「元始、女性は太陽だった」

2011-07-03 21:34:25 | 雑感

今年は、日本初の女流文芸誌『青鞜』の発刊100周年の年。

「太陽のような女性に」とは、「おひさま」でよく出てくるセリフだが、女性をはじめて太陽になぞらえた

人は、平塚らいてうである。平塚らいちょうが、『青鞜』を創刊したのが1911年秋。

『青鞜」創刊号に作家の与謝野晶子が短い詩を寄稿している。

 

 

山の動く日来たる

 

かく云えども人われを信ぜじ

 

山はしばらく眠りしのみ

 

その昔において

 

山は皆火に燃えて動きしものを

 

されど、そは信ぜずともよし

 

人よ、ああ、唯これを信ぜよ

 

すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる

 

一人称にてのみ物書かばや

 

われは女(おなご)ぞ

 

一人称にてのみ物書かばや

 

われは われは

 

 

「一人称にてのみ物かかばや」とは、自分の「思想」「意見」をもって、書きなさいという意味だろう。

 

今日にも通じる含蓄のあるきびしい言葉だ。

 

 

 

『青鞜』発刊に際して、平塚らいてうは、次のような巻頭言を記している。

 

一部抜粋。

 

元始、女性は太陽であった。真正(本物)の人であった

 

今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。

 

私たちは、隠されてしまったわが太陽を今や取り戻さねばならぬ。

 

「隠れたるわが太陽を、潜める天才を発現せよ」こは私どもの内に向かっての不断の叫び声、押えがたく消

 

しがたき渇望、一切の雑多な部分的本能の統一せられたる最終の全人格的の唯一本能である。

 

この叫び声、この渇望、この最終本能こそ熱烈なる精神集中とはなるのだ。

 

そして、その極めるところ、そこに天才の高き王座は輝く

 

(略)

 

これは、100年前の言葉だが、なんと新鮮な感動的な響きか。

女性に限らず、男性も、自ら太陽のように「輝いている」と自信をもっていえる人がどれほどいるだろう。

「隠れたるわが太陽」をみることなく一生を終える人がいかに多いことか。

科学的社会主義の運動は、労働時間の短縮を軸にして、人間の自由時間を創り出し、人間のもつ

様々な可能性を活かせる世の中をつくろうという運動だ。若き日の平塚らいてうの思想にも相通ずる

ものがあると思う。

 

今日の私たちの運動には、さまざまな障害があり、100年前とは違った難しさもある。しかし、目の前の

難に頭を垂れるのではなく、現実はしっかりと見据えながらも、あらためて私たちの理想を高く

掲げてをもって活動したいと思う。

 

 

 

 

 

 

 


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