先週、自分の体がむくんでいるのではないかと気付いた、とここで書いたところ
さっそく父から電話がかかり、つぎの診察日にはぜひ主治医に伝えるようにと言われた。そして「ためしてガッテン」のむくみ特集をチェックするよう指示されたのでHPで見ました。
そこで紹介されてた簡単な体操をしたせいか、ここ2,3日は夜に足が痛むこともなくなりました。でも時々アゴの付け根の下あたりが痛むのが気にかかってました。そこって、よく「リンパ腺が腫れてる」と言うときに痛くなるところかなぁ。
転移発覚後、これまでも時々あった些細な不快箇所がもしかして重要な意味を持つのではないだろうか?!と考えることが、まれに、ある。
昨日「このリンパ腺の痛みは何?」とうっすら不安に思っているときに、偶然以前病院で取って来ていたチラシを発見して驚いた。
「リンパ浮腫でお悩みの方へ」というものなんだけど、この今の痛いのって、これなのか
と急速に不安になった。
リンパ浮腫… 乳がん手術後にしばしば見られる症状だというし、早速ネットで検索したら、腋の下のリンパ節を切除したあと腕が上げにくくなるとか、腕が腫れて太くなるなどの症状が出ることを指すらしくって、私のアゴ痛とは別物と分かった。
そういえば、'98の手術後、たしかに私も腕が上がらず、リハビリしてたっけ。
私が、そのリンパ浮腫とやらを免れた要因のひとつは、たぶん、子ども会の
球技大会の練習の手伝いをしたからだと思います。
11月に手術をして、翌4月から小6の娘たちはバレーボールの練習がスタートしました。動きやすい服装で体育館へ行き、球拾いでもすれば体力回復につながるのでは、ぐらいの気楽な気分で行ったのに、お手伝いするお母さんが少なかったせいもあって次第に指導の補助的なことまで頼まれてしまいました。
なにしろ見た目は健康そうな私ですし、手術のことは親しい人にしか伝えてなかったので監督を務めるお母さんに「子どもたちにボールを投げて」と言われたときはどうしようかと思いました。日常生活に支障はきたさないけど、腕を回すことは怖くてできなかった頃でしたから。
で、おそるおそる小ぢんまりとボール投げを始めました。
そのうち子どもがレシーブしてきたボールをさらにレシーブで返したりするようになり、ついにはコートに入って、お母さんチーム対子どもチームで試合もしたりできるようになりました。
腕を使うリハビリの必要性はわかってても、なかなか痛そうなことは手加減してしまうので、あの時の球技大会の手伝いは本当にありがたいと思いました。
その後、なんとなく子ども会の活動が好きになったかもしれません。
アゴ痛は解消してないけど、毎晩ウォーキングしたり、一緒にプリン作ったりする友人たちの存在が私を前へ前へと引っ張ってくれている。昔も今もそんな周りの人に助けられっぱなしのわたしなのさ。
さっそく父から電話がかかり、つぎの診察日にはぜひ主治医に伝えるようにと言われた。そして「ためしてガッテン」のむくみ特集をチェックするよう指示されたのでHPで見ました。
そこで紹介されてた簡単な体操をしたせいか、ここ2,3日は夜に足が痛むこともなくなりました。でも時々アゴの付け根の下あたりが痛むのが気にかかってました。そこって、よく「リンパ腺が腫れてる」と言うときに痛くなるところかなぁ。
転移発覚後、これまでも時々あった些細な不快箇所がもしかして重要な意味を持つのではないだろうか?!と考えることが、まれに、ある。
昨日「このリンパ腺の痛みは何?」とうっすら不安に思っているときに、偶然以前病院で取って来ていたチラシを発見して驚いた。
「リンパ浮腫でお悩みの方へ」というものなんだけど、この今の痛いのって、これなのか
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リンパ浮腫… 乳がん手術後にしばしば見られる症状だというし、早速ネットで検索したら、腋の下のリンパ節を切除したあと腕が上げにくくなるとか、腕が腫れて太くなるなどの症状が出ることを指すらしくって、私のアゴ痛とは別物と分かった。
そういえば、'98の手術後、たしかに私も腕が上がらず、リハビリしてたっけ。
私が、そのリンパ浮腫とやらを免れた要因のひとつは、たぶん、子ども会の
球技大会の練習の手伝いをしたからだと思います。
11月に手術をして、翌4月から小6の娘たちはバレーボールの練習がスタートしました。動きやすい服装で体育館へ行き、球拾いでもすれば体力回復につながるのでは、ぐらいの気楽な気分で行ったのに、お手伝いするお母さんが少なかったせいもあって次第に指導の補助的なことまで頼まれてしまいました。
なにしろ見た目は健康そうな私ですし、手術のことは親しい人にしか伝えてなかったので監督を務めるお母さんに「子どもたちにボールを投げて」と言われたときはどうしようかと思いました。日常生活に支障はきたさないけど、腕を回すことは怖くてできなかった頃でしたから。
で、おそるおそる小ぢんまりとボール投げを始めました。
そのうち子どもがレシーブしてきたボールをさらにレシーブで返したりするようになり、ついにはコートに入って、お母さんチーム対子どもチームで試合もしたりできるようになりました。
腕を使うリハビリの必要性はわかってても、なかなか痛そうなことは手加減してしまうので、あの時の球技大会の手伝いは本当にありがたいと思いました。
その後、なんとなく子ども会の活動が好きになったかもしれません。
アゴ痛は解消してないけど、毎晩ウォーキングしたり、一緒にプリン作ったりする友人たちの存在が私を前へ前へと引っ張ってくれている。昔も今もそんな周りの人に助けられっぱなしのわたしなのさ。