日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

日本相撲協会を「相撲特区」にすべし

2010-07-02 17:50:40 | 放言
今やマスメディアで大相撲・賭博問題がかまびすしい。何やかや騒がれながらも結局名古屋場所は開かれそうで、やはり銭勘定第一なのであろう。勧進相撲-おあしを取って見せる相撲-が大相撲の起こりであるからには至極もっともな成り行きで不思議とするに当たらない。そう思ってみると今の騒ぎは私の目には極めて異常に映る。

かれこれ3年ほど前になるが、相撲は国技にあらず?なる一文を認めたことがある。その中で「鳶魚江戸文庫4 相撲の話」(中公文庫)から次のような引用を行った。

この本の巻尾に山本博文氏が「相撲取りの生活」という一文を寄せており、そのなかに以下の文章があった。肝腎なところはもともとは新田一郎氏の文章のようであり、少々長いが引用させていただく。

《 相撲が「国技」になったという事実はない。それではなぜ現在相撲が「国技」だと称されているのであろうか。
 「国技」としての相撲は、明治四十二年(1909》五月、両国元町に落成した相撲の常設館が開館したとき、「国技館」と命名されたことに始まる。名称は直前まで決まらず、開館式のための小説家江見水蔭の起草した披露文に「相撲は日本の国技なり」という言葉があり、年寄尾車(をぐるま)がそれに着目して「国技館」の名称を提案したという(新田一郎『相撲の歴史』山川出版社)。
 つまり、相撲が「国技」だというのは、全くの美称であり、僭称でもあるのである。
 しかし、昭和天皇が相撲好きで、(中略)中日に国技館に赴き、相撲を見ることが慣例になっていた。このことが、相撲を「国技」と称しても誰も不思議に思わないという思考構造を生んだのだと思われる。(中略)
 それにしても「国技館」という名称に釣られて、無責任に相撲を国技だと称するマスコミは、少し問題があるのではなかろうか。このような架空の言説が、実体を生むことになる。(後略)》

論旨が実に単純明快、だから私は素直に納得した。とくに赤色で強調した部分に注目していただこう。言葉をかえれば「国技」なる言葉に重みをつけんがために、相撲協会が昭和天皇を上手に利用しただけのことなのである。この大相撲の権威付けには前例がある。「鳶魚江戸文庫4 相撲の話」によると寛政三(1791)年、江戸城吹上御庭で行われた十一代将軍家斉の上覧相撲がそれである。中入りの休憩を挟んで全八十二組の取り組みが行われ結びの一番は東西の両横綱小野川喜三郎と谷風梶之助の取り組みであった。長い間幕府から胡乱な目で見られ、相撲取りと「通り者」と同一視されていた当時、この上覧相撲が相撲に伝統の権威を付与することになったとされる。権威付けを必要とする体質が相撲の世界にあったのである。

「通り者」とはいわゆる無頼者のことである。だからこそ幕府から胡乱な目で見られていた。「鳶魚江戸文庫4 相撲の話」には元禄以来新しい相撲術が行われて、それまでの相撲が大変化するようになった、と述べて、それに引き続き次のような話がある。

それ以前の模様は、『色道大鏡』の「悪性」というところに、
  風呂相撲芝居兵法男だて三味蕎麦切りにばくち大酒
と書いてある。始末にならぬ悪性という中に、相撲が入っているというほど、厄介なものだったので、相撲の禁止ということも、この大厄介のためなのです。

とある。『色道大鏡』とは藤本箕山という人が書いたもので、延宝6(1678)年に16巻が成立、貞享5(1688)年以降に18巻成立したものである。この人は家督を継ぐが財産をすベて遊郭通いにつぎ込んだという粋人で、この書は諸国の遊里の風俗・習慣を記した江戸時代の評判記なのである。面白いことにこの『色道大鏡』の復刻版が最近出版されて、その一部を話題のGoogleブックスで見ることが出来るが、「悪性」は次のように説明されている。

悪性(あくしょう) 悪人(あくにん)のみをさしていふ詞(ことば)にあらず、當道(たうだう)にても、いたづらなる者をいふ。悪性(あくせう)を題する哥(うた)、
 風呂すまふ芝居兵法おとこだて
 しゃみそばきりにばくち大酒
此哥にて、此心をしるべし。

「いたづらなる者」とは「徒ら者」で、「岩波古語辞典」によれば「無用の者、怠け者(lazybonesこと私もこの範疇に入る)」に始まり、「不心得者、ろくでなし、ならず者」と説明が続く。これで分かるように相撲取りはその当時の人の目にもばくち打ちと同じように映っていたのである。『色道大鏡』の出たあとの元禄時代(1688-1703)を境に相撲術が大きく変化したとしてもこの「本性」が大きく変わることはなく、だからこそ上覧相撲の行われた後代の寛政三(1791)年にあっても、相撲取りは依然として「通り者」と見られていたのであろう。少々回りくどいことを述べたが、要するに歴史的には相撲取りはばくち打ちと切っても切れない関係にあったのであり、その伝統が今にも引き継がれていると思えば、今回のことも相撲取りが時代が変わったせいで野球賭博に手を出しただけのことで、何も驚くにあたらない、と言いたいのである。賭博があってこその相撲社会なのである。賭博を知らない人間がいかにも知ったかぶりの物言いで恐縮であるが、これが相撲社会についての私なりの受け取りようなのである。いいも悪いも昔からのものを引き継ぐ、伝統を守るとはそういうことなんだろうと思う。

私の感覚で言うとパチンコも賭博である。ばくちとは新明解国語辞典によると『金品をかけて、さいころ、トランプ、花札などの勝負事をすること。』なのであるが、パチンコはさいころの代わりにパチンコ台を使っているだけのことで、金品をかけているのとはまったく同じである。そのパチンコが1995年の過去最高といわれる30兆円以上の売り上げ高より減少傾向にあると言われながらも、2008年に24兆円超の売り上げを依然と誇っているところを見ると、賭博・ばくちの行為自体が排除すべき社会悪なのではなく、隠れて賭博・ばくちをやられると、税金を取り損ねるから悪いと言っているだけだろうと私は思ってしまう。だからこそその昔から『風呂相撲芝居兵法男だて三味蕎麦切りにばくち大酒』のように相撲もばくちも同列に見なされているのであろう。だから私は今でも共存すればよいと思っているが、問題にするとすればその共存あり方であろう。私は日本相撲協会を「相撲特区」にしてしまえばよいと思う。

やり方はその道の専門家が智慧を出せばよいのであって、大相撲が開かれている間はその場所に出かければあらゆるばくちを大ぴらに楽しめるようにすればよい。大相撲だけでなく、地方巡業でも、またそれぞれの相撲部屋でも、そこに行けば好きなばくちを楽しめるようにするのである。頭にちょんまげを結っている姿を見つけたら後をつけていく。すると必ずばくちが自由にやれる場所に行き着く。もちろん税金はたっぷりと徴収する。刑法を改正するのかどうか、またしないといけないのかどうか、私には分からないが、ある種の治外法権圏にすればよいのである。

そして「相撲特区」の極め付きは、相撲取りの手に入るあらゆる収入を無税にするのである。今日のasahi.comにも

 さらに表向きには収入として表れない、祝儀や小遣いが懐へ入ってくる。それでも昔に比べれば、不景気でタニマチからの金銭の授与は少なくなったという。十数年前には人気力士に1億円を渡し、床山にも2千万円以上をポンと渡した後援者がいたという。もちろん、税金の申告はされていない。

なんて記事が出てた。タニマチの大盤振る舞いも伝統の一つであったのに、ご祝儀を申告しないと脱税扱いされるようななったのだから、たまったものじゃない。タニマチのご祝儀を寄付金控除扱いにすればますます太っ腹のタニマチが現れ、相撲取りに否応なしに「土俵には金が埋まっている」ことを叩き込むことであろう。金で釣ることになるが、それに誘われて強い日本人力士が増えてくるのではないかと大いに期待するのである。私は以前に朝青龍問題 日本相撲協会は『皇民化教育』を廃すべし


大相撲が日本人力士だけでやっていけるのか。日本相撲協会が乾坤一擲の勝負にでる気構えがあるのなら、その再生の秘策を伝授するに私はやぶさかではない。

と述べたことがある。その再生の秘策として私が心に描いていたのが「相撲特区」における相撲取りのタックス・ヘイブン化であった。賭博問題で相撲協会が大揺れに揺れている今こそ、生き残りをかけてそれこそ乾坤一擲の勝負に打って出るチャンスであろうと嗾ける次第である。





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