日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

ぐるっぽユーモアの「ウインザーの陽気な女房たち」あれこれ

2007-11-27 21:49:52 | 音楽・美術
真っ暗になった会場にスポットライトが点じられて、指揮者・岡崎よしこさんとピアニスト・加藤英雄さんが登場、いよいよ歳末(?)恒例ぐるっぽユーモア風オペラの始まりである。加藤英雄さんの健在を誇示する序曲に続いて幕が上がる。舞台は兵庫県芸文センターの中ホールならぬウインザーの街角である。

楽しみにしている「ぐるっぽユーモア」の今年(11月25日、昼の部)の演目は、オペラ好きにも馴染みの薄い「ウインザーの陽気な女房たち」であった。3年前の平成16年12月にも演じられたが、私はなにか所用で行けなかったので今回が初めて。原作であるシェークスピア劇の舞台も観たことがないのでまったくの初体験でる。

なにがなんでそういうことになったのか、主人公の老騎士ファルスタッフが同じ文面の恋文をフルート夫人とライヒ夫人に送り届ける。謄写版ラブレターをばらまいた獅子文六の「大番」の主人公、丑之助の先駆者である。それと知った二人はこの侮辱への仕返しをたくらむ。これにフルート夫人の嫉妬深いご亭主や、またライヒ夫妻の娘アンナとの結婚を望む貴族のシュペアリヒとその恋敵、医師のカイユス、そのアンナが慕うフェントンと登場人物が入り乱れて物語が進み、とどのつまりファルスタッフは懲らしめられ、アンナとフェントンは結ばれて大団円、ということになる。

フルート夫人とライヒ夫人のやりとりが始まった。昨年の「魔笛」から1年経っているはずなのに時間の隔たりを感じない。一年前の続きのような感覚ではやくも「ぐるっぽユーモア」の世界に連れ込まれた。元ガーター亭女将役の語りがなかなかのもの、パッと現れスーッと消える演出もよくて、歌わない「狂言廻し」役が舞台の流れにメリハリを与えていた。舞台がどんどん進んでいく。出演者のお芝居もなかなかのもの、動きの自然なのがいい。もちろん歌の方も二重唱、三重唱、四重唱・・・、と重唱にも安定感があり、さらに合唱に深みがあるのがよかった。気のせいか毎年出演者が芸達者になっていっているようだ。去年はあの役をやっていた人、などと小声で言いあうのも楽しい。

今回もピアノでフル・オーケストラの代わりをやってのける加藤英雄さんのパワーには圧倒された。ピアノにキーボードを取り混ぜての演奏が音楽の幅を広げる。CDを流しているのかな、と思ったら、どうも加藤さんのキーボードのようだった。ただ最初の女声二重唱の時だったか、ピアノが強すぎて女声の響きは聞き取れたものの、言葉がほとんど消されていたのが気になった。しかしこれは演奏者ではなく音量調整の問題なのであろう。

舞台作りもなかなかのもので、手作りといわれる衣裳もパリッとしていて、ちゃちさ加減の片鱗もない立派なものだった。ただファルスタッフがぶら下げもっている袋に「$」と大きく書かれていたので、イギリスでは「£」ではなかったのかな、と余計なことを考えたりした。目を引いたのが大道具・小道具を最小限に抑えた舞台背景でる。背景幕に描かれたウインザーの街角にフルート邸のサロン、そしてウインザーの森など、臨場感を醸し出していた。それに暗転で行われる舞台転換もなかなか手際で、劇が実にスムースに流れた。このように神経の行き届いた舞台作りが素人集団の手によるとは掛け値なしに大したものである。

ところが、である。終わってみると舞台との間にはある距離感が残っていた。私の知っているメロディーが一つもなかったことが原因なのである。最後の方での合唱に、なんだか聞いたことがあるような旋律が少し流れたような気がしたがそれだけ止まりだった。オペラを観る大きな楽しみの一つは好きな歌の場面になると、声には出さなくても頭の中で一緒に歌うことがある。ストーリーも分かっていて自分もその中に入り込み、舞台との一体感を味わう、そこにオペラ鑑賞の醍醐味がある。一体感が生まれないと登場人物がいかに卓越した演技を見せたとしても舞台は「よそごと」で終わってしまう。「ウインザーの陽気な女房たち」という出し物が私には高踏的だったのである。

実はわが家のダイニングの壁にミラノ・スカラ座のショップで買ったポスターが掲げられている。これはVerdiの「Falstaff」初演時のものでもちろんそのコピーである。これも「ウインザーの陽気な女房たち」が原作であるので、私も小田島雄志訳の台本は読んではいた。



ところが「ぐるっぽユーモア」のオペラでは登場人物の名前からして違っている。それもその筈、Otto Nicholai作曲のこのオペラはHermann Salomon Mosenthalの台本にもとづいたもので、その原題「Die lustigen Weiber von Windsor」の示すようにドイツ語で書かれたもの、だから登場人物の名前がシェークスピアのFordとPage氏からFluthとReich氏にそれぞれ変えられたのである。ついでにいうとVerdiの「Falstaff」ではまた筋書きが違っている。これはほんの一例、なまじっかシェークスピアを読んでいると、それとの対応関係が気になってしまうし、そのうえ入り組んだ筋書きの対応関係も気になる。ところがHermann Salomon Mosenthalの台本は誰でもが気軽に近づけるものではない。

今回の公演ではプログラムには筋書きの説明もあり、「狂言廻し」も案内をしたが、やはりオペラは歌と共に展開していくから歌の言葉を聞き取れることが大切になってくる。ところが男声の日本語はかなりよく聞き取れたが女声はそうはいかなかった。声の響きはよくても言葉が分かりにくいから内容にまで入り込んでついていくわけにはいかない。さらにオペラの台詞、歌がどの程度まで原作に忠実なのかも分からない。

シェークスピアの原作は「言葉遊び」を縦横無尽に取り入れている。たとえば医師カイユスはフランス人であるから奇妙な英語を使う。それを小田島雄志氏の軽妙な(?)訳ではたとえばこのような台詞になる。

「あたし、あなたの耳に、一言(ひとこと)言いたいことあります。なにゆえにあなた、あたしを逃げて、くるないのですか?」

演劇の舞台ではこの小田島雄志氏の翻訳で実際に上演されているのである。またファルスタッフの手下がこんなやり取りをしている。

「なるほど、女の胸をまさぐれば、触れなば落ちん、となるわけか」
「男をまさぐれば、触れなばオチンチン、って言いたい気分だな」

芝居ならこのような台詞で私のような(?)観客をどっとわかすことは出来ても、オペラでは難しいだろう。ここまで行かなくても、このような言葉の丁々発止のやり取りについていけるのなら、観客もいつのまにか劇に溶け込んでいけるのではないだろうか。その意味では今の日本にこのオペラを受け入れる素地が出来上がっているとみるのは時期尚早なのではなかろうか。

ついでに述べると、もう一つ引っかかったのが今回の昼夜連続上演である。女性はダブルキャストであるからまだしも、男性はダブルヘッダーである。出演者にとっての負担はどうだったのだろう。それはともかく観客にしても昼の部を観た人は、ひょっとして夜の部がもっとよかったのかも、と余計なことを考えてしまうかも知れない。さらに顔なじみの出演者が今年はどのように役をこなすのだろう、と期待するのも楽しみなのに、女性の場合は昼夜で出演者が分かれるとスケジュールと合わなくなったりしてしまう。再考をお願いしたいものである。

思いつくままにダラダラと書いてきたが、来年は「フィガロの結婚」ということなので、また一緒にメロディーを口ずさめそうである。いずれにせよ代表者の最後の挨拶にもあったように、ぐるっぽユーモアの公演は私の歳時記では一年の終わりなのである。早くも来年に期待すること大である。