[3月5日12:00.天候:曇 長野県北部・マリアの屋敷 稲生勇太&マリアンナ・ベルフェ・スカーレット]
エントランスホールから左のドアを開けると、食堂がある。
普段はマリアと稲生が食事をする場所である。
大きな屋敷ゆえ、1つ屋根の下であっても、昼間は食事の時以外、稲生と顔を合わせる機会は少ない。
そこにはテレビは無く、アップライトピアノがあって、たまにここで人形がピアノを弾いていることがある。
しょうがないので、稲生はスマホからラジオのアプリを落として、それでラジオを聴くという感じにしていた。
屋敷内にテレビが無いわけではなく、マリアが普段過ごしている部屋(リビングだが、『管理人室』と称している)と稲生の自室にはある(が、実際はノートPCで見てるだけ)。
そのラジオでも、東日本大震災について取り上げられるようになっていた。
稲生は昼食に出て来たミートソースパスタを頬張っており、マリアはボンゴレであったが、マリアは食べながら稲生に話し掛けた。
「なあ、ユウタ」
「何ですか?」
「あなたはこの東日本大震災の時、何をしてたの?確か、私と初めて会って、それからしばらくもしないうちだったよね?」
高校の卒業旅行、それは顕正会員だった稲生の人生に大きな影を落とした故の感傷旅行でもあったが、それを利用して稲生はマリアに会いに行った。
「そうですね。あれから5年ですか」
「私はあの時、あなたに魔界に行けと言った。行けるものなら、と。戻ってきた日は、いつだった?」
「3月10日です」
「震災1日前か。私と別れた後、どうした?」
「埼玉の家に帰りましたよ。ただ、その前に威吹が僕の通う大学を見たいと言ってきたので、見学に行きましたね。そこで震災に遭いました」
「ということは、東京か」
「はい」
古めかしい旧館にいたのが不幸だった。
まだ顕正会を辞めたばかりとあって、福運はあまり無かったようである。
1階ロビーに威吹がいて、稲生はトイレに行っていた。
そこで大きな揺れである。
威吹は落ちて来た天井の梁の直撃を受けて昏倒。
人間なら死亡していたかもしれないレベルであったという。
稲生はトイレの入口向かいにあった自動販売機が倒れてきてドアを塞ぐ形になり、閉じ込められた。
旧館は大学が春休みで人がおらず(新館エリアは、職員やオリエンテーションに参加していた他の新入生達がいた)、稲生達の存在は忘れられてしまった。
稲生は1日、旧館トイレに閉じ込められていた。
助けてくれたのは威吹。
昏倒から覚めて、何とか瓦礫の下から這い出て(人間だったら運が良くても重傷、悪かったら死亡してたレベル)、稲生を助け出した。
幸い、稲生自身にケガは無かった。
「交通手段も何も、ほとんど動いてませんでした。埼玉まで、僕達は徒歩で帰るしか無かったんです」
威吹が時折、稲生を背負って、跳ぶように中山道を北上した。
「大変だったな」
「マリアさんはどうだったんです?確か、長野県でも大きな地震がありましたよね?」
長野県栄村の大地震のことである。
「あれは長野県北部の地震だったから。私はその時、南部に住んでいたからね」
「あっ、そうか!」
当時、マリアの屋敷はJR飯田線沿線にあった。
沿線と言っても、特急“伊那路”号の停車駅から更にバスで走った所である。
「だから、私に実害は無かった」
「そうでしたか」
「だが、あの地震おかしいと思わないか?」
「えっ?」
「いや、絶対におかしい」
「何がですか?」
「実は、ダンテ一門の誰もあの地震を予知していなかったんだ。ちょっとした予知だったら、私も予知夢を見ることができるし、師匠なんかそれを占うことができる。中にはしょっちゅう水晶占いをする魔道師もいるから、最低でもその者達がヒットしていないのはおかしい」
「うーむ……」
「それにあの妖狐……。妖狐も高等妖怪で、勘が鋭い」
「確かに」
「その勘の鋭さは緊急地震速報要らずなのに、実際に地震が来て天井の梁を避けられなかったというのはおかしいだろう?」
「た、確かに!妖狐は素早いから、すぐに対処できそうなものなのに!……威吹は、『あまりに突然のことで、足がすくんでしまった。情けない』って言ってた」
「それ、“魔の者”の揺さぶりだって言ったら、どうする?」
「! 師匠!?」
「イリーナ先生!」
いつの間にか上座にイリーナがいた。
「ユウタ君、マリアが“魔の者”から高飛びする為に、イギリスから遠く離れた日本にやってきたという話を聞いたよね?」
「は、はい!先生から聞きました」
「それが早くもマリアの居場所を発見したことは、こっちも知ってた。だけど、当時の“魔の者”は遠く離れたマリアに直接攻撃できなかったのね。そこで、日本が地震国であることに目を付けた。そこで大きな地震を起こさせて、日本からいぶり出そうとしたという所まで分かってる」
「随分手の込んだことをしますね」
マリアはボンゴレの最後の一口を食べきった。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
煮え切らないのは稲生の方だった。
「あの震災でどれだけの人が死んで、どれだけの人が今でも苦しんでると思ってるんです!?」
「ユウタ。師匠に言ってもしょうがないよ」
「悪魔にとっては、『そんなの関係ねぇ!はい、おっぱっぴー!』って感じでしょう。日本人達の繊細な魂をドカッと手に入れられて、さぞかしホクホク顔だっただろうね。マリアが震災という脅しに屈して再びヨーロッパに戻ってくれば万々歳、それでも日本に残れば残ったで日本人達の魂をごっそり頂けてそれも良しってことよ」
「ヤノフ城や“クイーン・アッツァー”の戦いが、物凄くちっぽけに見えてしまう……」
「でも“魔の者”にとっては、それらの戦いでも勝つ気満々だったから、それでユウタ君に負けて、相当ヘコんだはずよ」
「“魔の者”を今度こそ、この手で倒したいです!」
「その意気よ。でも、まだヤツは再び雌伏の時を過ごしている。悔しいけど、その間は私達は何もできない。今度ヤツがどんな形で現れるか分からないけど、そこを叩くのよ。全力で!」
「はい!」
「それまでの間、ユウタもいっぱい修行して強くならないとな」
「頑張ります!……あ、それと先生、1つお願いが……」
「ああ、いいよ。言いたいことは分かってる。『被災した元実家に行って、現地で手を合わせたい』でしょ?」
「そうです!」
稲生が中学生まで過ごした仙台の元実家は、仙台市東部にあった。
家からは海は見えないし、潮の香りがするわけでもないのだが、しかしそこも津波に飲まれて跡形も無くなった。
「いいよ。行って来な。マリアも一緒に」
「私も、ですか?」
「稲生君がいない間、またあなたも悪夢にうなされたら大変でしょ?」
「そう、ですね。ありがとうございます」
「ありがとうございます」
「お土産は“萩の月”でよろしく」
「は、はい……」
やはり、師匠クラスの大魔道師は喰えぬ者が多い。
稲生はそう思った。
逆に、そういうキャラにならないと、大魔道師にはなれないということなのだろうか。
エントランスホールから左のドアを開けると、食堂がある。
普段はマリアと稲生が食事をする場所である。
大きな屋敷ゆえ、1つ屋根の下であっても、昼間は食事の時以外、稲生と顔を合わせる機会は少ない。
そこにはテレビは無く、アップライトピアノがあって、たまにここで人形がピアノを弾いていることがある。
しょうがないので、稲生はスマホからラジオのアプリを落として、それでラジオを聴くという感じにしていた。
屋敷内にテレビが無いわけではなく、マリアが普段過ごしている部屋(リビングだが、『管理人室』と称している)と稲生の自室にはある(が、実際はノートPCで見てるだけ)。
そのラジオでも、東日本大震災について取り上げられるようになっていた。
稲生は昼食に出て来たミートソースパスタを頬張っており、マリアはボンゴレであったが、マリアは食べながら稲生に話し掛けた。
「なあ、ユウタ」
「何ですか?」
「あなたはこの東日本大震災の時、何をしてたの?確か、私と初めて会って、それからしばらくもしないうちだったよね?」
高校の卒業旅行、それは顕正会員だった稲生の人生に大きな影を落とした故の感傷旅行でもあったが、それを利用して稲生はマリアに会いに行った。
「そうですね。あれから5年ですか」
「私はあの時、あなたに魔界に行けと言った。行けるものなら、と。戻ってきた日は、いつだった?」
「3月10日です」
「震災1日前か。私と別れた後、どうした?」
「埼玉の家に帰りましたよ。ただ、その前に威吹が僕の通う大学を見たいと言ってきたので、見学に行きましたね。そこで震災に遭いました」
「ということは、東京か」
「はい」
古めかしい旧館にいたのが不幸だった。
まだ顕正会を辞めたばかりとあって、福運はあまり無かったようである。
1階ロビーに威吹がいて、稲生はトイレに行っていた。
そこで大きな揺れである。
威吹は落ちて来た天井の梁の直撃を受けて昏倒。
人間なら死亡していたかもしれないレベルであったという。
稲生はトイレの入口向かいにあった自動販売機が倒れてきてドアを塞ぐ形になり、閉じ込められた。
旧館は大学が春休みで人がおらず(新館エリアは、職員やオリエンテーションに参加していた他の新入生達がいた)、稲生達の存在は忘れられてしまった。
稲生は1日、旧館トイレに閉じ込められていた。
助けてくれたのは威吹。
昏倒から覚めて、何とか瓦礫の下から這い出て(人間だったら運が良くても重傷、悪かったら死亡してたレベル)、稲生を助け出した。
幸い、稲生自身にケガは無かった。
「交通手段も何も、ほとんど動いてませんでした。埼玉まで、僕達は徒歩で帰るしか無かったんです」
威吹が時折、稲生を背負って、跳ぶように中山道を北上した。
「大変だったな」
「マリアさんはどうだったんです?確か、長野県でも大きな地震がありましたよね?」
長野県栄村の大地震のことである。
「あれは長野県北部の地震だったから。私はその時、南部に住んでいたからね」
「あっ、そうか!」
当時、マリアの屋敷はJR飯田線沿線にあった。
沿線と言っても、特急“伊那路”号の停車駅から更にバスで走った所である。
「だから、私に実害は無かった」
「そうでしたか」
「だが、あの地震おかしいと思わないか?」
「えっ?」
「いや、絶対におかしい」
「何がですか?」
「実は、ダンテ一門の誰もあの地震を予知していなかったんだ。ちょっとした予知だったら、私も予知夢を見ることができるし、師匠なんかそれを占うことができる。中にはしょっちゅう水晶占いをする魔道師もいるから、最低でもその者達がヒットしていないのはおかしい」
「うーむ……」
「それにあの妖狐……。妖狐も高等妖怪で、勘が鋭い」
「確かに」
「その勘の鋭さは緊急地震速報要らずなのに、実際に地震が来て天井の梁を避けられなかったというのはおかしいだろう?」
「た、確かに!妖狐は素早いから、すぐに対処できそうなものなのに!……威吹は、『あまりに突然のことで、足がすくんでしまった。情けない』って言ってた」
「それ、“魔の者”の揺さぶりだって言ったら、どうする?」
「! 師匠!?」
「イリーナ先生!」
いつの間にか上座にイリーナがいた。
「ユウタ君、マリアが“魔の者”から高飛びする為に、イギリスから遠く離れた日本にやってきたという話を聞いたよね?」
「は、はい!先生から聞きました」
「それが早くもマリアの居場所を発見したことは、こっちも知ってた。だけど、当時の“魔の者”は遠く離れたマリアに直接攻撃できなかったのね。そこで、日本が地震国であることに目を付けた。そこで大きな地震を起こさせて、日本からいぶり出そうとしたという所まで分かってる」
「随分手の込んだことをしますね」
マリアはボンゴレの最後の一口を食べきった。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
煮え切らないのは稲生の方だった。
「あの震災でどれだけの人が死んで、どれだけの人が今でも苦しんでると思ってるんです!?」
「ユウタ。師匠に言ってもしょうがないよ」
「悪魔にとっては、『そんなの関係ねぇ!はい、おっぱっぴー!』って感じでしょう。日本人達の繊細な魂をドカッと手に入れられて、さぞかしホクホク顔だっただろうね。マリアが震災という脅しに屈して再びヨーロッパに戻ってくれば万々歳、それでも日本に残れば残ったで日本人達の魂をごっそり頂けてそれも良しってことよ」
「ヤノフ城や“クイーン・アッツァー”の戦いが、物凄くちっぽけに見えてしまう……」
「でも“魔の者”にとっては、それらの戦いでも勝つ気満々だったから、それでユウタ君に負けて、相当ヘコんだはずよ」
「“魔の者”を今度こそ、この手で倒したいです!」
「その意気よ。でも、まだヤツは再び雌伏の時を過ごしている。悔しいけど、その間は私達は何もできない。今度ヤツがどんな形で現れるか分からないけど、そこを叩くのよ。全力で!」
「はい!」
「それまでの間、ユウタもいっぱい修行して強くならないとな」
「頑張ります!……あ、それと先生、1つお願いが……」
「ああ、いいよ。言いたいことは分かってる。『被災した元実家に行って、現地で手を合わせたい』でしょ?」
「そうです!」
稲生が中学生まで過ごした仙台の元実家は、仙台市東部にあった。
家からは海は見えないし、潮の香りがするわけでもないのだが、しかしそこも津波に飲まれて跡形も無くなった。
「いいよ。行って来な。マリアも一緒に」
「私も、ですか?」
「稲生君がいない間、またあなたも悪夢にうなされたら大変でしょ?」
「そう、ですね。ありがとうございます」
「ありがとうございます」
「お土産は“萩の月”でよろしく」
「は、はい……」
やはり、師匠クラスの大魔道師は喰えぬ者が多い。
稲生はそう思った。
逆に、そういうキャラにならないと、大魔道師にはなれないということなのだろうか。
ノンフィクション作家なら作品として書けそうなものだが、恐らく正式に発表はできまい。
宗門からの検閲に引っ掛かる恐れは大だし、強行出版しようものなら、除名されることだろう。
それにしても、第六天魔王やその眷属達の今やっていることと言ったら……。
今現在、魔王はどこにいる?
もう既に誰かに憑依して、更に大破門事件を起こさせる気か、それとも……憑依先を探して、あなたの後ろに……!
御僧侶から三行半を突きつけられた人は、自分自身や近辺を確認しよう。
そこに第六天魔王がいるということだ。