報恩坊の怪しい偽作家!

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 実際のものとは異なります。

多摩準急先生との再会。

2012-10-16 17:59:21 | 日記
「信仰者のモラルが問われている」
 との問題提起をしていたこの先生、“あっつぁの顕正会体験記”で他のリスナー面々と口論した方である。私が関わらないでくださいと言ったのだが、この人もアツくなるタイプだったりするのだ。で、この人、私が日蓮正宗の信仰をしていた時、私の折伏を断って、台湾仏教会“慈済(台湾名:「ツーチー」)”に出入りするようにもなっている。この宗教団体は、東日本大震災後、被災地にボランティア活動を行うことが多く、氏もこの団体の活動内容に感銘を受けたというのだ。で、
「何で日蓮正宗は、ボランティアをやらないんだ?」
 と、聞いてきた。
「いや、そういう団体じゃないんで。顕正会もです」
 と答えておいたが、まあ、私も冷たいか。悪いね、こういう説明しかできなくて。

 私が再び信仰するか否かの問題については、
「自分自身の問題」
 として、特段反対されることはなかった。しかし、
「あのブログに出入りしている面々を見る限り、安心できるような所には見えないね」
 とのことだった。ま、あそこには金輪際関わらないことだな。幸か不幸か、更新が停止して、書き込みもできなくなっているようだし。
 なんぼ、
「法に依って人に依らざれ」
 と言ったところで、誰かの紹介で入信することに変わりは無いし、そこのお寺の僧侶がどういう考えの人なのか、そこで信心している信徒達がどういう姿勢で信心しているのかで、新入信者もそのお寺のカラーに染まっていくわけだから、人は全く関係無いとは言いがたいと思う。つまるところ、人に恵まれなければ、法にも恵まれないということだ。旧・妙信講員だって、浅井会長らがあんな人間でなければ、未だに日蓮正宗の講中として真っ当な活動をしていたに違いないのだ。やはり、法は大事だが、人も大事だという考えは切れない。

 私が無所属で居続ける理由は、実はあまり無い。無所属だからこそ、言いたい放題言えるということくらいか。あと、謗法をいちいち気にする必要は無い。ま、これは大きいな。日蓮正宗は食べ物や飲み物に制限を課すことは無いし(精進潔斎と称して肉食を禁止することもないんだな、これが。素晴らしい!)、禁欲の必要も無い。
 ところが、再会する理由も無いんだ。まー、法華講員の皆さん、御僧侶も含めて、
「一刻も早く御勘誡を!」
 と仰る。それはありがたいし、その理由も理解できるのだが、顕正会員時代、
「一刻も早く御受戒(御授戒)を!」
 と言われて、急いでしたら、後悔する結果になったわけだしね。どうせ再会するんだったら、もう2度と後悔したくないですから。だからね、もっと何か欲しいんだなぁ。こう、ポンと背中を押してくれる何かをさ。本当に、それはしょうもないものでいいかもしれない。
 悩みに悩み抜いた顕正会員が現れて、それじゃ、一緒にお寺に行きましょうかということで、顕正会員が受戒し、あらら私ついでに勘誡しちゃってたなんてあるかもしれない。
 今、体の具合は頗る良いのだが、再燃なんていきなり現れるらしいらね。下血が発生して、慌ててお寺に駆け込んで……なんてこともあるかもしれない。
 惚れた女が顕正会女子部(法華講?オレの周り、アラサーとアラフォーしかいねがったな~)で、顕正会に復帰!原点回帰!なんてこともあるかもしれない。もしくは創価学会で、ついに創価畑を歩くことに……なんてのも、絶対に無いとは言い切れないからね。

 成り行きで顕正会に入り、成り行きで日蓮正宗に、成り行きで脱講し、そしてまた成り行きで……である。御仏智が勝つのか、魔が勝つのか……。BIGでも買って、占ってみるか。因みに多摩準急先生、100万当たったらしいんだ(BIGかどうかは不明)。魔の通力って、すげーな。
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