女婿、藤原基通の子の実家が、牡丹を牛車の飾りにしたことから、藤原氏が家紋にするようになったというのが通説である。

しかし、基通は源頼朝から嫌われ、叔父兼実が関白になった。
この両者はその住んでいた京都の地名により、基通の流れを近衛家、兼実の流れを九条家と呼ぶ。
だが、この九条家も牡丹を家紋にしていることは、源平時代以前から、牡丹はすでに藤原氏にとって意味のある花だったことを意味している。

ここで注目されるのは、「和漢三才図会」(江戸時代中期の図説百科事典)が牡丹を「本朝において聖武帝の時に盛んにこれを賞した」と述べ、また「大和本草」(江戸時代中期の薬物についての解説書)が「中国では花王と称し、花の富貴なる者とす。中国洛陽の牡丹を名産とす。日本の上代ではいまだ牡丹なかりし」と記していることだ。

唐代、則天武后はこの花を愛し、上苑に牡丹を移植させたとする。

この花王、牡丹は中国から日本にもたらされたものであり、「あおによし奈良の都は咲く花の・・・」とうたわれた藤原全盛期の聖武天皇の都、平城京の春を豪華に彩った。

則天武后を理想の人としていた、聖武天皇の后、光明皇后もまた、この花王を手にしたであろう。
天皇家にあってもなお、光明皇后は“わが藤原家は善行を積む家である”として「積善藤家」の朱印を使い、自らを「籐三娘(とうさんじょう)」と署名、藤原家の三女に生まれたことを終生、誇りにした。

この藤原鎌足の孫娘が皇后になったことにより、藤原氏の基礎は盤石なものとなり、光明皇后が牡丹を愛したことが、藤原氏と牡丹を一層強く結びつけたものと思われる。

しかしこの牡丹が家紋となるのは、ただ美しいだけでなく、その根は消炎、浄血、鎮痛剤の漢方薬となり、また牡丹は仏教の胎臓界曼荼羅の象徴であって、子孫繁栄の願いが込められていたからである。



因みに、菊花を最も愛したのが天皇家で、その中でも後鳥羽上皇は菊帝と呼ばれた。
承久の変に敗れて流された隠岐で不遇の死を遂げたあと、半世紀後、後深草、亀山、後宇多の三天皇によって、後鳥羽上皇が愛した菊は天皇紋となった、とある。

又、家紋の生みの親は源頼朝らしいです。

他にも、魚が家紋に無いとか、トリビア情報満載です。

季節外れ

2010年03月30日 | 日記

昨夜、吹雪が止んだあとのお月様

こういうお月様を見ると安心する(^^)


今朝の雪

・・・3月の終わりに積雪ですよ、アナタ!

昨年末にスタッドレスタイヤを購入してくださったお客様が来店して

「やっと積もってくれたぞいヽ(^◇^*)/ 」