11月に読み始めた「ショックドクトリン」。途中、地方選挙やほかに先に読まないといけない本が出てきて、のびのびになっていたが、ようやく最後までたどりついた。
なんという本だろう。この40年の世界中に起こった政治的事件を、ち密な取材と研究でその背後にあるシカゴ学派、新自由主義のやり方をここまでリアルに暴露した本を私は知らない。今日の規制緩和万能、「小さな政府」待望論とでもいう世界的な流れは、決して公正なやり方でつくられたものではない。チリやアルゼンチン、イラクやロシアどこをみても、人民の血で塗られた歴史として世界に登場してきたのだ。マルクスが、「資本論」の資本の本源的蓄積の部分で、近代資本がまさに血で塗られたものとして誕生してきたというくだりを思い出す。
そして、この本は、最後の「終章」で、世界の民衆が「ショックドクトリン」(参事便乗型資本主義)を乗り越えて立ち上がる姿に希望を託す。南米の大きな変化の意味もよく理解できる。
国民は、どんなショック状態に打ちひしがれても、決してあきらめることはない。敗北を教訓化し、次のショックに負けない戦術を生み出す。南米のたたかいは、そのことを示している。南米大陸では、ショックから立ち上がるに、30年近い歳月を要した。遅れて、新自由主義の波が押し寄せているこの日本で、この大波を押し返すにはどれだけの時間がかかるだろう。リーマンショックで一時元気を失いかけた日本の新自由主義も息を吹き返している。そのなかで、日本の若者は、きわめて厳しい現実に直面している。程度の差はあれ、これもショック状態といえるだろう。チリやイラクや、独裁政権下の国々で、新自由主義を押し付けるために、抵抗する人々を徹底して周囲から切り離し、隔離し、電気ショックや拷問で気力をなえさせた。いま、日本ではかつてのような拷問はないにせよ、若者を分断し、孤立化させ、自己責任を植え付けて、悪政に抵抗できない若者を大量に生み出す作戦が用意周到に日々実施されている。一方で、若者の犠牲の上に、日本の財界は空前の大儲けを謳歌している。
こうした現実に絶望してはいけない。私たちは決して負けない。かつて、戒厳令下にあり、何万人という活動家が命を奪われた南米の国々も、数十年かけて独裁政権を倒し、民主主義を大きく前進させている。形態の違い、条件の違いはあれ、この国も必ず変わる。いや、変えなくてはならない。それが、次の世代への私たちの責任だ。「二大政党制」戦略が破たんをし、それにかわる新しいファシズムともいえる勢力が台頭してきつつあるいまは、まさに歴史の分岐点ともいえるだとう。
これだけの本を世に著したナオミクラインに感謝!
いやー寒い、寒い。今朝は、古川は-15度だとか。北海道なみだ。