日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

そごう心斎橋店小探訪記(1) ローストビーフ・サンドイッチを

2005-09-17 20:22:07 | Weblog

昨日そごう心斎橋店を訪れた。主な目的はこの12階にオープンした丸善である。丸善心斎橋店の閉店に際して昔を思い出してこのブログに認めたのはつい最近のように思うが、嬉しいことに早々の新装開店である。地下鉄を降りて「そごう」に入ると平日にもかかわらず大勢の人がエレベーターの前に並んでいる。急ぐことでもないので列に加わったが、大きな箱とみえてかなり長かった行列にもかかわらずちょうど私まで最初の箱に乗り込めた。

ちょうどお昼時、先ずは腹ごしらえと13階のレストラン街を目指した。エレベータを出てびっくり、人がごったがえしている。各レストランの外側に並べている20脚を超える椅子も軒並みにほぼ満席、いやはや大した景気である。私はハイカラな洋食屋さんに並んだ。渋谷松濤に本店のある「シェ松尾」である。

30分以上かかるものと覚悟していたが、思いの外早く店内に入れた。ローストビーフ・サンドイッチと見かけることが珍しいレーベンブロイを注文した。食後にはコーヒが出てくる。パンのスライスの上に馬鈴薯のサラダを厚めのペーストのように敷き、大ぶりのローストビーフのスライスと野菜が上を被いグレービー感じがするドレッシングがかけられている。

オープンサンドをナイフとホークで食べようとすると載っている肉がすんなりと切れないとすると私はえてしてトッピンを散らばらせてしまうが、このローストビーフには力まなくても綺麗にナイフの刃が通る。思いのままの大きさで切り分けることの出来るのが心地良く、味も期待通りで満足感を味わった。期待通り、なんて云うと料理評論家めいてくるが、味そのものを私は予想したのではない。これだけ良い材料と洗練された調理と盛りつけとくると、ついでにお値段も含めて、これはかなりいけるぞと期待するのは人情。そしてその期待は裏切られなかったという意味である。このお店ならまた来てもいいなと思った。

話は逸れるが私がこの店を選んだのはこの所在地の松濤という地名に惹かれたからである。1950年代の日米安保闘争が一段落した頃上京した機会に当時の総理大臣岸信介氏の邸宅を松濤の地に探し求めたことがあった。別に乗り込む訳ではなく時の宰相の住処にミーハー的な興味を持ったのに過ぎない。大きな門の脇に警備の警官の詰め所のようなものが立っていたように思う。一方のレーベンブロイ、これもミュンヘンでヒトラーが演説したホーフブロイハウスを昔訪れたときに土地のビールということで飲んだことがありその思い出につられたまでのことである。

「シェ松尾」を出てこのフロアーを一周したが、どのお店も順番待ちのお客さんで盛況の模様であった。和・洋・華と揃っており機会があれば順番に覗いてみるのもいいなと思った。

愛機DELL4500の運命やいかに

2005-09-16 10:16:08 | Weblog

ここ3年間愛用してきたデスクトップDELL4500の様子がここ3、4日おかしかった。雷が光ったわけでもないのに急にシャッタダウンして再起動を始める。こういうことが2、3回あっただろうか、そしてついに自動的に再起動しなくなった。でもまだ手動で電源を入れると動き始める。しかし一昨日、ついに完全にダウンしてしまった。いくら電源を入れてもディスプレイに信号が届かないのである。せめてロゴの画面でも出てくれるのならセーフモードで修復の可能性もあるのだが、それすら出来ない状態になった。

手元にたまたま未使用の120GB のHDがあったので、それにOSをインストールすることにした。元々のCドライブのHDに保存されているデータを失いたくないからである。OS/ドライバーのインストールは順調に進んだので、早速旧HDからデータの回収を試みることにした。私はかねてからRATOC社のリムーバブルハードディスクのシステムを使用しており、旧HDをそこに組み込むと新しいドライブとしてその中身を見ることが出来る。ところがいざ中味を開けてみると沢山のファイル、フォルダーが目に入ったが、肝心の大切なデータを入れたフォルダーが見あたらない。あるのはDELL関係のものばかりである。その上変なことに気づいた。このHDはNTFSでフォーマットされている筈なのに画面ではこのドライブがFATとして表示されている。その意味ではNTFSフォーマットである保存データが見えてこないのも頷けないことはない。しかし、何故FATだけ?の疑問が残る。

じっくり腰を落ち着けて取り組めばなんとかなるだろうとは思うものの、すっきりしない。そこでふと思いついて旧HDを元のCドライブに戻してみることにした。
なんと!正常に動くのである。これ幸いとかなりのデータを新HDにコピーした。しかしその途中またあえなくダウン、そして次は新HDに取り替えてもウンともスンとも言わない。完全なお手上げとなった。

デルのサポートセンターに電話をし、待つこと久しくようやく繋がった。状況を説明すると係員の指示があった。まずディスプレイをPCから切り離して動作チェックをするとのことである。私はビデオボードをMATROX G550に差し替えてデュアルヘッドで使用していのでディスプレイを2台ともですか、と聞き返した。そして「デルのディスプレイではないのですか、どこのですか」「EIZO FlexScan L550です」とのやりとり。

ではEIZOに問い合わせてディスプレイに問題がないのかどうか確かめてくれ、と仰る。このディスプレイが「信号がありません」のメッセージを返すこと自体、正常に作動している徴なのだが、私の保証では係員が納得しそうではない。そこで質問を変えて、もしPCの方に問題があるとすると、次にどこをチェックすべきかを問うた。診断ライトというのが裏面にありそれは正常に点灯している。結線、接続に問題がないかどうかのチェック、という次第である。そうこうやりとりしている間にビデオボードのことが気になりだしたのでひとまず電話を切り、MATROX G550を元来PCに取り付けられていたビデオボードに戻してみた。しかし新旧のHDともにシグナルを与えない。となるとそれ以外が問題になる。

私のPCはケーブルテレビの回線に接続されている。プロバイダーが提供するウイルスチェックの機能に全面的に依存することにして自分ではセキュリティ関係のソフトをインストールしていない。インストールしているとそれなりにまた厄介なこともあるからだ。だから私のPCがウイルスに汚染されている可能性はもちろんある。ひょっとしてある時間がきたら自動的に電源を切るような悪戯をしていないとも限らない。実は最初はそう思ったのでOSを新たにインストールしたのだが、ダウンするまでの経緯と現状をみるとハードに問題のある可能性が強くなったと思う。

さあ、どうしたものか、修理代を考えると買い換えたほうがいいのかもしれないが、目下思案を重ねているところである。その間、いろいろと不便であるがこのノートパソコンで急場をしのぐことになりそうである。

総選挙雑感(2) 『風見鶏のヤス』の子は不肖の子

2005-09-14 11:26:56 | 社会・政治
中曽根氏、郵政法案に賛成表明 法案成立は決定的 (朝日新聞) - goo ニュース


《郵政民営化法案の参院採決で反対票を投じた自民党の中曽根弘文元文相は13日、都内で記者会見し、同法案について「総選挙で明らかになった国民の意思を重く受け止め尊重したい」と述べ、特別国会で再提出されれば賛成する意向を示した。さらに自らが所属する旧亀井派で反対した12人のうち離党した荒井広幸氏を除く参院議員11人は、意思確認の結果、全員が賛成に転じる意向であることも明らかにした。》そうである。

『風見鶏のヤス』こと中曽根康弘氏の血脈につながる中曽根弘文氏であるからこの『変節』は異とするに当たらないが、風の吹き抜いていった方向しか向けなかったのが『大勲位』との器量の差である。

総選挙において与党が衆議院の三分の二を上まわる議席数を獲得したことで、衆議院を通過した法案がたとえ参議院で否決されても再び衆議院の賛成で法案が成立する。その歴史的イベントを目の当たりにせんものとワクワクとして待ちかまえている多くの国民の期待をも裏切る変節的行為である。「総選挙で明らかになった国民の意思を重く受け止め尊重したい」と述べているにもかかわらず、ここでも中曽根弘文氏はこの国民の意思を取り違えているといいたい。

私は「郵政民営化関連六法案」が上程された参議院における世耕弘成議員の賛成討論は名演説であると感じ入った。その同じ演説を参議院の議場で直接耳にした中曽根弘文氏とその一党が確固たる信念をもって「青票」を投じたのである(と思った)。

その結果がどうであったか。風向きが変わったから今度は「白票」という程度の軽佻浮薄な「青票」数十票のために、国費数百億をかけての解散総選挙となったのである。「国民に意思を重く受け止め尊重したい」のなら、その国民の意思を受け止めることの出来なかった不明を恥じ、義務の放棄を国民に謝し議員を直ちに辞職することである。私見では選挙費用を弁済させたいぐらいである。

昭和47年に刊行された「現代世界大百科事典」(講談社)の参議院の項に「当初の職能代表的機能がうすれ、政党化の現象が著しい」と記されている。それから33年、今や参議院の政党化は行き着くところまで行き着き、だから完全に衆議院のコピーと化して不要の長物となっている。

両院制をもつ国家では第二院の設置の目的として以下のようなことが考えられている。

①特権的少数者の利益保護を目的とする貴族院型
②社会の職能的集団を代表させようとする職能代表型
③高い知性・専門知識の会議体として構成しようとするブレーン・トラスト型
④他院のコントロールを目的とする期間内統制型
⑤連邦を構成する各邦を代表する連邦型
(世界大百科事典、平凡社)

現行の参議院は②に加えて③④の役割を果たすことが期待されていた。
しかし現状はどうか、誰が考えても同じ結論しか出ない。何一つ当初の期待に応えていないのである。

戦後60年の長い実験期間と膨大な国費をかけて、わが国は第二院である参議院が衆議院のコピーと化した現実を国民の前に明瞭に示した。そして本来その役割を期待された第二院が不在であっても国政の遂行になんら支障のないことをも実証した。この成果の上に立てばだれが参議院の廃止に躊躇するだろう。この大きな無駄の解消を憲法の改正で実現すべきであると私は主張する。

憲法制定過程で占領軍総司令部は当初一院制の構想を日本側に提示した。それを日本側が巻き返して、両院を民選議員で構成するとの条件の下に両院制の採用を総司令部に認めさせて参議院の設置が決まった経緯がある。

アメリカは連邦制を採っている。連邦制を採らない日本が一院制で十分であることは民主主義の本場アメリカにとっては自明の理であったのである。その占領軍さえ出来かねたことを実現できる政治家こそ次代を担う資格がある。

総選挙雑感(1) 『マニフェスト』の愚

2005-09-13 11:44:28 | 社会・政治
私は今回の総選挙でどの党の『マニフェスト』にも目を通すことはなかった。それでも自分の考えに従って投票を無事済ませた。だから私には『マニフェスト』は存在しなかったのも同然である。

何時誰が何処で言い出したのか知らないが、私は『マニフェスト』という言葉が嫌いである。公約がよい。二文字で済むことを六文字に増やして中味の貧しさを包装でごまかす、そのような『みみっちさ』を感じるからである。

公約とは私の大好き新明解国語辞典(第五版)では「政府・政党など、公の立場にある者が選挙などの際に世間一般の人に対して、約束すること。また、その約束」としっかり説明されている。一方マニフェストは「宣言。宣言書」と素っ気なく書かれているのみ。だから『マニフェスト』ではなく『公約』という言葉をこれ以降用いる。

民主党の『公約』に目を通すことは私にとってはもともと無意味だったのである。何故か、を説明しよう。政権交替を民主党は唱っていた。だから『公約』は自ずと政権を取った暁にはこうしたい、と述べていたに違いない。私は選挙情勢から自民党が過半数を制するものと思っていた。私の目からはもともと民主党には『公約』を実行に移す可能性がまったくのゼロであった。このような『公約』は単なる『空手形』に過ぎない。そのようなものに目を通すほど私は暇人ではない。

これは私の個人的姿勢であったが、そのように一度シニックに『公約』ということを考えると、『公約』にいくつか注文が生まれてくる。

まず政権から遙かに離れている共産党や社民党への注文。

政権を取ったらこうする、の類の『公約』はまったくご無用に願いたい。そのようなことを一つでも書いたら主張の全てが嘘っぽく受け取られかねない。共産党や社民党の存在意義は批判政党であることだ。徹底的に政権政党のアンティテーゼの立場を貫くべきである。そのような党の基本的な姿勢を『公約』で誓えばいい。ただ現実的には柔軟な姿勢を選べばいい。

政府の提出した法案に基本的に反対するのであれば、国会の場でその問題点を分かりやすく国民に知らせるための討論をリードする。場合によっては対案を提出する(そこまでの議席があれば)。それに加えて修正すれば賛成可能な法案に対しては積極的に参画の姿勢を明瞭にする。そして法案の成立に積極的にかかわった実績を残すことが国民の共感を得ていく。「何でも反対、○○党」と揶揄されるようになってはお終いである。

政権党を本気で目指すなら『公約』実現のための作業時間表を必ず提示する。それが出来ないような『公約』は『公約』に値しない。テレビで観ただけだから余計にそう思ったのかも知れないが、今回の選挙に関する限り『公約』は『郵政民営化』以外みな絵に描いた餅であった。

インターネットの時代である。作業時間表でもある『公約』をインターネットで公開することを義務付けたらいい。必要とあれば極端な話何十ページ、何百ページとなっても費用はかからない。ただ国民にどのように読ませようとするかそれなりの工夫が必要で、読みやすいか読みづらいか、そこにも政党の国民に向かい合う姿勢が現れるのがいい。この『記録』を残すことが『公約』の成果の検証を可能にする。

総選挙で小泉自民党が圧勝 政治の世界にも英雄が生まれた?

2005-09-12 17:08:57 | 社会・政治
ヨアヒム・フェスト著「ヒトラー 最後の12日間」を読み終えたばかりでもあったので、昨日の総選挙結果で地滑り的な圧勝を遂げた自民党を率いる小泉首相にヒトラーとゲッベルスの合体したかようなカリスマを感じた。小泉首相の力強くて熱っぽくて格好いい演説は、ヒトラーの獅子吼よりもはるかに洗練されていると思った。迫力においてこれに匹敵するのが鈴木宗男氏の演説、こちらは田中角栄氏を彷彿とさせるあくまでも日本的スタイルで、両者に『ヒトラー プラス ゲッベルス』と『田中角栄』の対比を見た。

いくら小泉首相が演説巧者であっても馬耳東風の聴衆が相手なら糠に釘、圧勝が生まれるはずもない。聴衆、有権者に小泉首相を受け入れる素地があったからこそこの結果となったのである。その素地というのが大衆の『英雄待望論』であった。

民主主義教育の第一期生である私だからこそより強く意識すのだが、その教育では『平等』が異様に強調された。例えば『優等賞』。私は出来のいい児童であったようで国民学校の一年生から四年生まで終業式の日には『優等賞』を授けられた。しかし敗戦を境に成績優良なるものを表彰する行為が影を潜めてしまった。試験をする以上点数による順位はつく。しかしその上位の者を表彰することは『人間は平等』に反するとかなんとか議論でもあったのだろうか『優等賞』がなくなってしまった。そして『英雄』も『偉人』も影が薄くなり、東郷元帥や乃木将軍は歴史からも忘れられた存在に成り下がっていた。

しかし『異能人間』を賛美しまたそれに引き寄せられるのは人間の性(さが)、気がつけばそれも早い時期にプロ野球や大相撲をはじめとするスポーツの世界で数々のヒーローの誕生を民衆は喝采して迎えていた。ビジネスの世界にもヒーローが生まれている。そして、政治の世界にもやっとヒーローが生まれたというのが私の実感である。

これだけ政治を分かりやすくした小泉純一郎首相の功績は日本の政治史上不滅である。政策の立案・遂行とはまた別の大きな業績である。しかし国民が究極に望むのは日々の生活の充足で、その欲求に最大限応えるのが真の政治家の使命あり有権者はそれを小泉首相に託したのがこの総選挙であった。

総選挙は国民が直接に参加する最も公(おおやけ)な政治的イベントである。有権者はこれから4年間の日本国の政治の担い手として国会議員を選出した。これに比べると自民党の総裁選挙はいわば私的な『家庭内の出来事』に過ぎない。小泉首相の任期を決めるのが国民なのか自民党という政党なのか、国民に直接信を問う賭をものにした小泉首相の去就に目を向けざるを得ない。国民は真のヒーローを期待しているのである。

「中盤の総選挙情勢 本社調査」の怪

2005-09-09 10:58:50 | 社会・政治
自民好調勢い増す 民主、都市部伸びず 中盤総選挙情勢 (朝日新聞) - goo ニュース

だそうである。あと3日も待てば結果がはっきり出るのに(総)選挙の度毎に繰り返されるお祭り記事である。競馬、競輪、競艇の予想記事を連想させてしまうこのような記事をわざわざ紙面に載せる意図が私にはわからない。また誰が何のためにこのような記事を必要とするのだろう。

現在の医学では生まれてくる子供が男か女か前もって判定可能である。男の子か女の子か早く知りたい親もいるし生まれてくるまでの楽みにとっておく親もいる。私は後者だから、何れ結果が明瞭になる総選挙の予測記事なんて不必要である。それに性別の判定には科学的根拠があるが、選挙結果の予測に私は多くの疑念を持つ。

朝日新聞朝刊に出ている調査方法の説明では電話によるアンケート調査のようである。「有権者のいる家庭用番号にかかったのは全国で計9万878件で、うち5万9107人から有効回答を得た」そうである。しかし少し考えれば分かることであるが、このような調査は回答者が設問に必ず正しい回答をしてくれると信じないと出来ないことである。厄介なことに回答者が本心から答えてくれているのかどうか簡単にはチェックの仕様がない。

(質)「あなたはどの党に投票しますか?」
(回1)「(社民党といいたいけれど朝日を騙してやれ)民主党です」
(回2)「(民主党だけれどなんだか自民党といって欲しそうだな)自民党です」
(回3)「(簡単に本心なんて明かせるか)無党派ですよ」
(回4)「(まだ選挙権はないけれど親父になりすませてやろう)新党大地」

ここで母の川柳を一句紹介

   CTスキャン人の心は覗けまい

数多くの設問を出すことで矛盾の浮かび上がった回答を削除するる手だてはあるだろうが、そこまでの検証を行っているのだろうか。無邪気に人の云うことを信じてしまうお人好しにこのような調査は出来ないし、やっても無意味であろう。それどころか「自民好調 勢い増す」「民主、都市部伸びず」「郵政反対組 猛迫受ける」のような大きな見出しは多くの選挙民に何らかの予断を与え最終行動に影響を及ぼす可能性がないとは云えない。となるとこれは『世論誘導』にもなりかねず『選挙干渉』になる。いいかげんお祭り騒ぎをやめて有権者に静かな最終決定の一時を与えるべきではないか。





なかなか最下位に転落しない巨人に思ったこと

2005-09-07 16:15:03 | Weblog
学校の進級試験で首席になるのとビリ(最下位)で合格するのとどちらが難しいかというと、それはビリで合格するほうである。とにかく勉強して人よりいい成績を各学科で取り続けると首席は取れる。一方落第するのも簡単である。それに較べてビリになるのは至難の技である。勉強が足りなさすぎると簡単に落第するし、そうかと云ってなまじっか勉強をすると最下位から上がってしまう。そのさじ加減が微妙であるだけにビリを維持するには芸術的センスがなければならない。だからこそブービー賞に値するのである。

このブービー賞(booby prize)はもともと英語に由来して、元来競争でビリの者に授けられるユーモア賞であるが、何故か日本では最下位から二番目に与えられる賞ということになっている。

プロ野球セ・リーグで現在この和風ブービー賞ものが巨人である。いつ最下位から二番目に定着したのか記憶にないが今のところの指定席である。贔屓チームが勝ってこそ楽しいプロ野球で今シーズンの巨人は勝つより負ける試合の方が遙かに多い。『巨人・大鵬・卵焼き』の私はとっくの昔にテレビ観戦から離れてしまった。いっそのこと最下位まで落ちて来年の肥やしにしたほうがいいのではと思ってしまう。ところが最下位の広島に1ゲーム差ぐらいまで近づいたと思うが浮かび上がり。浮かび上がってはまた落ちるの繰り返しである。なかなか最下位に転落しない。現在は広島を3ゲーム離して第四位の横浜までは2.5ゲームとなっているので、下手すると第四位に浮上しかねない。が、とにかく最下位から二番目の微妙な位置を意思が働いているかのように上手に保っている。

同じブービー賞でも授与されるのが最下位か最下位から二番目なのか、東西で対象が異なるのはそれぞれの世界観を反映しているのではなかろうか。英風では合格か落第か、ウイナー(winner)とルーザー(looser)を分けるのが真の競争であり、和風では同じ世界から弾き出される心配のない者の間での順位付けを競うのである。だからこそ所詮が遊び事、面白くなくなったら人は簡単に離れることが出来る。

カーナビより地図ソフト

2005-09-06 21:38:56 | 旅行・ぶらぶら歩き

思い立って湯村温泉に一泊のドライブに出かけた。中国自動車道から舞鶴若狭道に入り福知山で出て9号線を湯村温泉に向かう。経路を道路地図から頭に叩き込んでいたのでドライブは順調、何の問題もなかった。

翌日、温泉からの帰途は気分任せで道路地図を頼りに先ず浜坂に向かった。漁港があるので海の幸にありつければと思ったのだが、下調べもしていなかったので何が何処にあるのやらさっぱり分からない。JR浜坂駅に出て観光地図を見たがそこに描かれている道路と現実の道路がどのように対応するのか手元の道路地図では分かりづらい。そこで道路標識を頼りに車を走らせたが、同じ所を何回かクルクル回るだけなので嫌気がさして浜坂を離れた。海岸沿いに車を走らせて城崎まで行き、円山川沿いに下がろうと考えたのである。

178号線を走っていると思いがけず余部鉄橋が目に入ってきた。下調べをしなかった余得のようなものである。橋のたもとの駐車場に車を停め鉄橋の写真を撮ったり日本海を眺めたりして、この先海岸沿いに日本海をたっぷり味わえるとの期待感に胸を躍らせた。

香住を過ぎて小さな町に入り、曲がりくねった道を走っているうちに交差点に出た。城崎という文字が矢印と共に道路標識に現れたが、後で思えば千慮の一失、より走りやすそうな矢印と反対の道を選んでしまった。178号線の続きであるが50km制限が勿体ない道路が眼前に展開した。「誰の選挙区だろう」と思いながら鄙に見慣れた立派な道を疾走するうちにトンネルに入り、だんだんと海から遠ざかっていく気配である。そして豊岡という道路標識が現れた。

先ほどの分岐点で間違ったのである。引き返すのも億劫なので豊岡の先にある出石でお昼を摂ることに気分を切り替えた。私の道路地図には四分の一ページの大きさで豊岡市の地図が載っている。しかし道路の繋がりが私の頭に整理して入ってこないし助手席の妻は眼鏡をかけるのを面倒くさがって地図を見てくれない。仕方なしに道路標示を頼りにしたがこれが役に立たない。いつの間にか出石という文字も道路番号も道路標示から消えて仕舞うのである。ここでも二三回同じ道をクルクル回りながら修正を加えてようやく出石への道を取ることができた。

これに懲りて出石からは和田山に出て播但道に乗るまでの道筋を道路地図から頭に叩き込むことにした。ところが1999年発行私の地図では播但道は生野北止まり。否が応でも道路標示頼みにならざるを得なかった。

道路地図は最新のものでないと、とは前々から思っていたが、今回の出来事でその必要性を実感した。ところがそれでも不便なのは詳細図が限られていることである。調べたいところがその範囲外ということがザラである。となると選択肢がカーナビか地図ソフトか、ということになる。

私はカーナビのお世話にはなりたくない。カーナビを愛用している息子は便利だからと勧めてくれるが、ただでさえ人に口出しされるのが嫌いな私が機械ごときに指図されるのは真っ平である。地図と磁石もしくはお天道様を頼りに道を探し歩いてきたある種の動物的な『勘』をそんなことで失いたくない。時には息子の車に乗せられてドライブに出かけることのある妻もカーナビを勧める。ドライブを終えるとカーナビが「長時間のドライブ、お疲れ様でした」とか云ってくれるのがいいよ、とか。

となると自ずと選択は地図ソフトになる。インターネットからMapFan.netとゼンリンのits-moNaviの無料体験版をそれぞれダウンロード、インストールしてその性能などを比較してみた。要は目的地までの経路が分かればいいのであるから場所の検索機能と表示のズーム機能があれば私にはもう十分である。双方それぞれ特徴があって遜色がない。価格も前者が年間税込み2079円なら後者は1980円でほぼ同じ。ところがプリントアウトしてみると両者の違いが顕著になった。MapFan.netは画面に表示されたまま印刷されるのにゼンリンの方は画面通りには印刷されず、例えば幅のある道路がただの線になったりそのほか印刷されない部分がかなり目立った。それでMapFan.netが残ったがこのプリントアウトをこれまで使ってきた昭文社の道路地図と較べると、見慣れているこをと割り引いても私の好みは昭文社に軍配が上がる。

昭文社もSuperMappleDigitalという地図ソフトを発売しているが、こちらはCDもしくはDVDによる発売で、全国版は1万円を上まわる。ダウンロード版は用意されていない。試しようがないのでそこは冒険、従来の道路地図と同じようにプリントアウトされるであろうとの予測で結局この製品を購入した。前二社の製品に較べて割高のようであるが毎年更新するほどのことでもなし、ノートパソコンに2GBほどの全データをインストールしておくとオフラインで何時でも必要な箇所を参照できるなどのメリットがある。

同じ地域のプリントアウトを並べてみた。上からSuperMappleDigital、



MapFan.net、



its-moNavi



の順である。基本的にはデフォルトの設定で印刷をした。最新のマップが手には入って時はまさに秋、ドライブが忙しくなりそうである。

『朝日新聞不祥事』事件と謝罪のかたち

2005-09-03 10:17:46 | 社会・政治
朝日新聞に『不祥事』が続発している。『げすの勘ぐり』では他の新聞社でも似たようなものではないかと思うのだが、サイコロの目と同じで今のところはたまたま「一の目」が出続けているのであろう。

『朝日新聞不祥事』事件が短期間に集中して発生したのは、世間の耳目を集める意味ではよかったと思う。新聞記事には作為・不作為を問わず間違いが起こりやすいもので、簡単に信じない方がいいと云うことを知らしめたことになったからである。

私がこのブログで指摘した『取材源の秘匿』は騙しの手口にもなるということが、今回の不祥事でいみじくも裏付けられた。『取材源の秘匿』を金科玉条の如く振りかざしている肝腎の新聞社で『取材記録』の外部への流出があり、未だにその経路すら分かっていないというのである。このちゃらんぽらんな『取材記録』の管理の在り方自体が、『取材源の秘匿』が外部へ対する言い訳に過ぎなかったことを証明している。

私は新聞社・新聞記事の無謬性を要求しているのではない。そんなことは絶対にあり得ないからである。それを新聞社と読者の双方が心得ておくことが常識となって欲しいのである。だからといって読者が欠陥記事に寛容になることを説いているわけでもない。建前としては読者は『正しい内容の記事』を購入しているのであるから、『間違った記事』=欠陥商品を押し付けられたときは返品なり取り替えを求める権利がある。

『朝日新聞不祥事』事件続発で『謝罪』が相次ぐ。しかしどうも言葉が白々しく聞こえる。と、ふと思った。何かことある度に日本国政府なり時の総理大臣が中国や韓国などに謝罪する、それと同じじゃないのかな、と。

『謝罪』にかたちが伴ったらどうだろうか。朝日新聞社が謝罪する度に何かの入場券をタダで配る。絵も見ない音楽も聴かないという読者にはやっぱり金券がいいのかもしれない。『不祥事』の程度では何日か休刊することで真の謝罪・贖罪を知らしめるのもよい。もちろん読者にはその間の料金は返金する。間違いなく読者には真摯な謝罪と伝わるであろう。

朝日新聞社側にもメリットが無いわけではない。中国や韓国などから『謝れ』の声が再び起こったら、言葉の『謝罪』だけでは駄目だ。我が社が『謝罪』のかたちを『金品』で示したように各国に『金品』を送るべきであるとでも胸を張って社説で論じ、日本国政府に教示できるではないか。