たまたま手にして拾い読みを始めた本にこのような話がでてきた。「おなら」である。
《高村光太郎てえ奴は、われわれとちがって貧乏じゃぁなかったが、イロハニホヘトと四十八個つづけて、ひってみせたしね。これは死んだ正岡容の話だから、当てにはならねえが、最後のンてえのは、本物を出してみせたそうだよ、うん。今は鳥の方の先生になっている中西悟堂なんか、君が代を屁で吹いた。秋田雨雀てえ大先生は誰かの出版記念会で、波浮の港をおならでやったてえ伝説を持ってるくらいだしね、みんな研究してたんですね、うん、貧乏で暇だったから、みんな。》
この話、本当なんだろうか。私もほどほどに貧乏でほどほどに暇なものからか、ほどほどに研究してみた。まずガスの産生量である。普通の人が一日におならとして放出するガスは400ccから2000ccとされているが、実際はどうだろうか。自分でちょっと試してみた。
風呂に入って湯船の中でガスを放出するのである。私の調子のよい時はボコボコと音を立てて巨大な泡が湯面に到達し、直径が10cm程の半円球が盛り上がったところでバシャバシャと崩壊する。この半円球の容積を公式から計算するとほぼ250ccとなる。実際は太陽に対する惑星のように、小ぶりの泡も同時に浮上していくから、ガスの総量は少なく見積もっても300ccは確実であろう。1日に10回ぐらい放出するならそれで3000ccになり、ほぼ肺活量に匹敵する。
一方、「君が代」を普通のピアノ伴奏で歌うと1分はかかる。300ccのガスを精妙にコントロールして1分間かけて放出すると、1秒間に5ccである。これで果たして「弁」を振動させられるだろうか。そこで幽かに口笛を鳴らす程度の息をストローで、水中に沈めた計量瓶に吹き込み集めたところ、3秒間に100cc程になった。1秒では30cc強である。ということは1回に放出可能な300ccのおならで「君が代」を演奏するのは物理的に不可能であるといわざるを得ない。
芋を食べ、豆を食べてしっかりガスの生産に励み、お腹が張り痛くなるのを我慢してなんとか2000cc溜めることが出来たとすると、なんとか「君が代」を尻笛で演奏できるかも知れない。しかし一日に一度しか演奏できないのでは技倆の上達が望めないので、人に聞かせられる演奏は無理であろう。となるとせいぜい最初の1、2小節を演奏できればまずよし、としなければならない。それなら「ポッポッポ、鳩ポッポ」の「ポッポッポ」だけでも正しい音程で演奏できるよう努力するのがより現実的であろう。
ところで上の引用はさる大詩人が80歳の時の「聞き書き」からなのである。真偽の定かでない話が盛りだくさん収められているのが嬉しい。
《高村光太郎てえ奴は、われわれとちがって貧乏じゃぁなかったが、イロハニホヘトと四十八個つづけて、ひってみせたしね。これは死んだ正岡容の話だから、当てにはならねえが、最後のンてえのは、本物を出してみせたそうだよ、うん。今は鳥の方の先生になっている中西悟堂なんか、君が代を屁で吹いた。秋田雨雀てえ大先生は誰かの出版記念会で、波浮の港をおならでやったてえ伝説を持ってるくらいだしね、みんな研究してたんですね、うん、貧乏で暇だったから、みんな。》
この話、本当なんだろうか。私もほどほどに貧乏でほどほどに暇なものからか、ほどほどに研究してみた。まずガスの産生量である。普通の人が一日におならとして放出するガスは400ccから2000ccとされているが、実際はどうだろうか。自分でちょっと試してみた。
風呂に入って湯船の中でガスを放出するのである。私の調子のよい時はボコボコと音を立てて巨大な泡が湯面に到達し、直径が10cm程の半円球が盛り上がったところでバシャバシャと崩壊する。この半円球の容積を公式から計算するとほぼ250ccとなる。実際は太陽に対する惑星のように、小ぶりの泡も同時に浮上していくから、ガスの総量は少なく見積もっても300ccは確実であろう。1日に10回ぐらい放出するならそれで3000ccになり、ほぼ肺活量に匹敵する。
一方、「君が代」を普通のピアノ伴奏で歌うと1分はかかる。300ccのガスを精妙にコントロールして1分間かけて放出すると、1秒間に5ccである。これで果たして「弁」を振動させられるだろうか。そこで幽かに口笛を鳴らす程度の息をストローで、水中に沈めた計量瓶に吹き込み集めたところ、3秒間に100cc程になった。1秒では30cc強である。ということは1回に放出可能な300ccのおならで「君が代」を演奏するのは物理的に不可能であるといわざるを得ない。
芋を食べ、豆を食べてしっかりガスの生産に励み、お腹が張り痛くなるのを我慢してなんとか2000cc溜めることが出来たとすると、なんとか「君が代」を尻笛で演奏できるかも知れない。しかし一日に一度しか演奏できないのでは技倆の上達が望めないので、人に聞かせられる演奏は無理であろう。となるとせいぜい最初の1、2小節を演奏できればまずよし、としなければならない。それなら「ポッポッポ、鳩ポッポ」の「ポッポッポ」だけでも正しい音程で演奏できるよう努力するのがより現実的であろう。
ところで上の引用はさる大詩人が80歳の時の「聞き書き」からなのである。真偽の定かでない話が盛りだくさん収められているのが嬉しい。