報恩坊の怪しい偽作家!

 自作の小説がメインのブログです。
 尚、ブログ内全ての作品がフィクションです。
 実際のものとは異なります。

私の宗教観 2

2014-04-07 21:47:58 | 日記
 日蓮正宗、今のお寺に勧誡してまだ1年足らず。
 当然と言えば当然だが、まだ自慢できるほどの功徳は無い。
 罰なら、いくらでもあるが。
 顕正会や創価学会もそうだろうが、宗門法華講も信心に格差がついてないかと思うこの頃。
 信仰心については信徒1人1人に任されているため、これもまた当然なのだろうが、何故か御受誡の話より退転者発生の噂の方をよく聞くのは気のせいか。
 “フェイク”よりこういった情報は私は速い。これも顕正会で活動していた頃の、【ホワホワ】と言えるだろう。
 助けに行かんのかというと、誰も行かないんだね、これがまた……。都会の無関心というヤツは、首都圏の寺院にも蔓延しているのだろうか。
 団結もクソも無ぇな。
 おかげ様で、自由にやらせてもらっているが……。
 行事なら新年にもらったカレンダーや年間予定表に書いてあるから、それで分かる。

 確かに新宗教と比べると、面白味には欠けるだろうな。
 それで、出て行く者ボツボツか……。いっそのこと、誓願そっちのけに差し障りの無い範囲で、慰安旅行でも企画するか?幹事なら社員旅行で経験済みだし。
 顕正会なら思いっきり怒られる考えだが、法華講は如何に?
 それにしても、私が脱会する頃には顕正会もつまらん団体に成り下がってしまったね。
 昔は夏合宿とかあって、私なんか慰安旅行の感覚で参加していたんだけども……。
 会員を労うこともせず、また次の誓願に駆り立てるから逃げてしまうのだ。

 ああ……このネタ、“ユタと愉快な仲間たち”で使わせてもらおう。

 今のところ、1人旅を満喫するのがせいぜいだろう。

 再来週の登山も、1人で行く。
 紹介者が一般企業勤めの為、平日に登山など不可能だからだ。
 私は逆に、土日が仕事で厳しい。
 今週も土曜日は新人研修の補助をしなくてはならないし、日曜日はやっぱり自分の仕事だ。
 その辺はまだ日曜日の労働が原則禁止(安息日)のキリスト教より、
『御宮仕へも法華経と思し召せ』
 と仰る日蓮正宗の方が励まされるような気がする。
 何しろ大聖人御在世の頃は、日曜日は休みという概念が無かったからね。
 当時の日本人は年末年始しか休まなかったんじゃないか?(←その年末年始も働いている人)

 出世して隊長にでもなれば、勤務表は自分が作るから、いくらでも平日働いて週末休むというシフトが作り放題なんだけどね。
 しかし、やっとこさ班長になれるかなれないかといった所では、夢のまた夢だろうな。

 本当に、不器用で損ばかりの人間である。
 こればかりは仏法でも、どうしようもないものだ。
 せいぜい不器用によって引き起こされる不運の排除や、『災い転じて福となす』ように誘導してくれるだけである。
 仏法によって不器用や要領の悪さが直るわけではない。それによる不利益を防いではくれるのが、この仏法だ。
 だから添削・作文で有名な顕正新聞の体験発表でも、そのような内容のものは無いはずだ。
 無論、宗門の“大白法”でもそのような内容は見当たらない。
 これについては、私も結構守られている部分はあったりする。

 今のところ、功徳といったらそれくらいかな。

 まあ、細々とやらせて頂きます。
コメント (1)
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冨士参詣深夜便

2014-04-07 00:20:46 | 日記
増えるDV、摘発に壁 被害届提出に抵抗感(朝日新聞) - goo ニュース

 同居できるだけでも贅沢だと思うのに、何やってんだか……。
 かと思うと、こんな記事もある。

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140404-00000058-mycomj-life

 名指しはされていないが、警備業はピタリと当てはまる。
 恐らくこの記事に出て来る、『専門サービス業』に分類されるのだろうと思う。
 それにしても、『給料が低い』『残業が多い』『勤務形態が不規則』『休みが少ない』の4拍子が気持ちいいくらいに揃っている。
 だからこそ、今生でも幸せを目指す宗門法華講の女性信徒とは合わないのだろうと思う。
 私がこれでは、不幸になるのは目に見えているからだ。
 もし私が仮に結婚を目指すとするならば、他宗派の人を対象にしなければならないだろう。
 何故なら、他宗であれば、それは当然謗法だから、不幸になっても、
「他宗を信仰しているからだ」
 という言い訳ができるし、万が一幸せになれたとしても、
「魔の通力」
 という言い訳もまた成り立つからである。

 というわけで、やっぱり私は、独りでそれなりに幸せになる道を模索した方が世の為のようだ。
 取りあえず現状維持だけでも、細々と信仰を続けて行けば、まあ仏様もそれなりに保障してくださるだろう。……多分。
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