日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

痴漢裁判の子細と問題点 そして痴漢退治法

2009-04-16 16:40:16 | Weblog
昨日(4月15日)の朝日朝刊第一面で、強制わいせつ罪で一審、二審とも有罪となった被告人に対して、最高裁第三小法廷は懲役1年10ヶ月の実刑とした一、二審判決を破棄して無罪を言い渡した、と報じた。その最高裁判例によると、事件は次のようなものである。

《本件公訴事実の要旨は、「被告人は,平成18年4月18日午前7時56分ころから同日午前8時3分ころまでの間,東京都世田谷区内の小田急電鉄株式会社成城学園前駅か下北沢駅に至るまでの間を走行中の電車内において、乗客である当時17歳の女性に対し、パンティの中に左手を差し入れその陰部を手指でもてあそぶなどし、もって強いてわいせつな行為をした」というものである。》(1ページ)

被害者の供述で、被告人を犯人とした核心部分は次の通りである。

《(前略)「成城学園前を出ると、今度は,スカートの中に手を入れられ、右の太ももを触られた。私は、いったん電車の外に出たのにまたするなんて許せない、捕まえたり、警察に行ったときに説明できるようにするため、しっかり見ておかなければいけないと思い、その状況を確認した。すると、スカートのすそが持ち上がっている部分に腕が入っており、ひじ、肩、顔と順番に見ていき、被告人の左手で触られていることが分かった。その後、被告人は、下着のわきから手を入れて陰部を触り、さらに、その手を抜いて、今度は、下着の前の方から手を入れて陰部を触ってきた。その間、再び、お互いの左半身がくっつくような感じになっていた。私が、下北沢に着く直前、被告人のネクタイをつかんだのと同じころ、被告人は、私の体を触るのを止めた。」》(4ページ、強調は引用者、以下同じ)

この強調部分で明らかなことは、被害者が自分の身体に触れているとおぼしき腕が被告人の左手であることを視認しているのである。痴漢行為のあったことと、その痴漢が被告人であることを確認しているのであるから、被告人が痴漢であることを疑う余地はないものと思われる。裁判所の言葉では、このような供述を「詳細かつ具体的」、「迫真的」、「不自然・不合理な点がない」と言うようである。だからこそ一審、二審とも有罪判決となったのであろう。この供述通りだと被告人が犯人であることを疑う余地はなさそうであるが、最高裁判決は次のように結論したのである。

《以上のとおり,被告人に強制わいせつ罪の成立を認めた第1審判決及びこれを維持した原判決には,判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があり,これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。そして,既に第1審及び原審において検察官による立証は尽くされているので,当審において自判するのが相当であるところ,本件公訴事実については犯罪の証明が十分でないとして,被告人に対し無罪の言渡しをすべきである。》
と言うことで

《主文

原判決及び第1審判決を破棄する。
被告人は無罪。》

となった。

被害者によるあれほど「詳細かつ具体的」、「迫真的」、「不自然・不合理な点がない」供述があるにもかかわらずこの判決とは、と首をかしげた。私のこの反応が的外れでもないことは、最高裁小法廷の五人の裁判官の間で無罪が三人に対して有罪が二人と意見の分かれたことで裏付けされよう。そこでこの最高裁判決をじっくり読んでみたところ、裁判官の判断になるほどと思わされるところがいくつか出てきたのである。

無罪側の那須弘平裁判官が「詳細かつ具体的」、「迫真的」、「不自然・不合理な点がない」供述の評価を補足意見で述べているのであるが、そのきわめて常識的な見解に私は共感してしまったのである。全文はほぼ4ページにわたるが、私が最も注目したのは次の箇所である。それは《被害者が公判で供述する場合には、被害事実を立証するために検察官側の証人として出廷するのが一般的であり、検察官の要請により事前に面接して尋問の内容及び方法等について詳細な打ち合わせをすることは,広く行われている。(中略)検察官としても,被害者の供述が犯行の存在を証明し公判を維持するための頼りの綱であるから、捜査段階での供述調書等の資料に添った矛盾のない供述が得られるように被害者との入念な打ち合わせに努める。》と述べた後に、《このような作業が念入りに行われれば行われるほど、公判での供述は外見上「詳細かつ具体的」、「迫真的」で、「不自然・不合理な点がない」ものとなるのも自然の成り行きである。これを裏返して言えば、公判での被害者の供述がそのようなものであるからといって,それだけで被害者の主張が正しいと即断することには危険が伴い、そこに事実誤認の余地が生じることになる。》(7-8ページ)と続いている。

そういえば今朝(4月16日)の朝日朝刊によると、朝日新聞阪神支局襲撃(87年)事件の実行犯を名乗る人物の手記を週刊新潮が連載した問題で、週刊新潮が誤報を認めた、とのことであるが、週刊新潮は《物証が見つからない中で、「実名での告白を重く見過ぎた」「証言が詳細だった」ことを挙げ、取材した関係者があいまいな対応をしたことで「状況証拠が積み重なったように錯覚した」》と説明したようである。「証言が詳細だった」ことに騙された典型的な例がここにもある。

これでもって、いくら供述が「詳細かつ具体的」、「迫真的」、「不自然・不合理な点がない」であっても、必ずしも信をおけない状況のありうることが分かる。やはり物証とか第三者の証言で補強されることが重要になってくる。それにしても上の強調部分のように被告人を犯人と断定している供述がそのまま素直に通らないとなると、やはり白黒をはっきりつけて欲しいと言う気になるが、よく注意してみると、最高裁判決では被害者の証言の信憑性にかなり積極的な判断を示しているようなのである。それが逆転無罪の判決に繋がっているように私には思えた。そして、そう思ってみると、この事件の経緯に、いくつもの疑問点が私なりに生じてきた。それを述べる前に、最高裁判決に従って事件を再現してみるが、なんと驚いたことに事件の起こりが、私がほぼ一ヶ月前に武相荘を訪れた時に下車した小田急線鶴川駅なのである。少々長いが、明らかな事実とされている箇所をそのまま引用する。Aは被害者のことである。

《(1) 被告人は、通勤のため、本件当日の午前7時34分ころ、小田急線鶴川駅
から、綾瀬行き準急の前から5両目の車両に、Aは、通学のため、同日午前7時4
4分ころ、読売ランド前駅から、同車両に乗った。被告人とAは、遅くとも、本件
電車が同日午前7時56分ころ成城学園前駅を発車して間もなくしてから、満員の
上記車両の、進行方向に向かって左側の前から2番目のドア付近に、互いの左半身
付近が接するような体勢で、向かい合うような形で立っていた。
 (2) Aは、本件電車が下北沢駅に着く直前、左手で被告人のネクタイをつか
み、「電車降りましょう。」と声を掛けた。これに対して、被告人は、声を荒げ
て、「何ですか。」などと言い、Aが「あなた今痴漢をしたでしょう。」と応じる
と、Aを離そうとして、右手でその左肩を押すなどした。本件電車は、間もなく、
下北沢駅に止まり、2人は、開いたドアからホームの上に押し出された。Aは、そ
の場にいた同駅の駅長に対し、被告人を指さし、「この人痴漢です。」と訴えた。
そこで、駅長が被告人に駅長室への同行を求めると、被告人は、「おれは関係ない
んだ、急いでいるんだ。」などと怒気を含んだ声で言い、駅長の制止を振り切っ
て、車両に乗り込んだが、やがて、駅長の説得に応じて下車し、駅長室に同行し
た。
 (3) Aが乗車してから、被告人らが降車した下北沢駅までの本件電車の停車駅
は、順に、読売ランド前、生田、向ヶ丘遊園、登戸、成城学園前、下北沢である。》

また次は被害者の供述である。最初の引用と重複しているところもある。

《Aは、第1審公判及び検察官調書(同意採用部分)において、要旨、次のよ
うに供述している。

「読売ランド前から乗車した後、左側ドア付近に立っていると、生田を発車して
すぐに、私と向かい合わせに立っていた被告人が、私の頭越しに、かばんを無理や
り網棚に載せた。そこまで無理に上げる必要はないんじゃないかと思った。その
後、私と被告人は,お互いの左半身がくっつくような感じで立っていた。向ヶ丘遊
園を出てから痴漢に遭い、スカートの上から体を触られた後、スカートの中に手を
入れられ、下着の上から陰部を触られた。登戸に着く少し前に、その手は抜かれた
が、登戸を出ると、成城学園前に着く直前まで、下着の前の方から手を入れられ、
陰部を直接触られた。触られている感覚から、犯人は正面にいる被告人と思った
が、されている行為を見るのが嫌だったので、目で見て確認はしなかった。成城学
園前に着いてドアが開き、駅のホーム上に押し出された。被告人がまだいたらドア
を替えようと思ったが、被告人を見失って迷っているうち、ドアが閉まりそうにな
ったので、再び,同じドアから乗った。乗る直前に、被告人がいるのに気付いた
が、後ろから押し込まれる感じで、また被告人と向かい合う状態になった。私が,
少しでも避けようと思って体の向きを変えたため、私の左肩が被告人の体の中心に
くっつくような形になった。成城学園前を出ると、今度は、スカートの中に手を入
れられ、右の太ももを触られた。私は、いったん電車の外に出たのにまたするなん
て許せない、捕まえたり、警察に行ったときに説明できるようにするため、しっか
り見ておかなければいけないと思い、その状況を確認した。すると、スカートのす
そが持ち上がっている部分に腕が入っており、ひじ、肩、顔と順番に見ていき、被
告人の左手で触られていることが分かった。その後、被告人は、下着のわきから手
を入れて陰部を触り、さらに、その手を抜いて、今度は、下着の前の方から手を入
れて陰部を触ってきた。その間、再び、お互いの左半身がくっつくような感じにな
っていた。私が、下北沢に着く直前,被告人のネクタイをつかんだのと同じころ、
被告人は、私の体を触るのを止めた。」》(3-4ページ)

平成18年4月18日は火曜日である。インターネットの小田急各駅時刻表からここに出てくる各駅での準急発車時刻を調べることができる。平成21年3月16日改正のものなので、事件当日の運行状況と同一ではないだろうが、鶴川駅を午前7時33分に綾瀬行き準急が発車しているので、これを事件関係者が乗車したものとすると、被害者が読売ランド前から乗車してから下北沢にいたる準急のすべての停車駅は次のようである。括弧内は発車時刻である。

読売ランド前(07:44) → 生田(07:46) → 向ヶ丘遊園(07:49) → 登戸(07:51) → 成城学園前(07:55) → 経堂(朝方のラッシュ時に準急は通過) → 下北沢(08:03)

最高裁判決が明らかな事実としているのは、成城学園駅前を発車してから後のことであるが、被害者の供述ではそこにいたるまでにすでに事件が起こっていたことになる。供述から再現すると同時に、私の感じたことをも記してみる。緑字部分がそうである。

①「読売ランド前から乗車した後、左側ドア付近に立っていると、生田を発車して
すぐに、私と向かい合わせに立っていた被告人が、私の頭越しに、かばんを無理や
り網棚に載せた。そこまで無理に上げる必要はないんじゃないかと思った。その
後、私と被告人は,お互いの左半身がくっつくような感じで立っていた。

被告人が鶴川駅で乗車したのが07:33とすると、生田を発車するまで少なくとも13分はかばんを手に持っていたことになる。車両の座席配置は明らかではないが、いわゆるロマンス型シートではなくて窓に沿ったベンチ式シートであろうとの前提で考えると、被告人は鶴川駅で乗車して、座席に座っている乗客の前に立ってつり革を手にしていたのであろうか。このあたりの状況がはっきりしない。さらに分からないのは、もし被告人が私の想像するような位置にあるのなら、電車が生田を出た時点で、被害者が被告人と座席に座っている乗客の間に割り込んできたように受け取れることである。不自然であるが、そうでないと被告人が被害者の頭越しに、かばんを無理矢理に網棚に載せた、と言う箇所が理解できない。さらに、被告人が窓の方を向いていたとすると、座席の乗客と被告人の間に割って入った被害者が被告人と向かい合わせ、すなわち座席の乗客を背にしていたことになるが、私にはきわめて不自然な状態に思える。この被害者の供述に裁判官はどのような心証を抱いたのだろうか。

②向ヶ丘遊園を出てから痴漢に遭い、スカートの上から体を触られた後、スカートの中に手を入れられ、下着の上から陰部を触られた。登戸に着く少し前に、その手は抜かれた
が、

向ヶ丘遊園を出て2分足らずの間に、この一連の行為がなされたが、登戸駅で乗客の乗り降りの移動が被害者の周辺ではなかったのだろうか。かりに無かったとしても、犯人の手が抜かれた機会に身を躱す動作をどうしてとらなかったのだろう。それすらできないほど車中は混み合っていたのだろうか。

③登戸を出ると、成城学園前に着く直前まで、下着の前の方から手を入れられ、陰部を直接触られた。触られている感覚から、犯人は正面にいる被告人と思ったが、されている行為を見るのが嫌だったので、目で見て確認はしなかった。成城学園前に着いてドアが開き、駅のホーム上に押し出された。

登戸を出て成城学園前までの4分足らずの間、被害者は痴漢行為を受けていたが、成城学園前ではなぜか自ら積極的に犯人から逃れようとしたとは言わずに、ドアが開いて駅のホームに押し出されたなんて受け身の表現をしているのが気に掛かる。さらに、押し出された、というのは被害者がドアに背をもたせかけていたからそうなったのか、乗客が座っている座席前から外に出る乗客に押されて車外に出たのか、具体的なイメージが湧いてこない。被害者は押し出されたのに、密着していたはずの被告人は車内に残り、それと視認されないところに隠れたのだろうか。要するに被害者と被告人の車内における位置関係が曖昧模糊としているのである。裁判官はどのような状況を想定していたのだろう。

④被告人がまだいたらドアを替えようと思ったが、被告人を見失って迷っているうち、ドアが閉まりそうになったので、再び,同じドアから乗った。乗る直前に、被告人がいるのに気付いたが、後ろから押し込まれる感じで、また被告人と向かい合う状態になった。私が,少しでも避けようと思って体の向きを変えたため、私の左肩が被告人の体の中心にくっつくような形になった。

被害者のこの行動はどう考えても私には分からない。車両外に出た時点で被害者は犯人を捕まえようという積極的な意識はなかったと思われる。それなら犯人から遠ざかることを考えるのが第一であろう。わざわざ犯人と思い込んでいる被告人の存在を確認することはない。被告人が居てもいなくても元の状態に戻ろうとしたこと自体、普通の常識では考えられない。すでに登戸手前でいったん中断した痴漢行為を登戸出発後にあらためて繰り返しされているのに、その嫌な思いのある場所にわざわざなぜ舞い戻るのか、その行為は私には理解不可能である。駅のホーム上に押し出されたのをもっけの幸いと、なぜ隣のドアに向かわなかったのだろう。時間の余裕がなかったとは考えられない。

さらに次の供述部分と密接にかかわってくることをとくに指摘すると、被害者は後ろから押し込まれる感じで、車内でまた被告人と向かい合う状態になり、少しでも避けようと身体の向きを変えたところ、被害者の左肩が被告人の体の中心にくっつくような形になったとのことである。背を向けるとか、もっとほかの姿勢をとることも考えられるのに、それが出来なかったのは、それほど車内がすし詰め状態であったせいなのだろうか。


そして一番最初に引用した成城学園前発車後の出来事に繋がる。そしてこの出来事が裁判での実質的な争点になっているのであろう。

⑤捕まえたり、警察に行ったときに説明できるようにするため、しっかり見ておかなければいけないと思い、その状況を確認した。すると、スカートのすそが持ち上がっている部分に腕が入っており、ひじ、肩、顔と順番に見ていき、被告人の左手で触られていることが分かった。その後、被告人は、下着のわきから手を入れて陰部を触り、さらに、その手を抜いて、今度は、下着の前の方から手を入れて陰部を触ってきた。その間、再び、お互いの左半身がくっつくような感じになっていた。

すし詰め状態で身動きもままならないのに、自分のスカートのすそが持ち上がっている部分に腕が入っているのをどのように確認できたのだろう。現場検証の結果はどうであったのだろう。

このすし詰め状態について有罪側の堀籠幸男裁判官は多数意見への反対意見で次のように述べている。

《この時間帯の小田急線の車内は、超過密であって、立っている乗客は、その場で身をよじる程度の動きしかできないことは、社会一般に広く知れ渡っているところであり、証拠からも認定することができるのである。身動き困難な超満員電車の中で被害に遭った場合、これを避けることは困難であり(後略)》(14-15ページ)

要するに超過密であるという認識なのである。ところが犯人は身動き困難な超満員電車の中で、被害者のスカートの中に手を入れて右の太ももを触れ、その後、下着のわきから手を入れて陰部を触り、さらに、その手を抜いて、今度は、下着の前の方から手を入れて陰部を触ってきた、と実にこまめに手を動かしているのである。堀籠裁判官は「身動き困難な超満員電車の中で被害に遭った場合、これを避けることは困難であり」という自らの見解と、身動き困難な超満員電車の中における犯人の精妙な手の動きとの整合性をどのようにして考えているのか、知りたいところである。

以上私の感じたことが、無罪側の裁判官の心証と相通じるところがあるように思える。那須弘平裁判官は《本件では、判決理由第2の5に指摘するとおり被害者の供述の信用性に積極的に疑いをいれるべき事実が複数存在する。その疑いは単なる直感による「疑わしさ」の表明(「なんとなく変だ」「おかしい」)の域にとどまらず、論理的に筋の通った明確な言葉によって表示され、事実によって裏づけられたものでもある。Aの供述はその信用性において一定の疑いを生じる余地を残したものであり、被告人が有罪であることに対する「合理的な疑い」を生じさせるものであるといわざるを得ないのである。》(9ページ)

近藤崇晴裁判官も補足意見で被害者の《供述の信用性には合理的な疑いをいれる余地があるというべきである。》(12ページ)と述べている。

今回の事件では被害者の証言だけが頼りであった。ところがその供述の信用性に疑いが持たれたとなると、犯罪そのものが成り立たなくなる。その状況下で疑わしきは罰せずの判断が下されたのもしごく当然のなりゆきかな、と思う。

それにしても痴漢という人権無視の卑劣な犯罪が後を絶たないのも残念なことである。学校や職場でとくに女性に対して、痴漢に被害を受けた場合にどのように対処すべきか、教育・訓練を行っているのだろうか。今回の場合でも被害者は「下北沢に着く直前、被告人のネクタイをつかんだのと同じころ、被告人は、私の体を触るのを止めた。」と供述している。この時にもしネクタイではなく体を触れている手を掴んで犯人を引きずり出していたとすると、また違った展開になったことは容易に想像がつく。スリでも単独犯もおればチームプレイをするのもあり、痴漢にしても同じこと。真の犯人が被告人を隠れ蓑としてわるさをしていた可能性をも視野に入れる必要があるだろう。悪さをしている手を確保すべきであった。電車内に「痴漢にあったら悪さをしている手を両手で押さえて大声で助けを求めましょう」というようなビラ貼り、具体的な対抗手段を女性に周知させるべきではなかろうか。「痴漢は犯罪です」なんて生ぬるい。その口火を切ることが出来るのはなんといっても「大阪のおばちゃん」のお膝元のような気がする。