日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

総選挙雑感(1) 『マニフェスト』の愚

2005-09-13 11:44:28 | 社会・政治
私は今回の総選挙でどの党の『マニフェスト』にも目を通すことはなかった。それでも自分の考えに従って投票を無事済ませた。だから私には『マニフェスト』は存在しなかったのも同然である。

何時誰が何処で言い出したのか知らないが、私は『マニフェスト』という言葉が嫌いである。公約がよい。二文字で済むことを六文字に増やして中味の貧しさを包装でごまかす、そのような『みみっちさ』を感じるからである。

公約とは私の大好き新明解国語辞典(第五版)では「政府・政党など、公の立場にある者が選挙などの際に世間一般の人に対して、約束すること。また、その約束」としっかり説明されている。一方マニフェストは「宣言。宣言書」と素っ気なく書かれているのみ。だから『マニフェスト』ではなく『公約』という言葉をこれ以降用いる。

民主党の『公約』に目を通すことは私にとってはもともと無意味だったのである。何故か、を説明しよう。政権交替を民主党は唱っていた。だから『公約』は自ずと政権を取った暁にはこうしたい、と述べていたに違いない。私は選挙情勢から自民党が過半数を制するものと思っていた。私の目からはもともと民主党には『公約』を実行に移す可能性がまったくのゼロであった。このような『公約』は単なる『空手形』に過ぎない。そのようなものに目を通すほど私は暇人ではない。

これは私の個人的姿勢であったが、そのように一度シニックに『公約』ということを考えると、『公約』にいくつか注文が生まれてくる。

まず政権から遙かに離れている共産党や社民党への注文。

政権を取ったらこうする、の類の『公約』はまったくご無用に願いたい。そのようなことを一つでも書いたら主張の全てが嘘っぽく受け取られかねない。共産党や社民党の存在意義は批判政党であることだ。徹底的に政権政党のアンティテーゼの立場を貫くべきである。そのような党の基本的な姿勢を『公約』で誓えばいい。ただ現実的には柔軟な姿勢を選べばいい。

政府の提出した法案に基本的に反対するのであれば、国会の場でその問題点を分かりやすく国民に知らせるための討論をリードする。場合によっては対案を提出する(そこまでの議席があれば)。それに加えて修正すれば賛成可能な法案に対しては積極的に参画の姿勢を明瞭にする。そして法案の成立に積極的にかかわった実績を残すことが国民の共感を得ていく。「何でも反対、○○党」と揶揄されるようになってはお終いである。

政権党を本気で目指すなら『公約』実現のための作業時間表を必ず提示する。それが出来ないような『公約』は『公約』に値しない。テレビで観ただけだから余計にそう思ったのかも知れないが、今回の選挙に関する限り『公約』は『郵政民営化』以外みな絵に描いた餅であった。

インターネットの時代である。作業時間表でもある『公約』をインターネットで公開することを義務付けたらいい。必要とあれば極端な話何十ページ、何百ページとなっても費用はかからない。ただ国民にどのように読ませようとするかそれなりの工夫が必要で、読みやすいか読みづらいか、そこにも政党の国民に向かい合う姿勢が現れるのがいい。この『記録』を残すことが『公約』の成果の検証を可能にする。

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