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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

伊藤ハム「シアン問題」は幽霊事件?

2009-01-12 23:34:21 | 学問・教育・研究
「人の噂も七十五日」とはよく言ったもので、伊藤ハムが東京工場で使用していた一部の地下水に水道水の水質基準を超えるシアンが検出されたこと、その地下水を製造工程で使った可能性のある製品の自主回収を行うことを公表したのが昨年10月25日であるが、それから80日近くになってもう誰も気にしなくなったようである。それはそれでよいのであるが、私は暮れのブログ謎は謎を生む伊藤ハム「シアン問題」に《最大の謎はシアンの異常値が果たして水質検査に伴う人為的な混入であると断言してよいのかどうなのかである。次に触れてみたいと思う。》と書いてしまったので、今更知らぬ顔も出来かねて私なりの結末をつけることにした。

幽霊会社とは実際には存在しないのにあるかのように見せかける会社のことで、詐欺事件などによく登場するが、伊藤ハム「シアン問題」も実体のないものに踊らされたと言う点では幽霊事件ではなかったのか、というのが私の今の感想である。

物事の発端になったのは井戸水である。私が子供の頃は都会でも井戸はいたるところにあった。釣瓶であろうと手押しポンプであろうと、くみ上げた水はそのままごくごくと美味しく飲んだ。夏には西瓜を井戸につり下げて冷やしたものである。深さは10メートルもなかったのではないか。伊藤ハムでは50メートルから200メートルの深さからくみ上げた地下水を使っていた。私の感覚で言えば井戸を掘って水が汲めるようになったら一度ぐらいは水質検査をして飲用に支障ののないことを確かめればもうそれでよいのである。あとは毎朝井戸水をくみ上げてまず無色透明であることを目で確かめ、変な臭いがなければ一口口に含み変な味がしないことを確かめる。そこで気持ちよくぶがぶと飲んで変わったことがなければそのまま使えばいいのである。地下水とはもともとそのようなものである。伊藤ハムが五感判断で井戸水を使っておれば今回の事件なんて起こりうるはずもなかった。と言うのも今回の出来事に限って言えば、井戸水の水質検査をすること自体が事件を作り上げたようなのであるからだ。一つの鍵が「伊藤ハム(株)東京工場における専用水道の水質調査検討結果」(平成20年12月5日)が文献調査結果として取り上げている次の論文にある。速報のせいか記述が必ずしも十分でないので、反応に要した時間とかその時の温度、pHなどいろいろと確認したいことがあるが、私はこの論文の骨子を次のように理解した。





「国の定めた検査法でシアンを定量する際に、もともと試料水に含まれていないシアン化物イオン及び塩化シアンが検出されることがあるが、それは検査法で使うように指定された酒石酸-酒石酸ナトリウム混合緩衝液のせいで作られたものであろう」というのである(注1)。なぜなら酒石酸緩衝液の代わりに酢酸緩衝液、リン酸緩衝液、フタール酸緩衝液などを用いると、シアン化物イオンは出来ないし塩化シアン量も無視できるほど低いレベルしか検出出来なかったからである(注2)。

伊藤ハムの調査対策委員会報告書(平成20年12月25日)においても、酒石酸緩衝液存在下で塩化シアンの生成が実験により確認されているので、この論文の指摘は正しいことになる。以前にも述べたように《酒石酸緩衝液の成分が、原水処理に使う次亜塩素酸ナトリウム由来の結合塩素(クロロアミン?)と反応してシアン化物イオン及び塩化シアンが出来るという》反応の詳細が解明されたわけではないが、もし国の定めた検査法が酒石酸緩衝液ではなくて酢酸緩衝液を使うように指定していたら、塩化シアンが検査中に作られることもなく、今回の事件はもともと起こることもなかったと言える。その意味で幽霊事件なのである。

もし、誰でもよい、この分析化学論文に目を通していて、異常値が出たのは酒石酸緩衝液のせいではなかろうかと疑い、念のために他の緩衝液を使って再検査をしておれば、たとえ次亜塩素酸ナトリウム溶液の使い方にいかなる問題があろうとも、井戸水原水、処理水とも実際は異常のなかったことを確認出来たのではなかろうか。誰かが一人でも気づいて迅速に対処しておれば、国定の検査法に問題のあることの指摘だけで終わった問題なのではなかろうか。つくずく関係者の不勉強が惜しまれる。食品加工に井戸水処理水を使っているのは全国で伊藤ハムのみではあるまい。ただ不勉強の恥をあのような形で馬鹿正直に世間にさらしたのが伊藤ハムだけだったのではと私は想像する。

それにしてもこのような問題のある検定法を定めた政府にも「世間を騒がせた罪」の一端がある。伊藤ハムにしたら損害賠償を訴えたいところかも知れない。しかしそういう法律問題はさておき、多少のアンモニアが溶け込んでいても五感がOKとする地下水を水質検査なんて余計なことをせずにそのまま使っておれば何の問題もなかっただろうにと思う。わざわざ次亜塩素酸ナトリウムを投げ込んだばかりにいろいろな副産物を作り、その検査に振り回される。検査にかかる高額費用を負担しているのは結局消費者であるのに・・・。

なんせ日本は水洗便所に飲料水を惜しげもなく使う国柄なのである。排泄物を洗い流す水なのに五十一項目にわたる水質基準を満たさないといけないとは、と、ちょっと見方を変えてみると、政府は大金を水に流すような壮大な無駄を国民に強いている隠された側面が浮かび上がってくるのである。それに疑問を抱かない国民に伊藤ハムをとやかく言う資格は無いように思う。

注1 《3 試料の採取及び保存
試料は、精製水で洗浄したガラス瓶又はポリエチレン瓶に採取し、試料100mlにつき次亜塩素酸ナトリウム溶液(有効塩素0.05%)1mlを加えてゆっくりかく拌し、更に酒石酸緩衝液(1mol/L)1ml及び酒石酸ナトリウム緩衝液(1mol/L)1mlを加えた後、満水にして直ちに密栓し、冷蔵して速やかに試験する。
なお、試料に結合残留塩素が含まれていない場合には、次亜塩素酸ナトリウム溶液(有効塩素0.05%)1mlを加えてゆっくりかく拌する操作は省略することができる。》

注2 水質基準に関する省令の規定一部改正(平成17年3月30日)では次のような改正がなされた。
《(8) 別表第12
・ 検水に結合残留塩素が含まれるときは、試料採取時に次亜塩素酸ナトリウムを添加し、遊離残留塩素に変化させてから分析すること等とした。》

注1にあるように試料に結合残留塩素が含まれていないという前提(塩素処理が十分であるとの前提)で次亜塩素酸ナトリウム溶液の添加を省略する場合に比べて、塩素処理が不十分で検水に結合残留塩素が含まれる場合に次亜塩素酸ナトリウム溶液を添加すると、その操作でさらに塩化シアンの生成量が増えることも分析化学論文は報告している。


追記(1月13日) 平成20年10月7日に採水した2号井戸原水に0.037 mg-CN/Lのシアン化物イオン及び塩化シアンが検出された事実には依然として謎が残る。