報恩坊の怪しい偽作家!

 自作の小説がメインのブログです。
 尚、ブログ内全ての作品がフィクションです。
 実際のものとは異なります。

「大石寺系教団の皆さんに質問です」の意図について。

2018-09-15 10:28:22 | 日記
 当ブログのコメント欄で常連(?)の皆様方が盛り上がっておられる中、流れをスルーした私は同じコメント欄でこんな質問をさせて頂いた。

「日蓮大聖人御在世の時に実在した熱原の法華講衆と今の日蓮正宗法華講は同じですか?イエスかノーでお答えください。できれば、その理由もお答えください」

 これに実質的な回答を寄せて下さったのは、いおなずんさんだけであった。
 改めて、回答して下さったいおなずんさんには感謝申し上げたい。
 尚、いおなずんさんにあっては、事実上の「ノー」回答であった。

 実はこれ、別に正解や不正解を求める質問ではない。
 心理テストのようなものだ。
 コメント欄にはこの質問をさせて頂く前に、こんな枕詞を並べた。

「私がこのブログで使い始めた用語、『ガチ勢』『エンジョイ勢』『傍観勢』。これを見分ける質問が1つあります」

 と。
 つまり、それらを振るいに掛ける為の心理テストだったのである。
 では、実際に答えて頂いたいおなずんさんは、あの回答でどこに部類するのか?
 それに答える前に、言い出しっぺの私はどういう回答をするか?
 そこから始めたいと思う。

 私も同じ質問をされたら、「ノー」と答える。
 実は「ノー」と答えた時点で、その信徒さんはほぼ自動的に『エンジョイ勢』となる。
 その為、「できればその回答をした理由もお答えください」とも書いたのだが、「ノー」と答えた人にあっては、理由まで述べる必要は無い。
 文証を出せと言われたところで、そんなものあるわけないだろう。
 では、どうして私も「ノー」だと思い、それが『エンジョイ勢』となるのか?

 そもそも熱原の法講衆とは、如何なる集団だったのか?
 もちろん、そんなものは信仰者であれば自ずと分かるだろう。
 顕正会でも紹介しているが、その顕正会にあっても、熱原の法華講衆のことについては、『ガチ勢』ですら文句を付けないほど正確に紹介している。
 彼らが今でも語り継がれている理由は何ぞや?
 顕正会的な視線で恐縮だが、それは宗内で確認されている、史上初の信徒の殉教者だからであろう。

「ああ、なるほど。『エンジョイ勢』は殉教する気は無く、『ガチ勢』は殉教する気があるからなのか」

 違う。
 多分、『ガチ勢』であっても、殉教する気までは無いと思うぞ。
 彼らのブログを見てみろ。
 そんな思いまでは伝わってこない。
 ここでは、あくまで信徒のことを言っている。
 お坊さんの中には、樺太の末寺住職のような立派な殉教者もいるだろう。
 だが、あくまでもここでは信徒に限定した話をしている。

 今の法華講は何だ?
 各末寺に支部を構え、認証されているか否かで騒ぎ、法華講連合会に統率されているではないか。
 熱原の法華講衆とは、そんなにガチガチに組織化されたものではなかったはずだ。
 ただの信徒集団を、日蓮大聖人がそのように名付けたものだろう。
 もちろん、「ただの」と言っては失礼だな。
 大聖人が御自ら強い信心を持ち合わせた信徒の集団だと認証され、御自ら名付け親となられた集団だ。

 え?違う?法華講連合会は法華講支部を統率するものではないって?
 何を仰る。
 それぞれデカい法華講支部から総講頭だの大講頭だの出して、『挨拶』や『激励』しているではないか。
 これを見て私は、

「あーあ。権威の象徴だな」

 と思ったものだ。
 創価学会がまだ日蓮正宗の正式な外郭団体だった頃、総講頭を池田会長が務めていたことがあっただろう?
 学会を追い出して、今は法華講の関係者だけが要職に就くようになったわけだが……。
 総講頭とか大講頭とか、どなたでしたっけ?
 熱原の法華講衆に、そんなものあったかね?
 その代表格として三烈士も語り継がれているが、彼らはその集団において本当にリーダーだったのか。

 そういったことから、私は熱原の法華講衆と今の法華講組織は違うと答えるわけである。
 今はどう思われているか分からないが、トチロ〜さん、やけに報恩坊さんの支部認証に拘っていたことがあった。
 私は、「それがそんなに大事なことなのか?」と常々思っていた。
 恐らく、連合会における発言権があるか無いかの違いで、功徳の大小は関係無いと思うのだが。
 もしも功徳の大小に関係があるというのなら、それこそ文証を出して頂こうか。

 つまり、『ガチ勢』は最初の質問に「イエス」と答えるわけだ。
 それこそ、理由を述べて頂きたい回答である。
 まず、大聖人の御書にはそんなこと書いていないから、そこから文証を持って来ることは不可能だ。
 如何に立正安国論を記された大聖人とはいえ、まさか法華講衆がこんな組織化されるとは思われなかっただろう。
 では、御歴代上人の御指南から持って来ることになるわけだが……。
 不良信徒だった私には、第何代の御法主上人が『熱原の法華講衆と今の法華講は同じである』旨の御指南をされたかさっぱり分からない。
 これでも夏期講習会とか御講とかには何度か参加したことのある身。
 また、御登山する度に『妙教』や『大日蓮』の他、各機関紙を購入して読んでいた。
 もしそういった御指南があるのなら、どこかで見聞する機会があったはず。
 それでも、『ガチ勢』はどこからか、そういった御指南を引っ張り出してくるかもしれない。

 『エンジョイ勢』がそこまですると思うかい?
 いや、私はしないな。
 なので、「イエス」と答え、私が知らない御指南をどこからか引っ張り出してきて、「どやァ!?」としてくる時点で、あなたは『ガチ勢』なのである。
 ん?『傍観勢』はどうなのかって?
 もちろん、無回答に決まってるじゃん。
 トチロ〜さん、実は『隠れ傍観勢』ですね?
 新しい支部運営を行うに当たり、なるべく他支部からの風当りを少なくする為、『ガチ勢』でも『エンジョイ勢』でも無い第3の立場、『傍観勢』であると。
 『エンジョイ勢』でありたい私がまた信仰したくなった時、

「うちは『傍観勢』だから『エンジョイ勢』はダメだよ」

 ということにならぬよう……。
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