iPhone 3GSで産経新聞をただ読みは今も続いている。この新聞、反民主党政権色がかなり強いような気がしたが、その印象は間違っていなかったようである。では自民党を支持するのか、といえばそのような感じもしない。しかし今週、平沼赳夫氏と与謝野馨氏が新党を立ち上げることになり、その応援団を自認する石原慎太郎都知事の「日本よ 日本は、立ち上がれるか」という記事を今日の朝刊第一面から二面にわたって掲載するぐらいだから、平沼・与謝野新党支持を打ち出すのかもしれない。海のものとも山のものとも分からないこの新党を、政権の座にまで引っ張り上げるチャンスが肩入れ次第ではあり得ると産経が踏ん切ったら面白いな、と思ったりする。
石原氏の記事と同じく私の注目したのが「正論」として掲載された国際日本文化研究センター所長・猪木武徳氏の「若い研究者にチャンスを与えよ」という主張である。一部(というよりほとんどか)を抜粋する。
理科系の私がまったくその通り、と共感する主張が、文科系の方からも出されているのが新鮮に感じる。ただ編集部のつけたタイトルかもしれないが、「若い研究者にチャンスを与えよ」という年長者的物言いが引っかかる。自戒をこめて年長者仲間に呼びかけているのだろうか。しかし本当に必要なのは、ここで説かれた全てを若い研究者自らが勝ち取ろうという意欲とそれを行動に移すことなのである。
石原氏の記事と同じく私の注目したのが「正論」として掲載された国際日本文化研究センター所長・猪木武徳氏の「若い研究者にチャンスを与えよ」という主張である。一部(というよりほとんどか)を抜粋する。
しかし時は経つものだ。最近は、自分がそうした集まりで、一番の年寄りになっているのに驚くことが多い。と同時に、自分は若い人の成長の機会を奪って邪魔をしているだけではないかと自省することがある。若い人達が、実地経験のチャンスを与えられず、力を発揮できないケースが、日本で目に付くようになったからだ。
例えばオリンピックでも、「何回目の出場」が強調されると、本当に褒められるべきなのか複雑な気分になる。決められた出場枠では、若い人が本番を経験する機会が奪われることになるからだ。
この点、学術の世界では米国と日本は対照的だ。例えば研究助成金の配分について、アメリカ国立科学財団(NSF)のグラント(補助金)と日本の文科省科学研究費助成金を比べると、その力点の違いがわかる。
NSFのグラントは、科学、工学、社会科学をカバーする、年間60億ドル(約6千億円)という膨大な額の研究費である(医学系統は別枠)。額の大きさもたいしたものだが、その配分方法に、若手研究者を育てようという強い意識が読み取れる。
例えばオリンピックでも、「何回目の出場」が強調されると、本当に褒められるべきなのか複雑な気分になる。決められた出場枠では、若い人が本番を経験する機会が奪われることになるからだ。
この点、学術の世界では米国と日本は対照的だ。例えば研究助成金の配分について、アメリカ国立科学財団(NSF)のグラント(補助金)と日本の文科省科学研究費助成金を比べると、その力点の違いがわかる。
NSFのグラントは、科学、工学、社会科学をカバーする、年間60億ドル(約6千億円)という膨大な額の研究費である(医学系統は別枠)。額の大きさもたいしたものだが、その配分方法に、若手研究者を育てようという強い意識が読み取れる。
博士号を取得した若手研究者は、米国では多くの場合、主任研究員(PI)のグラントで助成される。一人前の独立した研究者として、かなり大きな研究プロジェクトの助成対象者となるのである。ボス教授の研究テーマの研究費を一部「頂戴(ちょうだい)する」というような形は主流ではない。(中略)
若手を何とか経済的に、そして人格面でも独立させようというスタイルが、米国では「大学院教育への意欲」ともうまく結びついている。将来性のある学生を見つけ出し、自分の(研究テーマではなく)研究分野に引き込み、力を発揮させると、自分の研究テーマの質自体も高まるということを先生は知っているのだ。
米国方式が、優れた独立心の強い若手研究者を生みだし、科学研究を促進させる力があることは疑い得ない。米国の優れた若い研究者は自分の責任のもとでの、成功と失敗のチャンスを与えられているのである。
日本の偉い学者のなかには、自分の方法がベストだと過信し、若い人にそれを「押し付け」ようとするケースが目立つといわれる。行き過ぎた「徒弟制度」は学問の進歩を阻害する。すべての学問知が、その時、その時代、という相対性を持っている以上、若い研究者に自分の研究テーマや方法を「押し付け」てはならない。
若手を何とか経済的に、そして人格面でも独立させようというスタイルが、米国では「大学院教育への意欲」ともうまく結びついている。将来性のある学生を見つけ出し、自分の(研究テーマではなく)研究分野に引き込み、力を発揮させると、自分の研究テーマの質自体も高まるということを先生は知っているのだ。
米国方式が、優れた独立心の強い若手研究者を生みだし、科学研究を促進させる力があることは疑い得ない。米国の優れた若い研究者は自分の責任のもとでの、成功と失敗のチャンスを与えられているのである。
日本の偉い学者のなかには、自分の方法がベストだと過信し、若い人にそれを「押し付け」ようとするケースが目立つといわれる。行き過ぎた「徒弟制度」は学問の進歩を阻害する。すべての学問知が、その時、その時代、という相対性を持っている以上、若い研究者に自分の研究テーマや方法を「押し付け」てはならない。
既存の知識の教育は徒弟制度で体系的に行える部分が多い。しかし新たな概念や思考を生み出すための教育、人間や社会の問題を解決しようとする力を養う教育は、年長者が「押し付ける」ことでは成功しない。(中略)
科学の世界では、年長者の下で既存知識の「系」をほじくるだけでは革新は起こらない。人間を対象とする学問や社会を改良するための学問にも、結論だけを「押し付け」ることなく、人間の批判精神を高め、解決を求める意欲と粘り強さを養うことが重要なのだ。
一部の日本の教育現場にまだ残存する政治イデオロギー、既存の知識の詰め込み、年長者支配といった旧体制を少しでも和らげることこそ、若者に機会を与え、その力を引き出すために必要な第一歩なのだ。(強調は私)
科学の世界では、年長者の下で既存知識の「系」をほじくるだけでは革新は起こらない。人間を対象とする学問や社会を改良するための学問にも、結論だけを「押し付け」ることなく、人間の批判精神を高め、解決を求める意欲と粘り強さを養うことが重要なのだ。
一部の日本の教育現場にまだ残存する政治イデオロギー、既存の知識の詰め込み、年長者支配といった旧体制を少しでも和らげることこそ、若者に機会を与え、その力を引き出すために必要な第一歩なのだ。(強調は私)
理科系の私がまったくその通り、と共感する主張が、文科系の方からも出されているのが新鮮に感じる。ただ編集部のつけたタイトルかもしれないが、「若い研究者にチャンスを与えよ」という年長者的物言いが引っかかる。自戒をこめて年長者仲間に呼びかけているのだろうか。しかし本当に必要なのは、ここで説かれた全てを若い研究者自らが勝ち取ろうという意欲とそれを行動に移すことなのである。
チャンスは与えられるのではなく、やはりつかみ取るものです。