私は日本が戦争に負けて、墨であちらこちら真っ黒に塗りつぶした教科書で勉強した世代だから、たとえ教科書といえども書かれたものに一歩距離を置いて接する智恵が身についている。とくに歴史教科書はそうである。書かれていることについても、書かれていないことについても、その意図をついつい考えてしまう。
沖縄戦で日本軍が「集団自決」を強制したとの記述が検定の結果、教科書から削除されたことが今社会・政治問題になっているが、なにが問題なのかが元軍国少年の私にはもう一つみえてこない。まず「集団自決」とは何を指すのか、である。
吉田裕著「アジア・太平洋戦争」(岩波新書)には、沖縄戦の一つの特徴として日本軍によって多数の沖縄県民が殺害されたことを取り上げて、それに続いてこのように述べている。
《さらに深刻なのは、「集団自決」である。米軍に圧倒され、戦局の行く末に絶望して自暴自棄となった日本軍将兵は、手榴弾を配るなどして、住民に「皇国臣民」として「自決」することを強要した。彼らは、米軍の残虐性などを強調しながら、住民を「集団自決」の方向に追いやっていったのである。沖縄の地方有力者が協力している場合もあるが、日本軍が関与し、日本軍が主導しなければ、この「集団自決」は、おこりえなかったであろう。》(182-183ページ)
戦時中を体験している私には、集団かどうかはいざ知らず、住民に自決を促した「おせっかい」な軍人がいたとしても不思議とは思わない。しかし上の記述のように、では《住民に「皇国臣民」として「自決」することを強要した》のは《戦局の行く末に絶望して自暴自棄となった日本軍将兵》だけか、と疑問を持つと、すべてがすべてそうではあるまいと思ってしまう。たとえ自暴自棄となっても同じ殺すのなら同胞ではなく敵兵を殺そうと考える兵士もいただろうし、愛する同胞を敵の残虐な手にかけるよりは自らの手で、と考えた軍人がいたかも知れない。住民がたとえ「集団自決」に追いやられたとしても、追いやったとされる日本軍将兵が十把一絡げに「自暴自棄」とされることに、生き残った将兵から異論が出るような気がする。それよりなにより、沖縄住民にとって自分たちが自決する場合もありうると云うことが、『日本軍将兵により強制』されて始めて意識に上ってきたのだろうか。私はここに違和感を覚える。
「南京事件」とか「従軍慰安婦問題」となると外国が絡んでくるが、この「集団自決」問題は国内でのことである。福田首相が「事実関係を調査することは、必要に応じてやることはあると思う。文部科学省でもって適切に対応していくことが大事だ」と語っているが、私も同意する。遅まきながらでも今回問題が顕在化したのを機に、徹底的な調査研究をぜひ行い、歴史検証の一つのモデルを作り上げて欲しいものである。
私の朝鮮時代、戦地の兵隊さんも銃後のわれら少国民も一丸となって聖戦貫徹に邁進するのだと国民学校で教育を受けた。いざ敵兵と相見えたときはと、木銃で刺突の訓練を国民学校四年生で受けた。玉砕と言う言葉は新聞・ラジオを通してすでに知っていたし、校長先生からもいざとなればわれら少国民もと戦う覚悟を叩き込まれていたのである。「生きて虜囚の辱めを受けず」は軍人のみならず、少国民の心得でもあった。
そのような教育を受けた『元軍国少年』が、1945年の朝鮮半島で北からはソ連軍、南からアメリカ軍に攻め立てられ、洞穴に日本軍と共に立ちこもりいよいよ最後を迎えていたら、軍人からどのような指示があっても疑うことなくそれに従ったと思う。少国民にとって玉砕であれ自決であれ傍から強制されることではなく自らの選択であった。
このように考えると、上の引用文に違和感を覚えるのである。少国民が自決するのは定められた運命を従容として受け入れてのことであって、《戦局の行く末に絶望して自暴自棄となった日本軍将兵》に強制されたと後世に受け取られてはおのれの名誉が汚されるというものだ。自決用の手榴弾は兵士から与えられないと、皇国の少国民がまさか盗むわけにはいかないではないか。手榴弾を渡されたことイコール自決の強制ではない。少国民にとっては玉砕であれ自決であれ、それは天皇陛下の名の下になされた教育・訓練によりすでに刷り込まれており、それが働き始める切っ掛けが将兵により与えられたとすると話は通じる。
この少国民とその当時の大人とは戦争に対する意識が違っていたのだろうか。沖縄の生き残った大人にとっては「集団自決」が日本軍将兵により『強制』されたという意識だったとすると、本気で玉砕か自決かを考えていた少国民としては肩透かしを食らわされたようなものだ。やっぱり大人の方が大人だったのだろうか。それとも、私は沖縄を国内として見ているのだが、沖縄の人にとってはその独自の歴史から朝鮮や台湾の人と同じように、日本は沖縄にとっても侵略者だという意識でもあったのだろうか。もしそうだとすると少国民とは異なる認識だとしても不思議ではなくなる。吉田氏の《沖縄は、日本本土から差別され続けてきた長い歴史を持っている。本土出身の日本軍将兵の沖縄に対する優越感や、侮蔑感がこうした残虐行為の引き金になった。》(182ページ)という記述が気になるところである。
「集団自決」の事実関係はこれからの解明を期待するとして、「集団自決」のことを教科書に書いたり削除したり、その意図はななんだろう。
「集団自決」を書く方の意図を考えてみる。一般論として戦争の悲劇を強調したいのであれば、サイパン島でのバンザイクリフでの投身自殺も同様に取り上げたらよい。ここでは婦女子が日本兵ともども米軍による投降勧告をも振り切って海に飛び込んだわけであるから、少国民の頭の中にすんなりと入る話である。戦時中国民はこのような教育を受けていた、という歴史的事実を伝えるのならピッタリの材料である。
サイパン島と沖縄で距離が離れている分、住民意識がそれほど大きく違っていたのだろうか。沖縄の人は反骨精神に富んでいて、「生きて虜囚の辱めを受けず」なんて鼻先で嗤っていたのだろうか。そうでないと「自決を強要された」という発想がどこから出て来るのか元軍国少年の私には想像がつかない。この辺りのことが分からないからこれ以上云いようがない。
それにしてもこの教科書検定問題で見せる福田内閣の腰の低いこと。慇懃無礼に教育への政治介入を一挙に計りそうな所に危惧の念を抱く。とくに渡海紀三朗文部科学相の商人とも見紛う腰の低さには驚嘆した。あの問題を起こした相撲協会の北の湖理事長の前に深々と頭を下げている映像に人物が入れ違ったかと私は一瞬錯覚を覚えたぐらいである。ここまで頭を低くできると、どんな難しい問題でも頭の上を通り抜けていくとでも思っているのだろうか。この教科書検定問題で早々と馬脚をあらわしていただきたいものである。
沖縄戦で日本軍が「集団自決」を強制したとの記述が検定の結果、教科書から削除されたことが今社会・政治問題になっているが、なにが問題なのかが元軍国少年の私にはもう一つみえてこない。まず「集団自決」とは何を指すのか、である。
吉田裕著「アジア・太平洋戦争」(岩波新書)には、沖縄戦の一つの特徴として日本軍によって多数の沖縄県民が殺害されたことを取り上げて、それに続いてこのように述べている。
《さらに深刻なのは、「集団自決」である。米軍に圧倒され、戦局の行く末に絶望して自暴自棄となった日本軍将兵は、手榴弾を配るなどして、住民に「皇国臣民」として「自決」することを強要した。彼らは、米軍の残虐性などを強調しながら、住民を「集団自決」の方向に追いやっていったのである。沖縄の地方有力者が協力している場合もあるが、日本軍が関与し、日本軍が主導しなければ、この「集団自決」は、おこりえなかったであろう。》(182-183ページ)
戦時中を体験している私には、集団かどうかはいざ知らず、住民に自決を促した「おせっかい」な軍人がいたとしても不思議とは思わない。しかし上の記述のように、では《住民に「皇国臣民」として「自決」することを強要した》のは《戦局の行く末に絶望して自暴自棄となった日本軍将兵》だけか、と疑問を持つと、すべてがすべてそうではあるまいと思ってしまう。たとえ自暴自棄となっても同じ殺すのなら同胞ではなく敵兵を殺そうと考える兵士もいただろうし、愛する同胞を敵の残虐な手にかけるよりは自らの手で、と考えた軍人がいたかも知れない。住民がたとえ「集団自決」に追いやられたとしても、追いやったとされる日本軍将兵が十把一絡げに「自暴自棄」とされることに、生き残った将兵から異論が出るような気がする。それよりなにより、沖縄住民にとって自分たちが自決する場合もありうると云うことが、『日本軍将兵により強制』されて始めて意識に上ってきたのだろうか。私はここに違和感を覚える。
「南京事件」とか「従軍慰安婦問題」となると外国が絡んでくるが、この「集団自決」問題は国内でのことである。福田首相が「事実関係を調査することは、必要に応じてやることはあると思う。文部科学省でもって適切に対応していくことが大事だ」と語っているが、私も同意する。遅まきながらでも今回問題が顕在化したのを機に、徹底的な調査研究をぜひ行い、歴史検証の一つのモデルを作り上げて欲しいものである。
私の朝鮮時代、戦地の兵隊さんも銃後のわれら少国民も一丸となって聖戦貫徹に邁進するのだと国民学校で教育を受けた。いざ敵兵と相見えたときはと、木銃で刺突の訓練を国民学校四年生で受けた。玉砕と言う言葉は新聞・ラジオを通してすでに知っていたし、校長先生からもいざとなればわれら少国民もと戦う覚悟を叩き込まれていたのである。「生きて虜囚の辱めを受けず」は軍人のみならず、少国民の心得でもあった。
そのような教育を受けた『元軍国少年』が、1945年の朝鮮半島で北からはソ連軍、南からアメリカ軍に攻め立てられ、洞穴に日本軍と共に立ちこもりいよいよ最後を迎えていたら、軍人からどのような指示があっても疑うことなくそれに従ったと思う。少国民にとって玉砕であれ自決であれ傍から強制されることではなく自らの選択であった。
このように考えると、上の引用文に違和感を覚えるのである。少国民が自決するのは定められた運命を従容として受け入れてのことであって、《戦局の行く末に絶望して自暴自棄となった日本軍将兵》に強制されたと後世に受け取られてはおのれの名誉が汚されるというものだ。自決用の手榴弾は兵士から与えられないと、皇国の少国民がまさか盗むわけにはいかないではないか。手榴弾を渡されたことイコール自決の強制ではない。少国民にとっては玉砕であれ自決であれ、それは天皇陛下の名の下になされた教育・訓練によりすでに刷り込まれており、それが働き始める切っ掛けが将兵により与えられたとすると話は通じる。
この少国民とその当時の大人とは戦争に対する意識が違っていたのだろうか。沖縄の生き残った大人にとっては「集団自決」が日本軍将兵により『強制』されたという意識だったとすると、本気で玉砕か自決かを考えていた少国民としては肩透かしを食らわされたようなものだ。やっぱり大人の方が大人だったのだろうか。それとも、私は沖縄を国内として見ているのだが、沖縄の人にとってはその独自の歴史から朝鮮や台湾の人と同じように、日本は沖縄にとっても侵略者だという意識でもあったのだろうか。もしそうだとすると少国民とは異なる認識だとしても不思議ではなくなる。吉田氏の《沖縄は、日本本土から差別され続けてきた長い歴史を持っている。本土出身の日本軍将兵の沖縄に対する優越感や、侮蔑感がこうした残虐行為の引き金になった。》(182ページ)という記述が気になるところである。
「集団自決」の事実関係はこれからの解明を期待するとして、「集団自決」のことを教科書に書いたり削除したり、その意図はななんだろう。
「集団自決」を書く方の意図を考えてみる。一般論として戦争の悲劇を強調したいのであれば、サイパン島でのバンザイクリフでの投身自殺も同様に取り上げたらよい。ここでは婦女子が日本兵ともども米軍による投降勧告をも振り切って海に飛び込んだわけであるから、少国民の頭の中にすんなりと入る話である。戦時中国民はこのような教育を受けていた、という歴史的事実を伝えるのならピッタリの材料である。
サイパン島と沖縄で距離が離れている分、住民意識がそれほど大きく違っていたのだろうか。沖縄の人は反骨精神に富んでいて、「生きて虜囚の辱めを受けず」なんて鼻先で嗤っていたのだろうか。そうでないと「自決を強要された」という発想がどこから出て来るのか元軍国少年の私には想像がつかない。この辺りのことが分からないからこれ以上云いようがない。
それにしてもこの教科書検定問題で見せる福田内閣の腰の低いこと。慇懃無礼に教育への政治介入を一挙に計りそうな所に危惧の念を抱く。とくに渡海紀三朗文部科学相の商人とも見紛う腰の低さには驚嘆した。あの問題を起こした相撲協会の北の湖理事長の前に深々と頭を下げている映像に人物が入れ違ったかと私は一瞬錯覚を覚えたぐらいである。ここまで頭を低くできると、どんな難しい問題でも頭の上を通り抜けていくとでも思っているのだろうか。この教科書検定問題で早々と馬脚をあらわしていただきたいものである。