日々是好日

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オバマ大統領の就任演説にあらわれた科学観 そして期待するもの

2009-01-22 17:25:52 | 社会・政治
オバマ大統領の就任演説をThe New York Times ホームペジーのビデオで視聴した。なかなか格好の良いスピーチで、若い国アメリカのイメージそのものを体現しているようだった。しかし話の中身が盛り沢山すぎて私にはやや散漫に聞こえた。

ポイントは「And why a man whose father less than 60 years ago might not have been served at a local restaurant can now stand before you to take a most sacred oath.」に尽きると思った。このように劇的な選択を行ったアメリカには前人未踏のことを成し遂げる力がまだ十分に備わっていることをオバマ大統領の出現自体で示しているからである。あとは誰が大統領になっても言えることだから、付け足しは最小限に止めて演説時間を五分ぐらいに縮めておけば、小学校ぐらいからでも生徒のよい暗記材料になるだろうに、と思った。

The New York Timesの口述記録では二十分足らずの演説が拍手で中断したのは十二カ所になっているが、実際に聴いた限りでは中途半端な拍手が二、三箇所であった。演説の途中で拍手が湧き上がったところもあった。

「We will restore science to its rightful place and wield technology's wonders to raise health care's quality...

(APPLAUSE)

... and lower its costs.」

の箇所である。もっともその直前に「We will build the roads and bridges, the electric grids and digital lines that feed our commerce and bind us together.」とあったので、道路や橋を建設するところに反応したのかも知れないが、演説の中にscience、科学がこのような形で現れたのは以外だった。朝日新聞上の邦訳では「科学を本来の姿に再建し、技術の驚異的な力を使って、医療の質を高め、コストを下げる」となっている。

「科学を本来の姿に再建」とはどういうことなんだろう。これは科学の現状に対する痛烈な批判ではないのか。オバマさんには今の(アメリカにおける?)科学の現状が本来の姿ではないと映っているのである。では科学のどういうところが本来のあるべき姿ではなくなっているのだろう。私は答えを知っているつもりである。

私は大学人、とくに生命科学研究者は特許申請に超然たれマイケル・クライトン(Michael Crichton)の死去を悼むでも述べたことであるが、いかなる形であれ「ヒトの細胞」を材料にする研究を特許の対象にすべきではないと提言している。科学の研究成果を特許の対象とすることはとどのつまり科学の商業化に手を貸すことになり、特に生命科学領域での特許合戦はひいては医療費の高騰化を招くことにある。この一例に見る科学の商業化が科学の本来の姿でないことは一目瞭然であろう。現状は上記のマイケル・クライトンの言葉を借りると「Universities that once provided a scholarly haven from the world are now commercialized―the haven is gone. Scientists who once felt a humanitarian calling have become businessmen concerned with profit and loss.」なのである。その意味で私は「科学を本来の姿に再建」を「科学の商業化」に対するアンチテーゼと受け取ったのである。政治活動資金を大企業に依存する必要のないオバマさんに先ず期待することはBayh-Dole法の廃棄である。クライトンによるとBayh-Dole Actというのは大学の研究者が、たとえ税金で研究を行ったとしても、その発見を自分の利益のために売り渡すことを認めたもので、1980年に議会を通っている。

それにしてもオバマさん、あの長い演説をぜんぶ頭の中に入れていたのだろうか。ビデオを注意深く(意地悪く?)見ていたつもりだが、どこかに草稿を用意していてそれに目をやるような素振りは見えなかった。それだけでも格好よかった。