木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

64回目のヒロシマ、ナガサキ

2009-08-06 18:48:07 | インポート
 64年目のヒロシマ、ナガサキの季節が巡ってきた。
 核兵器の灼熱の炎の中で瞬時にして抹殺された人々、
苦しんで後に息絶えた人々、いつまでも後遺症で苦しん
でいる人々など、一瞬の閃光でいつまでも消えない悲劇
と惨状を忘れないように努めなければならない。

 戦争を知らない世代が大半を占めるようになり、戦争
を体験した人々が世を去り、時代の証言も、時代の記憶
も世の中から風化させないための平和への継続した試み
が必要である。
 また64年という歳月が経過し、これまでの時代では
明らかになってこなかった、公にされてこなかった背景
や事実も次第に歴史的公表の視野に入ってきつつあると
言える。
 何故、原始爆弾が日本に投下されたのか。
 何故、日中戦争が勃発したのか。
 何故、太平洋戦争になったのか。
 その時代の地球上の、世界の価値観と皮膚感覚はどの
ような視野でどのような主題の中で動いていたのか。

 歴史的視野で、当時の機敏を、歴史的事実を直視して
人類史としてこれを公表していく試みこそが真に惨禍を
教訓として、二度と悲劇を生まないために必要な後世に
生きる人々の務めではなかろうか。

 気がつけば、中華人民共和国が核を所有している。
 北朝鮮が核を所有している。
 ロシアも核を所有している。
 米国も核を所有している。
 フランスも核を所有している。
 中東やその他の国々にも核の所有国が広がっている。
 そういう環の中で、日本がいかにして国際紛争に巻き
込まれないようにし、かつ国際平和に貢献をするのか、
英知が問われていく。

 核の惨状が嘘のように、現代的な都市として復興して
装いは今日の姿を佇ませている広島市と長崎市ではある
が、一人でも多くの諸外国の人々が広島と長崎を訪れ、
街の中や伝承、口伝の中からヒロシマとナガサキを感じ
て欲しい。
 資料館やかすかに残る核兵器の痕跡に触れる、そこか
ら何事も始まるように思える。

コメント
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