小中学校時代の私は、自分でいうのも変だが、学校の成績もよく、いわゆる“優等生”だったと思う。少なくとも、中学校まではそうした自分の生き方に疑問をもつこともなく、ただ周囲の期待に応えるために、一生懸命に学校の勉強をしていたような気がする。
そんな私が、自分の生き方に根本的な疑問を抱くようになったのは、高校2年生の秋に高野悦子さんの『20歳の原点』3部作に出会ったことだった。高野さんは私の同郷で、小学校、中学校のちょうど14年先輩にあたり、誰かに薦められるがままに、一気に読み切った。読み終えたときの衝撃は、ここでは表現しきれない。もちろん、当時の全共闘の考え方など、とてもついていけない、共感できない内容も多々あったが、高野さんの自身に向き合おうとする真摯な姿勢に、「自分の生き方が果たしてこれでいいのか」「学校の成績がよくても、自分の中に核となるものがあるのか」「自分に自信がない」「うつろな存在だ」と毎日、真剣に思い悩んだことを思い出す。いま考えれば、「いい子症候群」だったということか。結局、親や先生やまわりの大人に「よく見られたい」と、自分の奥底の気持ちに蓋をして生きてきたということ。でも、そのことにそのとき気がついたことは、幸いだった。あのままだったら、自分は空洞化した人生を送ることになったのだから。そういう意味では、『20歳の原点』は、高野悦子の遺書ではあったが、私にとっては「救いの本」だったといえようか。これが、私の自分探しの出発点だった。
(栃木県の実家から歩いて10分のところにある宗源寺の高野さんのお墓。実家に帰ると時々、お墓参りに行っています)
大学は、杜の都仙台へのあこがれもあり、東北大学の経済学部を選択した。ここで、平和運動を通じて、民主青年同盟や日本共産党に出会うことになる。最初、戦前から命をかけてたたかってきた日本共産党への驚き、感銘とともに、それまでの私のイメージの中にあった共産党への偏見、「共産主義=ソ連=自由がない」が混在し、100%の確信をもって活動ができたわけではなかった。しかし、ソ連が社会主義とは縁もゆかりもない体制だったこと、ソ連の横暴を真正面から批判してきた党が日本共産党であったことなどを知り、私の中に、自信のようなものが生まれてきたのかとも思っている。
私が、日本共産党が理論的な基礎にしている科学的社会主義に信頼を寄せるようになったのは、この理論が単に資本主義批判として力をもっているだけでなく、人間の問題を実に深く洞察していることだった。
私は、高校時代からの悩み、苦しみが自分のせいではなく、競争主義をあおる財界、自民党政治にその根源があることをマルクスから学んだ。当時、一生懸命に勉強していたのは、科学や文化そのものの価値ではなく、テストで試される記憶の量や操作スピードを身につけ、競争に勝つためだった。ペーパーテストの成績が良くなればなるほど、自分の中の“心の空白”はどんどん広がりつらくなった。日本共産党とマルクスと出会ったことで、「人間には歴史を前に進める生き方があること」「競争のためではなく、社会科学、自然科学(こちらは今でも苦手ですが…)そのものに学問の面白さ、学ぶ面白さがあること」を発見した。そして、マルクスが「人間の精神的豊かさは、社会との関係の豊かさに依存する」と述べているように、多くの仲間、書物との出会いを通して、私は、以前の苦しい時代から抜け出すことができたと思っている。
私の高校、大学時代と比べても、いまの高校生、大学生は、「超」異常な競争教育にさらされている。そのことに疑問すらもてずに苦しんでいる青年がいかに多いことか。
私をかつて苦しめた”怪物”は、いまでは「自己責任論」という武器を身につけて”巨大なモンスター”に進化した。私は、若い世代に、ぜひ、日本共産党と民主青年同盟、科学的社会主義を知ってほしいと心から願わずにはいられない。(以下、つづく)