日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

「次世代スーパーコンピュータ開発に関する緊急声明」に目を通して

2009-11-20 11:03:42 | 学問・教育・研究
次世代スーパーコンピュータプロジェクトが、今回の「事業仕分け」で、「来年度の予算計上の見送りに限りなく近い縮減」と結論された。それをうけて、計算基礎科学コンソーシアムがタイトルのような声明を出して、『今回の事業仕分け作業における唐突な結論は、我が国の科学技術の進歩を著しく阻害し国益を大きく損なうものであり、不適切であると言わざるを得ない。我々、計算基礎科学コンソーシアムは、次世代スーパーコンピュータプロジェクトの遅延無き継続を強く求める』とアピールしている。しかしこの強調部分(私、以下同じ)にしても具体的な指摘が無いものだから、「なるほど」としか反応できない。そう思ってこの緊急声明に目を通すと、きわめて限られた仲間内で交わされる符牒のような言葉が世間にも通用すると思い込んでいる科学者の夜郎自大ぶりが浮かび上がってくる。たとえば次のような所である。

基礎科学の研究においても、スーパーコンピュータの重要性はますます拡大しつつある。なかでも自然界に対する人類の知識を深める物理学においては、20世紀を通じて明らかになってきた素粒子の基本法則に基づいて、宇宙の誕生から物質の創生、そして銀河や星の形成にいたる宇宙の歴史全体をも理解することが可能になりつつある。 特に、実験や観測で調べることのできない領域を探索するための唯一の方法はスーパーコンピュータを使ったシミュレーションであり、国際的にもこのような認識のもとでスーパーコンピュータの整備強化が進められている。

宇宙の歴史全体をも理解することが可能になりつつあるとは大きく出たものである。でも私の動物的直感はこれが全くの絵空事であると告げている。そんなことよりスーパーコンピュータを使うと日本全国で天気予報を百発百中当てることが出来るようになる、とでも言ってくれた方が遙かに分かりやすい。現状では天気予報はよほど出来の悪いコンピュータを使っているせいなのか、結構外れてくれる。天気予報のはずれは誰の目にも直ぐに分かるから誤魔化しようがない。だからこそスーパーコンピュータを使ったシミュレーションが百発百中の天気予報を可能にしますと見えを切ることが(できれば)、説得力をいや増すというものだ。それがこともあろうに検証不可能であることをいいことにして、宇宙の歴史全体をも理解することが可能とは吹きも吹いたな、としか言いようがない。かりに今回のスーパーコンピュータシステムが完成したとしても、たちまち世界最高性能の座を他に譲らざるを得ないだろう。その時にまた世界最高性能のスーパーコンピュータの必要な理由として宇宙の歴史全体をも理解することが可能といううたい文句が再登場すること間違いなしである。未来永劫使用可能なうたい文句としては秀逸としか言いようがない。

これまで理化学研究所が進めてきた次世代スーパーコンピュータ開発は、世界最高性能をもつ汎用スーパーコンピュータの実現を大きな目標の一つとしてきた。世界最高性能を目指すことは、新たな革新的技術を開拓する原動力であり、そこから幅広い科学と技術における世界をリードする成果が出てくることが期待される。さらに、この次世代スーパーコンピュータ施設は、関連する国内の大学・研究機関・企業等の相互交流や、将来を担う研究者や技術者の人材育成など、ソフト面の強化を通じて科学技術の進歩をさらに加速する拠点としての役割も期待されている。

これほど輝かしい展望が広がっているのに、なぜ当初このプロジェクトに参加していた日本の三大コンピュータメーカーのNEC、日立、富士通のうち,NECと日立の2社が今年の5月になって逃げ出したのだろう。どういう言葉で言い繕うと、NECと日立の2社が脱落した事実は誰の目からも隠すことは出来ない。この厳然たる事実を目の前にすると国内の大学・研究機関・企業等の相互交流や、将来を担う研究者や技術者の人材育成のくだりの空々しさがこの声明の白々さを印象づける。世界最高性能を目指すことは、新たな革新的技術を開拓する原動力も確かにそうなんだろうが、それよりもインテルを凌駕する一大ITメーカーが生まれること疑いなし、と言って方がパソコンに馴染んだ国民には遙かに説得力がある。スーパーコンピュータどころかパソコンも無い時代に昔の人は東大寺大仏殿や姫路城を築造してきた。この歴史的事実を一つ取り上げるだけでも、スーパーコンピュータが世界最高性能を目指すことは、新たな革新的技術を開拓する原動力とはなんと烏滸がましい決めつけなのだろうと思ってしまう。

ところでこのような私の批判と一見矛盾するようであるが、国民の誰もが分かるようなことにしか国家予算を注ぎ込むべきでないとしたら、基礎科学研究などにお金が廻ってくることはまず無いだろうし、また時代を大きく先取りした巨大事業が生まれることもなかろうと私は思う。だからこそ何事であれ専門家の目線で戦略的決断を下すことの重要性を私は一方では否定しない。その場合に決断を下した側に説明責任が生じることは当然である。その意味では「次世代スーパーコンピュータ開発に関する緊急声明」に私は説明責任を期待したのであるが、それがあまりにも期待はずれであったのでつい突っ込みを入れてしまった。この緊急声明に名を連ねた科学者の方々の紋切り型でない胸の思いを披瀝して国民の理解を得る一層の努力を期待したいのであるがいかがなものだろう。