日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

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金賛汀著『韓国併合百年と「在日」』を読んで

2010-05-27 11:00:15 | 読書

韓国併合条約が公布された1910年8月29日を以て韓国は国号を朝鮮とあらためて日本の植民地となった。今年2010年はその100年目にあたる。著者の「在日」二世金賛汀(KIM Chanjung)さんは1937年京都生まれなので、戦前の日本の空気を吸っている私とほぼ同じ世代の方であり、このことだけで読む前から親近感を抱いてしまう。それはともかく、私自身日本で生まれて朝鮮に渡り、戦前、戦中をそこで暮らした在朝日本人であるので人一倍朝鮮問題に関心は持っているものの、この本を読み終わった今、新に学んだことが思いの外多いことに驚いたというのが、率直な気持ちである。

「はじめに―韓国併合条約が締結された日」から話が始まるが、その8月29日のある出来事を次のように記している。

 朝鮮半島が沈痛な感情に覆われているとき、日本国内は祝賀気分が満ち満ちて、夜には提灯行列が繰り出され、群衆は「万歳! 万歳!」と叫んで町街を練り歩いた。

これ以上提灯行列について踏み込んだ記述はない。当時の人はいったいどのような気持ちで提灯行列をしたのからして私には分からない。朝鮮相手に戦争をして勝ったわけでもなしと思うのに、当時の日本では桃太郎よろしく鬼ヶ島征伐をして宝の山を持ち帰ったような気分になっていたのだろうか。何のための「万歳!」なのか、これは調べてみる価値があるな、と最初から課題を突きつけられた思いであった。その時代背景すら私がまともに把握していなかったからである。

全体は「I 植民地支配の幕開けと在日」と「II 植民地時代の終焉と在日社会」に大きく分けられる。なぜ朝鮮人が日本にやって来たのか、その歴史的経緯がまず述べられているが、大きな流れは『没落農民を安い労働力として企業が誘引』したことになっている。朝鮮農民の耕作地が次々に日本人地主や農業経営会社の手に渡っていったことが没落農民を産んだのであるが、その「土地収奪」の手口たるや日本人として読んでいてあまり気持ちのよいものではない。そして日本での劣悪な労働環境下での悲惨な就業情況などが書き連ねられると、細井和喜蔵著「女工哀史」に記された日本人女子労働者の労働条件や生活状況などを並び立てて、朝鮮人だけのことではないんだけれどな、とつい叫びたい心境になってしまう。それだけに少しでもほっとするような話題を見つけると気が休まるのである。ちなみに金さんは『(本文中の「朝鮮人」という言葉は、国籍を指すのではなく、民族名として使った。)』と断っているが、私もそれを踏襲している。

その一つ、「在日」は望むと望まざるにかかわらず日本帝国臣民であった。1925年5月に公布された普通選挙法の「帝国臣民たる男子にして年齢25年以上の者は選挙権を有する」との定めにより、本土に在住する「在日」はたとえタコ部屋で酷使されていようと、いかに才媛の大和撫子ですら手にしえなかった選挙権を行使できたのである。1932年の東京における衆議院選挙で、朴春琴が対立候補の浅沼稲次郎を破ったなんて話が出てくる。ところが在日の票に目をつけた浅沼が巻き返しに出て、その後の選挙で朴を破ったというから面白い。しかし残念ながらこのような話は後が続かない。

私が目を開かれたのはおもに「II 植民地時代の終焉と在日社会」のところである。在日団体として「在日大韓民国民団」(民団)と「在日本朝鮮人総聯合会」(朝鮮総聯)の存在がよく知られているが、その実態については韓国もしくは北朝鮮に親近感をいだく在日朝鮮人が加盟している任意団体ぐらいに私は思っていた。ところがこれらの団体が出来はじめてから現在に至るまで、それぞれが支持する南北朝鮮政府のご用組合であるかのように描かれている。まず出来はじめの頃であるが、

 このように在日社会に左右の思想的基盤を持つ二つの組織が全国に張り巡らされるようになり、在日社会に大きな影響を及ぼしていくことになる。ただ民団が結成された時期、在日の支持は圧倒的に朝連にあった。これらの左右の思想的基盤を持った在日の組織は何れも同胞の権益の擁護と朝鮮半島での新国家の建設のための活動方針を採択していた。しかし、双方の団体とも幹部たちは在日同胞よりも本国に目が向き、本国での新国家建設に参加したいという欲求が強かった。(中略)このような本国志向の想いは民団、朝連(後には朝鮮総連)の幹部たちの体質になって根を張り、現在に至るも、両組織の幹部たちは、在日よりも南北の両政権に視線が向き、ともすれば在日を無視する姿勢になっている。
(150、151-152ページ))

さらに

 在日が定住を意識し、祖国志向のしがらみから解き放たれようとしていた1960年から1970年にかけて、在日を代表する二つの組織は在日を見捨てたかのように本国政府の政策遂行に目の色を変えて取り組んでいた。とくに朝鮮総連の変貌が激しい。(中略)
 在日の視点を無くしていたのは民団も同様である。(中略)
 一概に言えるのは、総連も民団も、在日同胞問題は眼中になくなっていた、ということである。こうして両団体がそれぞれの政権の抗争のお先棒をかついでいるうちに、組織を見放した無党派とも言うべき在日の人たちの運動が起き始めていた。
(226、228、231ページ)

 在日の定住意識が明らかになるに従い、これまで重要視してこなかった日本での生活に必要なさまざまな権利獲得に働く人たちが現れてきた。民団、総連組織と関係のないところで、在日の人々は、生活上の必要から、日本政府が在日に認めていなかった、政府系金融機関から融資を得る運動や、公団住宅などへの入居資格の獲得に動き、担当部局とのこごの交渉で認めさせていった。
(231-232ページ)

なるほど、と思ったのは次の一節である。

 在日の定住化が、揺るぎなくなった大きな要因に、在日の婚姻問題がある。
 在日の結婚統計が取られるようになった1955年、在日の結婚は81.4%が同族同士の結婚であった。それが1965年には78.8%、1975年には67.1%、1985年には43%、1995年には28.7%、そして2001年には11.4%になり、最新の統計である2007年には9.6%とわずか9%台にまで落ち込んでいる。結婚の相手はほぼ日本人である。
(238ページ)

この数字の物語るところは大きい。若い世代はすでに日本人、朝鮮人を隔てていた大きな壁の一つ、偏見をすでに乗り越えてしまっているのである。

注目すべきは最近の話題である定住外国人の参政権問題との関わりである。

 在日の市民グループがたどり着いた結論が、「日本社会との共生」という目標である。日本は仮の住まいで、いずれ朝鮮半島に還ると考えていたときは、自分たちが日本社会の一員で日本社会の繁栄と発展を願い、住みよい社会建設に努力するという発想は生まれてこない。在日が日本社会の一員と認識した時から日本社会との共生という意識が育ち、日本社会に自分たちの意志を反映させる場として選挙権を保持すべきだとの意見が多くなっていった。
(258ページ)

私にも分かりやすい論旨である。それならば外国籍のまま参政権を要求するのではなくて、十分にその資格があるだろうから日本国籍を獲得すれば、この参政権問題は素直に解決するように思う。もちろん外国籍のままの参政権要求の動きは当分消えないだろうが、上の結婚問題の場合と同じように、もう少し時間を置けばよいのである。ただ日本国籍の取得に際して次のようなことが事実であったとするなら、これは遺憾としか言いようがない。誰が日本政府にそんなお節介をする権限を与えたというのだろう。

 1980年代まで多くの在日が、日本国籍取得を拒否した姿勢は極めて異常である。それは「同化」を強要する政策を日本政府が取り続けたからだ。その一例は、金だとか李、崔などの民族名では日本国籍取得は絶対に許可されず、改名した日本名での申請しか許可はでなかったことからでも理解出来るであろう。
(255ページ)

1990年代に入ると、日本政府も民族名で日本国籍を取得することを許可するようになっていったとのことである。

また権利の行使ということで参政権とは異なるが、「住民権」が現実的な取り扱いを受け始めていることを知った。

 1990年代に入り、各自治体では地域住民の生命と財産に関わる問題 ― 原子力発電所の建設問題や、産業廃棄物の大規模処理施設導入などの是非を全住民の賛否による、住民投票で決定する傾向が強まった。この時期、この住民投票の「住民」に在日は含まれていなかった。
(261ページ)

しかし、である。

 その後、「在日」は住民でないのかという真摯な問いかけに、三世代、四世代に亘り、地域に永住している在日を「住民」と認めないのはおかしいという、極めて常識的な判断をする自治体が現れ、2002年3月、滋賀県米原町の町村合併の賛否を問う住民投票に、町議会は永住外国人の投票を認める決議をした。(中略)
 米原町の動きは各地の自治体に影響を与え、在日に住民投票権を与える自治体は増加していった。これらの自治体は在日定住外国人に選挙権を付与する決議でも賛成に転じ、2009年現在、全国に2213ある自治体の半数以上が参政権を認めるという意見書に賛成決議をしていて、参政権問題、住民権問題は少しずつ前進している。
(262ページ)

住民権問題に関して私はまったく同意見であるが、参政権問題に関しては憲法に則って欲しいと思っている。

急ぎ足で、しかも限られたテーマについての感想を述べるにとどまったが、著者の第三者的視点からの抑制的な記述が印象的であった。ここを出発点として私なりの探求を続けようと思う。
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