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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

漁船銃撃事件で駆逐艦に守られた「蟹工船」を連想

2006-08-20 18:14:14 | 社会・政治
解放のめど立たず、政府は領土問題避け交渉 拿捕事件 (朝日新聞) - goo ニュース

この事件については事実確認が第一である、と外交素人の私は考えたが、どうも政府の方針は異なるようだ。

この朝日の記事では《政府は刑事訴追などの司法手続きには触れず、即時解放を繰り返し求めている。国境通過の不法性などをめぐりロシア側と争うと、北方領土問題に踏み込まねばならず、乗組員の解放に一層時間がかかりかねないとの判断からだ》と伝えられている。

漁船が発見され銃撃を受け、そして拿捕された地点が、ロシアの主張する領海内か領海外であるのかを論議すること自体、相手の土俵に上がったことになるから、その論議を避けるのだと言われれば、それはそれで私も理解できる。

択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島の北方四島の領有権を日本が主張しているものの、現在はロシアの実効支配下にあるから、このような問題が起こる。戦後61年経っても状況に進展はなく、この調子でいくとわれわれ戦争をくぐり抜けた世代の目が黒いうちに北方領土問題は解決しそうもない。

昭和20年8月8日にソ連(=ロシア)が国際的にも有効な中立条約を一方的に破棄して日本に宣戦布告し、火事場泥棒を働いた非道は許し難いが、理不尽を我慢するのが戦争に負けたものの宿命というものであろう。しかし一泡吹かせたい気持ちは消えることはない。そのようなことを考えていると、連想に連想が働きだした。

小林多喜二の「蟹工船」という小説がある。私が最初に読んだ本は伏せ字が多くて、想像力を働かせながら読んだものであるが、今では復元された完本になっている。

千島列島の北のはずれをロシアのカムカッチャ半島が首を突き出して押さえ込んでいる。第二次大戦までは日本がその沿岸漁業権を得て、サケ・マス漁区とカニ漁区を経営しており、そのあたりまで蟹工船が漁獲に出かけたのである。その漁場から比べると、今回の銃撃事件のあった場所は、玄関から一歩踏み出したあたりと云ってよく、今昔の感がある。

この小説では食い詰めものの漁夫達が「タコ部屋」ならぬ「糞壺」に詰め込まれ、劣悪な状況でこき使われるさまが描かれているが、その蟹工船が大日本帝国海軍の駆逐艦に守られて漁に出かけていたのである。なぜか。蟹工船で監督が漁夫達あいてにぶった演説を聞けば分かる。

「蟹工船の事業は、ただ単にだ、一会社のもうけ仕事と見るべきではなくて、国際上の一大問題なのだ。われわれが - われわれ日本帝国人民が偉いのか、露助が偉いか。一騎打ちの戦いなんだ。(後略)」
「日本帝国の大きな使命のために、おれたちは命を的に、北海の荒波を突っ切っていくのだということを知っててもらわにゃならない。だからこそ、あっちへ行っても始終わが帝国の軍艦がわれわれを守っていてくれることになっているのだ・・・(後略)」と言う次第なのである。

非人間的な扱いに耐えかねた漁夫達はストライキに立ち上がる。そして監督や船長などを監禁してしまう。が、まもなく駆逐艦がやって来た。「わが帝国の軍艦だ。おれたち国民の味方だろう」だとばかりに漁夫達は「帝国軍艦万歳」を叫ぶのだが、なんと着け剣をした水兵が乗船してくる。結末が気になる方はぜひこの本に目を通していただきたい。

要するに昔からこのあたりでの漁獲をめぐってロシアと競り合いが絶えなかったのだ。だからこそ帝国軍艦までが国益保護に乗り出した。今回銃撃を受けた第31吉進丸が、ロシアの艦船に銃撃されうる危険を承知しつつロシアの主張する領海侵犯と密漁を断行したとするなら、考えようによれば昔の蟹工船よりも徒手空拳で出かけた分、大胆というか勇敢だったともいえる。もともと『倭寇』でならした国の末裔だから、今更驚くことではないかもしれないが・・・。

そこで思うのだが、いっそうのこと、国が資金を秘かに供給して速度が50ノットを上まわる高速漁船を大量に製造して一大高速漁船団を作り上げ、日本の北方領海で神出鬼没してロシア監視船を翻弄し、漁業を実効支配してしまうというプランはどうであろう。そういうことを大胆不敵にやれそうな次期首相としては安倍さんでは線が細すぎるが、地元北海道あたりに適任者がいるような気がする。妄言多謝。
 


訳の分からない『露、漁船銃撃事件』

2006-08-19 12:26:35 | 社会・政治
露、漁船銃撃事件 船長ら拘束の3人を訴追 密漁と領海侵犯容疑で (産経新聞) - goo ニュース

ロシア側が銃撃を加えて拿捕した北海道根室市のカニかご漁船「第31吉進丸」の乗組員3名を、ロシア当局が密漁と領海侵犯の容疑で訴追したとのことである。その銃撃を受けて漁船の乗組員が死亡したことで、日本国政府は早速海上保安庁の巡視船で外務省政務官を現地に派遣して、遺体を引き取ったとのことである。

日本国政府の素早い対応には一応敬意を表すが、マスメディアの報道だけでは事件の真相が見えてこないのでイライラする。

もしロシア側の主張通りに、この漁船がロシア領海に入り込み密漁を行ったのが事実であるなら、漁船乗組員はロシア側から見れば犯罪者である。問題は日本側もその事実を認めているのか認めていないのか、そこが報道からは伝わってこない。

日本側がロシアの主張を認めたのなら、外国で犯罪を犯し不幸にも官憲の銃弾に倒れた一日本人の遺体を、海上保安庁という公の船舶で引き取りに出かけるとは常識はずれである。海外で犯罪を犯す日本人も残念ながら皆無とは云えない。外国で不運にも官憲に殺害された犯罪容疑者の遺体を、そのたびに日本国政府が海上自衛艦や航空自衛隊機に政府高官をつけてまで引き取りに行くとでも云うのだろうか。

日本側がロシアの主張を認めていないのなら、具体的な証拠に基づいてロシアに厳重に抗議をすべきである。ところが伝わってくるのは『人道的な配慮』を求めた程度のことしかやっていない。

事実確認がまず第一である。漁船がロシア警備艇に発見され、銃撃されそして拿捕された位置は確認されているはずである。少なくともロシア側にその記録がなければならない。日本国政府はロシア側にそのデータの提出を求めるべきであるが、既にそのデータを入手したのであろうか。マスメディアはその事実を取材して報道すべきであるのに、その基本的な取材内容が伝わってこない。拘束された乗組員の健康状態がどうとかこうとか、何を食べたかどうかなどの報道でお茶を濁すのではなく、彼らがロシヤ側のいうロシア領海に入ったという認識があるのかないのか、事実関係の報道をまずなすべきである。報道のイロハのイではないか。プロ意識の欠如が甚だしい。

今や携帯電話にもGPSが付いている時代である。領海問題がややこしい海域に近づく可能性のある船舶、とくに漁船にGPSの設置と記録の保持を義務づけるべきである。領海侵犯疑惑が起これば、ことの是非を具体的なデータに基づいて判断できるではないか。

漁船がロシア警備艇に発見され、銃撃されそして拿捕された位置にかんする情報がないままのニュースは私にとっては無価値で、フラストレーションの種になるだけである。

「祝親王誕生カウント・ダウン」の見出しは頂けない

2006-08-18 19:39:36 | 社会・政治
朝刊にさる週刊誌の広告が出ていて、その見出しに「祝親王誕生カウント・ダウン」とあった。親王は男子、内親王は女子である。ということは秋篠宮家にこのたび男の皇子がお生まれになると報じていることになる。

もともとこの類の週刊誌には目を通さないので、この記事の中身も知らない。中身を見れば『よた記事』であることが分かるのかもしれないが、今はこの見出しへの意見になる。

まず見出しの「祝親王誕生カウント・ダウン」であるが、これは男子誕生を既定のこととしていると、この見出しの作成者が正しく認識しているのだろうか。「君が代」も学校で教えていないと云うから、この世代の人に、果たして「親王」と「内親王」の区別がつくのだろうか、と危惧するからである。

幸いその違いぐらいは分かっていたとして、そして「親王」であることに確信を抱いていたとしても、新聞の下段に掲載されているいかにもいかがわしげなごたごた見出しに、この『知ったかぶり』を紛れ込ませる薄汚さは、いかに低俗が定評の週刊誌と雖も目に余る。一介の週刊誌が私物化するような情報ではないのである。

秋篠宮家のお目出度には関心を抱く国民も多いと思う。男子だろうか女子だろうか、それも関心を深める一つの要因かもしれない。すでにどちらか分かっているとしても、公表はされてはいない。私は結果を心静かに待てばいいと思う。お生まれになれば分かることではないか。


一弦琴「秋の御幸」の再演

2006-08-18 00:12:05 | 一弦琴
前回に唄った「秋の御幸」は自分で聴いていても、どうも陰々滅々に感じる。それに琴の調子もよくない。しばらくお浚いを重ねて再演を収録した。

声を前に出さずに・・・、とよく注意されることもあって、陰々滅々を少しでも明るくしようと思っても、まさかカンツォーネのように歌うわけにもいかない。そうかと云って唄の風情を昔人のように表現できる境地には、命のある限り到達できそうもない。
古の情緒を自分なりに表現したいなんて、そもそも大それた願かも知れない。

CPU冷却ファンの風の向きは?

2006-08-17 11:44:05 | Weblog

DELL4500 のCPU冷却ファンが壊れたので、PCショップから代替ファンを買ってきて取りあえず応急処置を済ませた。

その時に実はファンの風の向きをどちらにすべきなのか迷った。と言うのは、壊れたファンを取り付け方向を確認もせずに早々と取り外してしまったからである。そこで常識を働かせた。風呂上がりに扇風機でほてった身体を冷やすのには、扇風機の前に立ってその風をもろに受けるではないか。わざわざ扇風機の後ろ側にまわって身体を冷やしている人を生まれてこの方見た覚えがない。そこで外の風を取り入れて、CPUのヒートシンクに風を吹き付ける向きに代替ファンを取り付けた。ファンとヒートシンクの間にあるダクトは風を無駄に散らさないようになっている、と理解した。そしてPCは順調に動いていた。

DELLにファンを注文したのがちょうど週末にかかっていたので、一昨日の火曜日に品物が到着した。ところがいざ取り付けようとすると、電源コードが短いのでコードの無駄な取り回しができない。代替品のたっぷりしたコードとは対照的である。そうすると必然的にファンの取り付け方が決まってしまって、その取り付けではファンはPC筐体内部の空気を外に排出することになる。筐体内部のあちらこちらに結構ゴミ、ホコリが溜まっている(もちろん溜めたのは私の手入れが悪いせいで、DELLから買ったときのオマケではない)。それをわざわざCPUのヒートシンクのまわりに浮遊させながら吸い出すことになるではないか。そういえば壊れたファンの羽にホコリがたっぷりと付着していたのも、そのせいか、と思ったりした。

念のためにDELLのテクニカルサポートに電話をして風の向きを確かめると、外に排気する向きが正しいとのことであった。

なんだか割り切れないまま使っているが、明らかにファンの音が代替品より大きい。性能的にDELLの純正部品と代替品のいずれが優れているのか分からないが、風の向きで音の大きさが変わる可能性もあるような気がする。

CPU冷却ファンの風の向きは、ほんと、どちらが正しいのだろう。

停電事故に唱歌「村の鍛冶屋」を思い出す

2006-08-15 14:02:38 | Weblog
首都圏の大規模な停電事故は、クレーン船の乗組員によると《船を係留するために川底に打ち込むH形鉄骨をクレーンでつり上げていたところ、送電線に接触した》のが原因のようである。何を考え、どこを見て作業をしていたのだろう。絶対にあってはならないことである。

どのような職業に就いていようと、仕事にかける情熱と責任感は人間の生きている証である。

私が国民学校で習った文部省唱歌で、リズムがいいのですぐに口ずさむようになったのが「村の鍛冶屋」である。

 ♪暫時(しばし)も休まず 槌うつ響(ひびき)
  飛び散る火花よ はしる湯玉
  鞴(ふいご)の風さえ 息をもつがず
  仕事に精出す 村の鍛冶屋

 ♪あるじは名高い いっこく者よ
  早起き早寝の 病知らず
  鉄より堅いと 自慢の腕で
  打ち出す刃物に 心こもる

 ♪刀はうたねど 大鎌小鎌(おおがまこがま)
  馬鍬(まぐわ)に作鍬(さくぐま) 鋤(すき)よ鉈(なた)よ
  平和のうち物 休まずうちて
  日毎に戦う 懶惰(らんだ)の敵と

 ♪かせぐにおいつく 貧乏なくて
  名物鍛冶屋は 日々に繁昌
  あたりに類なき 仕事のほまれ
  槌うつ響きに まして高し

堀内敬三著「定本 日本の唱歌」によると、この歌は大正元年十二月に尋常小学唱歌四年生用として発表されている。しかし上の歌詞は昭和十七年三月「初等科音楽」に収録されたもので、原作の文語調が口語調に変更されている。また三番、四番は「初等科音楽」では削除されている。

小学四年の生徒に『仕事』とはどういうものか、またどういう姿勢で取り組むものかを歌を通じて教えている。町村合併で日本から『村』がなくなり、鍛冶屋も消えて、この歌も教科書から姿を消してしまった。しかし少なくとも私の心には『仕事に対する献身』の教えが、今も生きている。

仕事の喜びとそれを支える責任感を、ひいては一人一人の生きる姿勢につながるのであるが、今の学校教育ではどのように教えているのだろう。どのような仕事であれ、その道では第一人者になってみせる、そのような心意気を若い世代に植えつけ育む努力は、いかなる時代でも等閑にしてはならないと思う。

停電事故を引き起こしたもの

2006-08-14 17:10:23 | Weblog
首都圏で140万戸停電 交通乱れる 送電線に船が接触 (朝日新聞) - goo ニュース

信じられない話である。

川の水面から16メートルの高さで送電線が川を横切っている。ところが川を航行していた浚渫船が《橋をくぐった後、長さ33メートルのクレーンを上げたところ、送電線に接触した》というのである。クレーンを上げる作業を何人で行ったのか分からないが、「もしかしてクレーンが電線を引っかけるかも」という発想が皆無であったようだ。

送電線が川を横切っているから気をつけるように、という注意が仮に前もってなかったとしても、尋常でない大きさのクレーンを立てるからには、危険がないかどうか、注意すべきなのは現場の作業員であろう。埼玉のプール事故の際にも、監視員の職業意識の欠如がその根底にあったが、今回の事故も同然である。

運行規則に従って作業がなされていたのかどうか、また送電線が視認できなかったのかどうか、これは調査結果を待たなければならないが、事故が起こって私がいつも思うことは、現場で作業に携わっている人たちの、職業人としての不甲斐なさである。いかなる仕事であれお金を貰う以上はプロ意識に徹すべきで、それがあってこそ人間としての誇りが生まれるものである。




藍川由美さんの歌う原曲「君が代」の素晴らしさ

2006-08-13 17:36:15 | 音楽・美術

私の敬愛する藍川由美さんは私の日本語の歌の先生である(と勝手に決めている)。日頃から、日本人はちゃんとした発音で日本語の歌を歌いましょう、と力説されているが、自らも実践しておられる。その藍川さんが最近【「日本のうた」歌唱法】なるCD(小冊子付き)を出されている。先日、久しぶりに立ち寄った梅田JEUGIAで見付けて、即買い求めた。これを教材に勉強するのが楽しみであるが、このCDに納められている国歌「君が代」を聴いて深い感銘を受けた。「君が代」が歌い方でがらりと表情のみならず、その性格まで変えてしまうのである。

新年の宮中歌会始で和歌が朗詠されるが、昔は何百種類もあった『ふし』が、今では「甲調」「乙調」「上甲調」の三種類になってしまったとのこと、『ふし』を覚えて好きな和歌を朗詠するのも楽しそうである。その「甲調」による「君が代」の朗詠でまず始まる。

次に明治13年10月に作曲された「君が代」の原曲を藍川さんが歌っている。雅楽の伝統に基づいて作曲されたもので、雅楽伴奏の一部をピアノで弾きながら歌っている。テンポが極めてゆっくりしているのがいい。言霊に導かれて天の高みの上る心地がする。これだけゆっくり歌うと、否応なしに発音が明晰にならざるをえない。その言葉が心に浸透していくのである。

「君が代は 千代に八千代に」をこの調子で歌うと、『君が代』が、新明解に①(雅)あなたの一生(生涯)。〔狭義では、わが主君の御代を指す〕と出てくるように、あなたの一生が千代に八千代に、と素直に心に入ってくる。この相手に対する言祝ぎが、そのまま自分に戻ってきて、生きているもの同士の連帯感を歌を介して確かめ合うことになる。

私は藍川さんにワールドサッカーのような大舞台で、この原曲「君が代」を是非歌って欲しいと思う。大会場の観衆全員が粛然となることは間違いない。そうして確かめ合った全員の連帯感が試合を勝利に導くことだろう。

私はこの原曲「君が代」を正式な日本の国歌と定めるのがいいと思う。公の場で演奏されるのももちろんこの曲で、できるかぎり歌を唱和する。これほどゆっくりしたテンポで演奏、もしくは歌われる国歌は他にないのではなかろうか。藍川さんは♪x2=44ぐらいのテンポで歌っている。血を見ずには収まらないように煽り立てる調子の、ガチャガチャしたどこかの国歌などとは対照的な悠長さである。私はこの原曲「君が代」こそ、自然を前にして敬虔になり、お互いの長寿を言祝ぎ平安を希求する、日本人の心をあらわすのにピッタリの曲であると思う。

この原曲「君が代」のあと、現行の「君が代」を聴いてみるといい。あくまでも比較の上であるが、私には『品格』が感じられなかった。そしてなんと、この曲に合わせて

 ♪ぽっ ぽっ ぽ、
  鳩ぽっぽ、
  豆がほしいか、
  そらやるぞ・・・

と文部省唱歌が私の口をついて出て来たのである。

藍川さんの歌う原曲「君が代」はほんとうに素晴らしいと思う。21世紀の日本の国歌として定着させたいものである。

一弦琴「秋の御幸」のお浚い

2006-08-13 11:46:56 | 一弦琴
曲は真鍋豊平、詞は不詳となっている。

 秋のみゆきは ゆたかなものよ
 月よ紅葉よ 刈萱の
 ひとりみだれて 大井川
 昔しのばぬ 夜半もなし

大堰川を訪れ、いにしえの殿上人の物見遊山に思いを馳せると、その世界に自分もワープしたくなって心が騒ぐ、との意であろうか。

たんに懐古の情に浸るのではなくて、そこに自分も入っていきたいとするなら、唄に躍動感も欲しくなる。

一弦琴の習い始めにこの唄が出てくるので、その頃は歌心をつかんで唄うなんて余裕は皆無、ただひたすらお師匠さんの後を追いかけるだけであった。

久しぶりにお浚いをしたが、記憶の確かでない箇所がところどころあるので、また覚え直さないといけない。日本語の発音にこだわりたいが、理屈先行で実技が伴わないのは毎度のことである。いわゆる洋楽の一音一音符式にならないように意識して唄ったつもりであるが、出来上がるには時間がかかりそうである。


追記 新しい演奏に差し替えました。(8月17日)

DELL4500のCPU冷却ファンが壊れたので・・・

2006-08-12 10:49:41 | Weblog
昨日の朝、2、30分ほどPCで仕事をしていたころ、Windowsの自動更新の予告が現れた。キリが良かったので更新することにした。ところが再起動が始まった直後に、見慣れないメッセージが現れた。「Processor Fan Not Detected」というのである。ところがしばらく経つと、後は正常にことが進み、いつものデスクトップの画面が現れた。しかし気になるので、筐体背部のファンのところに手を当ててみても、空気の流れを感じない。やはりファンが止まっているようである。電源を落としてPCの内部を開けてみた。CPUのヒートシンクが手で触れられないぐらい熱くなっている。冷却用のファンが壊れたにちがいない。

このPCは昨年の9月に臓器移植で甦ったDELL4500である。その後一年近く順調に動いていたが夏の訪れと共に再びダウン、♪夏が来れば思い出す のであろうか。購入は2002年8月29日で3年間の保証期限は既に切れている。前のトラブルは保証期限切れの直後だっただけに割り切れない思いがしたが、今回は慌てず騒がずDELLのサービスセンターに電話してトラブルについてやり取りを交わしたうえで、代替のファンを注文することにした。しかし手元に届くのに少し時間がかかりそうなので、代替品を探しにPCショップに出かけた。

問題のファンは筐体背部に取り付けられている。取り込まれた空気はダクトを通って90度方向転換して基盤上のCPUヒートシンクに吹き付けられる仕組みになっている。ヒートシンクと一体型のファンではないので、サイズさえ合えば電源は12Vなので普通の冷却用ファンでいいはずである。

ファンの外形サイズは92x92x32ミリ、同じサイズのファンがあったが、電源コネクターの形状が少し違う。それによく見ると壊れたファンのコネクターは3ピンなのに、新しいのは4ピンになっている。制御用の線が一本増えたのだろう。価格は1980円。一方、サイズは92x92x25ミリであるが、電源を予備の4ピンコネクターから取れるタイプのがあったのでそれを購入した。こちらは979円也、値段の安いのもよかった。

早速取り付けて動かす。2、30分動かしていてもヒートシンクは常温そのものでこれで応急処置は完了した。DELLからも修理見積書兼依頼書が送られてきていたので、DELL規格のファンを注文した。本体価格1000円プラス送料1000円で計2000円であった。

なぜDELL規格のファンを改めて注文したのか、気にしなければそれまでなんだが、私なりのこだわりがあった。

応急修理品でPCとしては正常に働いている。しかしファン電源を本来の基盤上にあるソケットからではなくて、予備電源コネクターから取っているものだから、PC電源を入れると必ず「Processor Fan Not Detected」のメッセージがいったん現れるのである。念のためにファンの動いていることを一々確かめないと、安心できない。それで2000円を安心料と割り切ることにしたのである。

それにしても、DELLのこの警告システムは問題ではないか。せっかく「Processor Fan Not Detected」という状態を掴んでいるのに、なぜ電源を落とす仕組みになっていないのだろう。このまま使い続けていると確実にCPUの暴走・破壊につながるではないか。

ここで思い出したのが『パロマ器事故』のことである。排気ファンのコードが抜かれていてもパロマの半密閉式瞬間湯沸器が働く仕組みになっていたものだから、ガスが不完全燃焼して一酸化炭素中毒死事故を引き起こしたのである。

両社に共通しているのは、明らかに事故につながりうる状態を知りながら、装置の稼働を許すという安全性についての無頓着ぶりである。企業モラルがとわれても致し方あるまい。

と断じたのはよかったが、もしDELLが「Processor Fan Not Detected」のメッセージを出すと同時に電源を切る仕組みを導入していたら、私の応急処置は効かなかったはずで、今頃この文章を書いてはおられまい。もし私のような少数者の利益のために多数者が不利益を被る構図だとすると、受け取りようは少々複雑である。