報恩坊の怪しい偽作家!

 自作の小説がメインのブログです。
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 実際のものとは異なります。

昨日からの雑感

2013-01-10 02:36:01 | 日記
 日付から言えば、今日は死んだ実家の犬を火葬する日である。斎場がフル稼働なのだから、墓がどうなのかまでは聞かない方がいいだろう。

 決然と 護法に一人 立つセンセイ 死屍累々と 後ろに屍

 これはある板に投稿した、顕正短歌である。とある顕正会員のブログにて、浅井会長は最後(最期?)まで会長職を全うされるであろうという意見に対し、それだけ若い会員の人生が犠牲になるという私の意見を短歌にしたものである。意味は分かる人には分かって頂けるものと思う。私のように適当に楽しんで、ただのトラウマも無く宗門に移ったのは私くらいのものではないか。もっとも、その代わり活動への原動力は無く、ちょっとしたトラブルで退転したのは皮肉であろう。
 私は他の元顕正会員とは違う。どちらかというと、生粋の法華講員の中にいた方が良かったのではないかというのは後の祭りである。因みに今は、お寺には参詣していない。新たなブログのタイトル、“冨士参詣深夜便”というのは、私の愛読紙が産経新聞と夕刊フジ、それと競馬【お察しください】。そのフジ・サンケイグループをもじったというのは表向きで、白状すれば「いずれはまた大石寺に参詣したい」という思いが半分、なかなか埒が明かないことから原点回帰、つまり、「冨士大石寺顕正会への参詣再開」の意味が半分ある。これには理由があって、適当に楽しむのではなく、罪障をあえて積むことにより、仏罰に悩んだところで勧誡するのもアリかなと考えたからである。勧誡後の原動力にもなろう。もっとも、それとて何かのきっかけを必要とするものであり、とどのつまり、今の私は人生成り行き任せ、風の吹くまま、野となれ山となれといった状態といった皮肉なものである。
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2 コメント

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初めまして (一郎太)
2013-01-11 14:19:23
一郎太ともうします。今日初めてお邪魔しました。インターネットに投稿するのもだいぶ久しぶりなので緊張します。
同じような気持ちあります。僕も顕正会の人がたくさんいる所に入りましたが、同じ隊だった友達は古いお寺に入って、最初はたいへんだったみたいだけど、教えてくれる事が全然違うなと思いました。今となっては縁だからって言われて納得してます。法華講が未知だったから仲間がいないと不安だと思ってました。臨終の事も初めてききました。勉強になります。顕正会だった人がたくさんいるところでもたくさん学べるけど、顕正会の延長な感じもたまにします。古いお寺に入った友達は、全然違う宗教の人のように礼儀とか作法とかも全然かわってきました。でも、彼の持っているものだったのだとも思います。素直が一番。大石寺に行きたい気持ちあるなら、素直に言ってみるといいと思いました。言うまでがちょっときつそうだけど一緒にのんきに考えてくれるような人がいるといいですね。
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一郎太さんへ。 (ユタ)
2013-01-11 15:25:16
 こんにちは。コメントありがとうございます。元顕正会員の現・法華講員の方ですね。今私が分かってきたことは、それぞれに長所があって短所があるということです。一郎太さんのお友達は生粋の法華講員の方が多く、一郎太さん御自身は元顕正会員の多いお寺に所属なさったわけですね。
 私は結果的に後者のお寺で失敗したクチですが、だからといって元顕正会員が多いからダメだというわけではないんですよ。そこだからこそ上手くいった人も大勢いらっしゃいます。問題はどういった環境にしろ、周りのサポートがあるかどうかですね。
 顕正会は上長が下の者に電話を掛けて、ハッパを掛けてきたりするでしょう?それに対して批判する信徒さんがいらっしゃいますが、私はむしろそれでいいと思ってるんですよ。会社とは違うんですからね。自主性が求められるのが法華講というのはどこも同じだと思うんですが、私のように受動的なタイプはそれだと困るんですよね。顕正会は受動者が多いせいか、よく分かっていらっしゃる。困ったものですね。
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