日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

ドイツ語の歌「Die Beiden Grenadiere] ドイツ語の詩「ダス トモネ」

2009-04-12 12:23:56 | 音楽・美術
今、ヴォイス・トレーニングでSchumanの「二人の擲弾兵」を練習している。歌詞はHeinrich Heineの詩である。

Die Grenadiere Heinrich Heine

Nach Frankreich zogen zwei Grenadier,
Die waren in Rußland gefangen,
Und als sie kamen ins deutsche Quartier,
Sie ließen die Köpfe hangen.

Da hörten sie beide die traurige Mär:
Daß Frankreich verloren gegangen,
Besiegt und zerschlagen das große Heer -
Und der Kaiser, der Kaiser gefangen.

Da weinten zusammen die Grenadier
Wohl ab der kläglichen Kunde.
Der eine sprach: Wie weh wird mir,
Wie brennt meine alte Wunde!

Der andre sprach: Das Lied ist aus,
Auch ich möcht mit dir sterben,
Doch hab ich Weib und Kind zu Haus,
Die ohne mich verderben.

Was schert mich Weib, was schert mich Kind,
Ich trage weit beßres Verlangen;
Laß sie betteln gehn, wenn sie hungrig sind -
Mein Kaiser, mein Kaiser gefangen!

Gewähr mir, Bruder, eine Bitt:
Wenn ich jetzt sterben werde,
So nimm meine Leiche nach Frankreich mit,
Begrab mich in Frankreichs Erde.

Das Ehrenkreuz am roten Band
Sollst du aufs Herz mir legen;
Die Flinte gib mir in die Hand,
Und gürt mir um den Degen.

So will ich liegen und horchen still,
Wie eine Schildwach im Grabe,
Bis einst ich höre Kanonengebrüll
Und wiehernder Rosse Getrabe.

Dann reitet mein Kaiser wohl über mein Grab,
Viel Schwerter klirren und blitzen;
Dann steig ich gewaffnet hervor aus dem Grab -
Den Kaiser, den Kaiser zu schützen.

ほぼ暗譜で歌えるようになったので、近々私の歌唱を公開するつもりである。実は昔、ほぼ歌詞を覚えていたのにいつの間にか忘れてしまった。割合と長い歌なので通して歌うチャンスのなかったことが原因だろうと思う。ドイツ語らしい響きが快い。パリのアンヴァリッド(廃兵院)にあるナポレオンのお墓では、ひとりでにメロディーを口ずさんでいた。

この「二人の擲弾兵」でふと昔のあることが甦ってきたのである。阪大でまだほやほやの助手の頃、研究室に新入生が入ってきて歓迎コンパの席上で、その一人が朗々とドイツ語の詩を暗唱した。確かにドイツ語のようであるがそれにしては実によく分かる。そして聞き終えてずっこけてしまった。なぜかはともかく、つくずく昔の大学生は学があったと思う。教養部健在なりし頃である。縁あって私がその彼の卒業研究を指導することになり、その後就職した大手化学薬品会社を停年退職した今でも季節の挨拶を交わしている。

その詩を書き付けて貰って覚えようかと思ったが、私は曲がりなりにも先生である。威厳を失墜させてはならじ、と我慢した。ところが私の真剣な思いが神に通じたのかその十数年後、なんと井上ひさし氏の著作の中でその詩の全文にお目にかかったのである。ハイネの詩だった。そしてさらに三十年近い星霜を重ね、どの小説だったかすっかり忘れてしまっていた。このたび「二人の擲弾兵」を歌う機会に気になっていたこのハイネの詩を探すことにして、先ほど遂に見つけ出したのである。もう忘れることがないようにここに書き付けておく。ドイツ語を囓った方はもちろん、ドイツ語を習ったことのない人でも声をちゃんと出して読み上げるとほぼ意味が通じるはずなので、どうぞお試しあれ。

ダス トモネ     ハインリッヒ・ハイネ

イッヒ アッテ アイネ メッチェン アルヒハイデルベルヒ。
ウント ヒトメボレルン ダス メッチェン、
ヤーボール ツレコムシュタット ヤス ホテルン。
イッヒ オシタオシーテン ウーバー フートン シーテン、
ウント トリンケン パンティッヒ。
イッヒ フンバルト ディッヒ ノケゾルレン ウーバー マットレス、
ウント ゲザークト コンメコンメ イッヒ モルテ。
アイン ツバイ ドライ クリカエシテット ダス メッチェン ナキダシテン、
イッヒ ヤバイケン ニゲタッテン。
バッテン メッチェン=ムッター ソク コンメ、
ウント セマリケン ハイラーテン。・・・・・マイン カンプ エンデ。

ちなみにこの詩の出典は次の本。何ページにあるかは宝探しをお楽しみあれ。




テレビ映画で連夜の夜更かし

2009-04-10 23:37:34 | Weblog
多分予告編で知ったのだろう、NHKハイビジョンで去る月曜の夜11時から「オリエント急行殺人事件」を観た。この映画は何遍もテレビで観ている安心感もあったのだろう、半分以上はうとうとしながらも終わりまで付き合った。火曜日はロバート・ミッチャム主演の「さらば愛しき女よ」となると久しぶりのハードボイルドとあって、居眠りをすることもなく楽しんだ。水曜日はジョン・グリシャム原作の「依頼人」。以前に観ているはずだけれどすっかり内容を忘れてしまっているので、これも引きずり込まれた。そして木曜日がクリント・イーストウッド監督・主演の「ブラッド・ワーク」で、これは私にとっては始めての作品だった。

なんと主役の元FBI捜査官が心臓の移植手術をうけるという現代医学のホットな話題を軸に、サスペンス・ストーリーが展開する筋立てがスリルを呼んでなかなか面白い映画に仕上がっていた。しかしこの映画のようなことが現実に起こりうる可能性を否定しきれないだけに、サスペンスを楽しむだけとは割り切れなかった。

午後11時から始まって終わるのは翌午前1時前後。私は日常午前0時を廻った頃に就寝するので、この中途半端な時間に引っかかったが、結局四夜とも最後まで付き合ってしまった。その上、ベッドに入ってからも最低30分は読書するので、実際に就寝するのが午前1時半から遅い時には2時になってしまい、生活のリズムが狂ってしまった。まずブログが書けない。その間、ヴォイストレーニングもあるので睡眠不足の声帯が気になるし、今日は朝鮮語初級講座の新学期で居眠りが出来ないので、とにかく大変だった。今夜は何も無かったので明日からはまた元に戻ってくれることと期待している。何を考えてこんな中途半端な時間にNHKハイビジョンは映画を放映したのだろう。

ミサイル騒ぎとマスメディア

2009-04-06 10:11:39 | Weblog
asahi.comが今回のミサイル騒ぎについて、次のような駐日特派員の見方を伝えている。

《■韓国紙・東亜日報の徐永娥(ソ・ヨンア)・東京支局長(43)

 発射予告の後、日本社会は全体的に神経をとがらせすぎていたように見えた。まるで戦争が迫っているかのように伝えたメディアもあった。

 北朝鮮の意図は国際社会の注目を集めることだから、残念ながら日本について言えば、成功してしまっている。韓国に比べて日本は全体的に軍事的脅威に対する免疫がないのではないかとも思う。

 4日には防衛省で情報伝達ミスがあった。緊張した場面でこのようなミスがあるようでは、本当に軍事的に重要な局面できちんとした対応ができるのか不安になる。

 ■ニューヨーク・タイムズのマーティン・ファクラー東京支局長(42)

 ワシントンやソウルの冷静さに比べて、日本は騒ぎすぎた。北朝鮮は、米国がオバマ政権になりあまり注目されなくなったから、パフォーマンスをやっているだけ。

 拉致問題もあり敏感になるのは分かるし、政治家は総選挙前で国を守っているところを見せたかったのだろうが、北朝鮮に攻撃の意図がないことは分かっていたはず。バランスに欠け、パフォーマンスに負けたと言える。誤報は、緊急事態の経験不足で起きたのだろうが、全体から見れば大きな問題ではないと思う。 》(2009年4月6日5時10分)

「ミサイル発射」の号外まで出した朝日新聞が、しれっとこのような記事を流すのがまた朝日らしい。ミサイル報道を一切無視していたら異彩を放っただろうに、戦前からの習いでそのような見識も勇気もないのだから仕方がない。

実験目的(実戦ではない)のミサイル発射だけでこれだけの騒ぎである。私のような戦前・戦中世代にいわせると、ばっかじゃなかろうか、なんであるが、実はマスメディアにしても実害の及ばないことを見越しての騒ぎたてだから、きわめてたちが悪いと言える。しかし騒ぎ立てたのはマスメディアだけで、国民の多くは醒めた見方、すなわち上の駐日特派員のような考え方をしていたように思う。私は良識ある国民の常識を信じるからである。

このようなマスメディアが国民からそっぽ向かれる日の来ることが一日もはやからんことを祈っている。

小浜へ雨中ドライブ 椿よりとれとれ寿司

2009-04-05 12:29:06 | Weblog
昨日(4月4日)の天気予報では近畿地方は雨で、南部ほど強いということだった。傘をさしてのお花見はもう一つなので、ふと思い立ってドライブをすることにした。何日か前に舞鶴の椿の名所でいろんな椿が咲いている様子をテレビで観たことを思いだしたのと、週末には高速料金がETC搭載車だと最大限1000円止まりというので、その両方に釣られたのである。車をガレージから出した途端に雨粒がぱらぱらと落ち始めた。

阪神高速七号線から北六甲有料道路、中国自動車道を経て舞鶴自動車道に入りひたすら北上する。中国道区間は車が少し多かったがあとはまばらでとても走りやすい。途中パーキングエリアに一度車を停めただけで、家を出てから90分ほどで早くも舞鶴東インターチェンジまで来た。ここで中国自動車道と舞鶴自動車道の通行料として1000円を払い(ETCカードにチャージ)高速を出て舞鶴を目指すことにしたが、椿の名所がどこなのか、何も調べずに家を飛び出したことに気づいた。

私には矛盾したところがあって、何事も納得がいくまで丹念に調べるところと、その反面、何も調べずに成り行き任せとして、なにかことが起こると臨機応変の対応を愉しむところがある。昨日は後者の方であった。持ち出した道路地図も1999年発行で舞鶴自動車道路は舞鶴東が終点だったのである。とにかく行き先が分からなければ行きようがない。それに雨も間欠ワイパーを使う程度に降ってきたので椿を探し廻る気分にもなれず、それよりお昼時になったので腹具合の方が気になったきた。せっかく日本海までやって来たのだから海の幸をと思い、小浜の若狭フィシャーマンズ・ワーフを目指すことにした。この存在は何かで知っていたし、10年前の地図にもちゃんと出ていたのである。

27号線をとことこと走っているうちに高浜原発や大飯原発の標示を見かけた。福井県は美浜原発を含めて三箇所の原発施設を抱えている原発大県なのである。やがて小浜市に近づき、地図と感を頼りに一発で若狭フィシャーマンズ・ワーフに辿り着く。二階にレストランがあったが、一階のとれとれ寿司の方が面白そうなので、こちらに入った。

ここでは《毎朝近くの魚市場で競り落とした魚介類を、刺身・寿司のネタにしています。》ということで、品揃えが豊富で本当に美味しそうなものばかりである。売り場の横にはテーブルと椅子があって、買ったものをその場で食べることが出来る。魚貝類のだしのきいた味噌汁がお一人様一杯無料サービスというのがある。「地物づくし」「ぼたん海老」その他(?)を意地汚くほおばって堪能してしまった。なかには白飯とお刺身に舌鼓を打っている人たちもいた。一度ではすべてを味わえないので、次の機会がまた楽しみである。

佐久間艇長、杉田玄白、梅田雲浜などの像とか若狭塗りのお店などを訪ねてみたかったが、雨がだんだんと激しくなってくるし、こんなに簡単に来られるのならまた来ればよいと思い、新しく出来ていた小浜西インターから舞鶴若狭道に入り、雨中ドライブを愉しみながら2時間半でわが家に帰ってきた。わざわざ日本海までお昼を食べに出かけたようなものだから、いやはやである。でも、楽しかった。


一人で歌うDong-shim-cho (同心草)とその由来

2009-04-03 18:28:47 | My Song
私の大好きな朝鮮の歌、동심초の元はなんと唐の芸妓、薛涛が作った詩であった。

中央日報に次のような記事がある。

《名前そのものは聞き慣れないが、私たちに親しまれている歌謡「同心草」の原作詞者だ。「花びらは止めどなく風に散り、会う日はかなた約束もなく…」という内容は40代以上の人なら一時静かに吟じたことがある大衆歌謡だ。

薛涛が書いた「春望詞」という詩を金素月(キム・ソウォル)の師である詩人、金億(キム・オク)が飜案して付けた。全体の詩の内容をそのまま生かすことはできなかったが、一段落を移して書いた歌詞は哀切な曲調とともに解放直後、慌しかった人々の心に大きく響いた。

歌に出る「心を心を結ぶことができず、むなしくも草の葉ばかり結ぼうとするのか」という内容は薛涛の詩「心をひとつにしようとする人とは結ばれず、ただ同心草のみを編む(不結同心人、空結同心草)」という有名な句節を意訳したのだ。》

また「杉篁庵日乗」さんの「薛濤の春望詞」にはこの詩の詳しい解説がある。

《今日は薛濤(せつとう)の「春望詞」です。
「漢詩百人一首」や「漢詩百選・人生の哀歓」は「春望詞」の「其三」を載せています。しかし、四首まとめて読みたい詩です。》

とあって、「其三」とは次の詩である。

風花日將老 佳期猶渺渺
不結同心人 空結同心草

これを読み下せば

風花 日に将に老いんとするに、
佳期 猶ほ渺渺(べうべう)たり。
同心の人を結ばずして、
空しく同心の草を結ぶ。

薛濤は次のように紹介されている。

《薛濤(字・洪度、768年-831年)は中唐の伎女・詩人。魚玄機とならび詩妓の双璧と称されます。韓愈や白居易と同年輩です。もと長安の良家の娘でしたが、父について蜀(四川省)へ行き、のち妓女となりました。彼女が作った深紅の小彩がついた詩箋(原稿用紙・色紙のようなもの)は、当時「薛濤箋」として持てはやされました。また、王羲之の書法を学んだ書家としても認められ、その一片は宋の宮廷に秘蔵されていたといいます。》

いやはや、なんとも凄い女性である。

この詩の朝鮮語訳が次の通りである。

風花日將老 (풍화일장노) 꽃잎은 하염없이 바람에 지고
佳期猶渺渺 (가기유묘묘) 만날 날은 아득타 기약이 없네
不結同心人 (불결동심인) 무어라 맘과 맘은 맺지 못하고
空結同心草 (공결동심초) 한갓되이 풀잎만 맺으랴는고 (문제의 구절)

漢詩の後の括弧の中は漢字の朝鮮語読みで、それに続くのが翻訳であろう。翻訳者がもしかすると複数いるのではなかろうか。歌の二番の出所が今のところ不明である。

一方、作曲者は1910年生まれ(奇しくも亡母と同年の生まれ)金聖泰(김성태)さんで、間違いなく朝鮮の方であろう。まだ原譜にはお目にかかっていないが、その画像をたまたま手にしたので スコアメーカーで復元してみた。Sumi Joさんはもちろん原調で歌っているが、私は短二度下げて歌うことにした。まずは一人でお稽古始めである。





エイプリル・フールに寄せて 私が女?

2009-04-01 20:25:35 | Weblog
韓国・朝鮮語教室の後、お昼を一緒にする仲間は私以外は女性だったし、一弦琴の会でも長い間周りは皆女性だった。はるか昔のことになるが、私の所属する学会で「女性研究者の座談会」を催した時も、司会の私以外は全員女性だったし、さらに昔に遡れば、学生時代に大学に女子寮を作る運動をやっていた頃、仲間はすべて女性だった。別にフェミニストでもなんでもないが、私の趣味とか好みが女性的だったのか、昔から女性とは相性がよかったように思う。大勢の女性の中へも恐れずに入っていけるし、違和感を感じることもない。女性にしても私がとくに意識すべき存在でもないようである。私が女性の中に素直に溶け込んでいるからであろう。

そのことと関係があるのかどうか、私はある時、自分が女性であることを発見したのである。エイプリル・フールだからと出鱈目を言っているのではない。ちゃんとした証拠をお目にかける。



これはかってカリフォルニアに住んでいた頃の運転免許証であるが、Sexの欄にFと記されている。Sexといっても「twice a week」のような意味ではなくて、Gender、即ち性別で、Fは間違いもなく女性Femaleを指す。カリフォルニアのスーパーで週一回のまとめ買いをした時は個人小切手で支払ったものだが、その時に必ず提示を求められるのが運転免許証であった。一度たりとも不審に思われたことがないから、私は堂々と女性で通っていたのである。エヘン。