Linkman#41  乱読の後始末

-乱読、精読、積読-

書籍に触発されて「思考と空想」は、知の荒野を駆け巡るのか…

メディア・リテラシーの現場から  小中陽太郎(風媒社)

2009年06月06日 | 本と雑誌
Hitorigaten

 情報媒体の形態や機能は紙ベースから携帯端末に至るまで、等比級数的な技術革新を遂げている。かつてSF小説や漫画雑誌等の中に出ていたテクノロジーやサービスが、目の前に「手頃な商品」として突如として出現する21世紀。
 瞬時に世界中に配信されるコンテンツの信憑性は、如何ほどのモノか?
 確認する術を、我々は本当に持ち得るのだろうか?またまた、眠れぬ夜が続きそうな・・・

○私たちが英文を読むのが遅いのは、アルファベットを1文字ずつ追うからで、ベルグソンではないが、母国語人は塊で読む
○テレビは「虚構」である。番組は構成されたものである。という考えは、意味論の「地図は現地ではない」という命題とともに強く心に残る
○「・・・必ず原典に当たり、確認せよ。一つの事実は、必ず二人のニュースソースから確認しろ」と、何度も言われた
○世論操作:①事実を歪めて嘘をつくこと、②権力にとって都合のよい部分だけを公表し、都合の悪い部分は伏せること、③最も効果的なときを狙って公表すること
○マスコミの報道が、政治の課題を追求することより政局を追いかけることに熱心になっている、という矛盾した報道姿勢
○テレビ:興味の同時性、関心の同時性
○「フランス人は文法を習ったわけではないが、経験の積み重ねが文法となったのである。日本人には、その経験がない」:森有正
○メディア・リテラシーとは:水中の屈折率を教えるようなものではないか
○文法が遺伝子に組み込まれているとしても、ものの価値判断、文化的意味付けは、後天的なものであろう。そうなれば、メディアのコードを読み解くときに世界史を学び、人権意識を学び、美の意識をマスターしない限り一歩も進まないことになる


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