日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

韓国併合条約から100年、菅首相談話なんて不要!

2010-08-05 20:29:42 | 放言
私はかっての在朝日本人として朝鮮問題には人一倍関心を持っているつもりではあるが、分からないことの方が遙かに多い。だからこそ気になる本が出るとつい手が出てしまう。最近も金賛汀著『韓国併合百年と「在日」』を読んでで、その読後感を述べたのもその一連のあらわれである。『新に学んだことが思いの外多いことに驚いた』と感想を述べた。

今日の朝日朝刊に次のような見出し記事が出ていた。ただし引用した記事はasahi.comのものである。


 菅直人首相は、29日に韓国併合条約発効100年を迎えるのを前に、過去の植民地支配への反省や未来志向の日韓関係を築く決意などを柱とする「談話」を発表する方針を固めた。韓国が日本の植民地支配からの解放を祝う15日の「光復節」の前に公表することを視野に調整している。(中略)

 また、談話の内容は、アジア諸国への植民地支配に対して「痛切な反省の意」と「心からのお詫(わ)びの気持ち」を表明した1995年の「村山談話」の枠内とする方針。また、戦後は良好な日韓関係が続いていることも明記し、未来に向けて前向きなメッセージも盛り込む方針だ。

 韓国国内では政府や研究者、市民団体などから、首相談話を求める声が強まっている。韓国政府は、談話が出るなら15日の「光復節」の前が望ましいとの意向を日本政府に伝えていた。
(2010年8月5日7時31分)

敗戦後50周年にあたって出されたいわゆる村山談話の「韓国併合」に関わりのあるところと言えば、次の箇所になるかと思う。

 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

この枠内で菅首相が談話を発表する予定らしいが、それならわざわざ談話を発表するまでもないではないか、と私は先ず思った。談話というものの、内容は謝罪である。それはすでに村山談話で済んでいるではないか。その謝罪を繰り返すたびにその重さが軽くなると感じるのは私一人ではあるまい。ましてや一国の総理の言である。ぺこぺこ頭を下げれば済むという問題ではない。韓国側からの働きかけがあったにせよ、屋上屋を重ねるような言説はまったく不要であると思う。というのも韓国併合にいかなる形であろうと関わりを持つ日本人は、韓国併合に至る過程とそれがもたらした結果に無関心ではあり得ず、私もその一人であるがそれぞれの思いで歴史を学び、先人の犯した罪を忸怩たる思いで分かち合っているのである。しかしその世代の日本人も齢を重ねるにつれて次第に姿を消し、国の内外で戦争を知らない世代が大勢を占めるようになった今、過去の植民地支配を謝るという実感があるはずがないのではなかろうか。

韓国併合のいきさつなど、中学、高校を通じて教室で教えて貰ったことはなかったが、私は自分の関心からまがりなりに勉強をしてきた。ところが同じかっての日本の植民地であった台湾のことについては、まったくと言ってよいほど知識がない。日清戦争に日本が勝ったおかげで台湾が清国から割譲され、朝鮮総督府と同じく台湾総督府があったということぐらいは知っているが、それまでである。その台湾に対して戦後日本が何をしたのか、それすらほとんど思い出せないだけに、朝鮮からの「談話要求」に未来志向ならぬ怨念を感じてしまう。

朝鮮の人に日本に対する怨念があるのは事実であろう。海野福寿著「韓国併合」(岩波新書)はこの問題についてよく書かれた本だと思うが、そのなかに「併合」なる言葉について次のような説明がある。


 ちなみに「併合」ということばは、草案作成にあたった倉地政務局長がえらんだ政治的造語だった。彼は日韓対等合併の印象を与えず、国家廃滅・領土編入でありながら刺激的でないことばとして、当時あまり使用されていなかった「併合」を用いたという。合併でもなく、併呑でもはいという意味だろう。

明治37年の日韓議定書、第一次日韓協約に始まり、翌38年の第二次日韓協約で韓国に対する保護権の確立、そして40年の第三次日韓協約を経て明治43年8月29日の韓国併合に関する条約で韓国は日本に併合されてしまった。その間、日本軍は韓国の義兵闘争に巻き込まれる。上記の本は

 朝鮮駐劄軍司令部編「朝鮮暴徒討伐誌」によれば、1907年から併合の10年にいたる4年間に公選回数2819回にのぼり、14万人の義兵がこれに参加した。このうち17688人の義兵の血が山野を染めた。

と述べている。これに対して呉善花著「韓国併合への道」(文春新書)は同じ資料をひきつつ、日本側の損害がわずかに死者133人、負傷者369人を数えたに過ぎないと記している。ちなみに義兵側の負傷者は3800人、捕虜1933人である。まるで義兵側の大量虐殺のような印象すら与える。こういうことを韓国人が学校教育で教え込まれると否応なしに怨念を引き継がざるを得ないであろう。そのせいか、先ほどの7時のNHKニュースで韓国に好意を持つ日本人が確か60%前後であったのに反して、日本に好意を持つ韓国人が28%という世論調査の結果が紹介されていた。

この結果を私なりに解釈すると、日本ではなまじっか韓国併合の歴史などを学校で教えないから、そういう過去の軛から解き放された自由な自分の目で今の韓国を見つめ、自分なりの心証を作り上げていく。それが世論調査の結果に反映しているのであろう。韓国が自国民にどういう教育を施そうとそれはそちらの自由で日本が干渉すべきことではない。しかし日本は日本である。確かにある意味では加害者でもあったことは事実であるので、その立場からは「過去は忘れましょう」とは言い難いが、すでに謝罪を行っているからには沈黙を守ることで「忘れましょう」のメッセージを送ることは可能であると思う。

歴史を中途半端に教えまた理解することよりも、知らずに済ませられることはそれもよいではないか。いずれは忘却のかなたにすべてが消えていく。どうせ菅首相の予定されている談話も、表面的な中途半端なものであることは目に見えている。沈黙を守ることで歴史に対する一つの姿勢を示す方がはるかに賢明である。それとももしかして、菅内閣が短命で終わることを予感し、せめて「菅談話」で自分の名前を後世に残そうと焦っているのだろうか。



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