木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

社会保障の充実こそ不可避

2013-10-15 21:05:28 | インポート
 私達はどのような枠組みの中で生きているのか、つまりどのよう
な枠組みの中にいるのかという視点で眺めてみたい。
 大枠で言えば我が国の予算は90兆円である。
 しかしこれは一般会計に過ぎない。
 国会で国会議員が審議し可決、否決して審議する対象はこの
90兆円分でしかない。
 これとは別に国会議員も審議することができない別枠がある。
 それが特別会計であり、全体像は明らかにされていない。どういう
項目のどのような予算がいくらあるのか、はそれぞれの管轄の省庁
が握っていて他の省庁からは分からない。漠然と特別会計は200兆
円以上はあるとの見解も聞こえるが、全体像が浮かび上がる事はな
い。要は国会議員でさへ触れる事のできない、国会審議の対象外の
会計が200兆円以上はあるという事である。それが何に使われている
のか、国会議員ですら知らされない。ましてや国民には尚のこと知らさ
れない。
 国会議員ですら一般会計の90兆円の土俵の上で踊らされていると
いう事である。

 よく財源がないと聞かされる。
 財政が厳しいと聞かされる。
 嘘である。
 2011年から今日までの僅か2年少々で、明るみになっただけでも
我が国はアメリカに180兆円を献上している。散々搾り取られた後に
国民に対しては財源がない、財政が悪化していると喧伝しているが本当
はどうなのか。この2年間でアメリカに献上した180兆円は国会議員に
すら知らされていない。誰がどうやって180兆円の献上を決定しているの
か。どこで誰が決めているのか、いつの間に決まっているのか、国民には
知らされない。ただ明確なのは総理大臣が恫喝、脅迫されているという
事である。

 国民の社会資本、社会保障も本当ならばもっと充実している筈である
事がよく分かる。社会保障が充実さへすれば国民は安心して老後を過ご
す事ができ、ひいてはそれがGDPを向上させその事で更に国家が潤い、
それがまた社会資本や世の中の充実に充てられ、ますます国民が恩恵
を受け、そのことが更にGDPを改善させるという好循環を生む。本来なら
ば生まれていたこの好循環も、2年間で180兆円もアメリカに流れていて
は国民が疲弊して当然である。
 これまでに一体どれだけの累積額がアメリカやその他の国々に献上も
しくは流出してきたのだろうか。巨万の富が流出していたであろう事は容易
に想像できる。
 多くの国民の老後を支える社会保障の一つ、年金について考えてみよう。
 会社勤めやその他の雇用されている場合を除いた人々は国民年金である。
 そして多くの国民は老後に国民年金だけが収入源であるという現実にある。
 その国民年金は満額で年間77万8500円であるから毎月に換算すれば
6万4875円である。
 国民年金が老後の生命線の人々にとってはいかに老後を生きていく事が
困難かが分かるであろう。官僚や制度設計をする者がよく
「国民年金だけでは老後を生きていく事は困難です。」
と能面のような表情で淡々と述べていることがあるが、私はいつもこれを聞く
度に何故そこまで分かっているのであれば国民年金自体を老後を慎ましくも
生きていく事ができるような現実的な内容に作り直さないのか、と不思議でな
らない。

 制度設計が大変だ、財源がない、とよく聞かされる。
 しかしアメリカにこの2年間少々だけで180兆円もの献上をしているのであ
るから財源がないと言うのは嘘になる。アメリカに献上したこの180兆円の仮
に1割でも18兆円になる。もしもこの18兆円を国民の年金のために使うならば
国民年金はもっと現実的で充実した内容に生まれ変わる。
 アメリカに献上する前に先ずは日本国民を疲弊させないようにする事が筋で
はないか。
 毎月6万4875円で生活しようと思えばどのようなものか。光熱費や最低限の
支払いで大半は消えてしまう。ましてや借家住まいの人はよほど質素な借家に
住んだとしても家賃が最低でも3万円から4万円近くはかかるために、これだけ
でもう年金の全てが消えてしまう。光熱費と家賃を引いたらもう食費が無い。
 国民年金受給者の可処分額を、現実的には不可能であるが、仮に3万円と設
定したとして1日当たり約1000円にしかならない。1日を1000円で過ごす、や
りくりするという事は余程質素な内容で3食を食べて足りるかどうかという水準で
ある。少し自動販売機で飲料でも購入したり電車の移動で切符でも購入すれば
1000円以内に収める事は不可能になる。

 過日、私は国民年金が生命線の人々がどれほど大変なのかを体感する為に
1日を1000円だけで過ごす実験を自分自身に行った。財布の中に1000円しか
入れずに1日を過ごしたのである。
 すると食事を削るか移動を削るか飲み物を削るか他の何かを削るかという選択
に迫られた。この中の何かを取れば何かを削らなければならない。1000円で1
日を過ごすという水準とはこういうものである。
 官僚や政治家は是非、1000円しか財布に入れないで1日を過ごすという事を
試して欲しい。そうすれば国民年金で生活している人々がいかに大変な現実であ
るかが肌身感覚で理解できるだろう。
 これまで国民年金の現実を知りながら何も手を付けなかった官僚の不作為と
人々の現実に目を向けようとしなかった政治家の鈍感さとが重なって多くの人々
が国民年金の悲惨な現実に苦しんでいるのである。
 国家の富はアメリカに献上するのではなく、先ず日本国民に還元する事が人の
道である。
 自助努力で貯金しなさい、それで老後を食いつないでいきなさい、というのでは
余りにも情がない。日本国に生まれた日本国民は国家が社会保障や社会資本を
充実させて老後は慎ましくも年金で生きていける、という世の中にしなければならな
い。それ以上の優雅な生活や贅沢な生活をしたいのであればしっかり働いて富を
築く、それは大いに結構であるという世の中にしなければならない。
 少なくとも国民年金を厚生年金並みの水準や内容に作り直す必要がある。
 厚生年金の場合は例えば会社員は毎月の保険料の半分を給与から予め差し引
かれる形で徴収されている。そして残りの半分の保険料は会社側つまり雇用主が
負担している。労使折半である。負担感の現実として会社員が差し引かれている
厚生年金の保険料の平均額は2万円少々である。会社側の雇用主も同様である。
従って保険料全体としては労使で4万円から5万円という水準である。
 国民年金も給付額を厚生年金並みの水準にしなければならず、その為には厚生
年金が労使で折半であるように、国民と国家とで折半する方法を導入してはいかが
であろうか。今の国民年金保険料よりは国民が負担する毎月の保険料は増える事
になるが現実的で適切な水準の内容に改めるためには不可避である。従ってこの
国民と国家とで折半するという方法での新たな新・国民年金ならば国民が負担する
毎月の保険料は2万円から2万5000円という水準になる。老後の受給額が現実的
な水準で厚生年金並みに保障されるとなれば、国民も納得するだろう。
 毎月当たりの年金受給額は厚生年金並みの18万円程にしなければならない。
 必ずこの新・国民年金案を提案すれば財源がない、という理屈を盾に官僚がいつも
のように不作為を働くであろう。
 しかしアメリカにこの2年間で180兆円も献上している事実を見れば、財源がない
という理屈だけはもう使用してはならない。
 物理的に不可能な案ではない筈である。
 官僚の不作為と政治家の鈍感ささへ除去できれば、そして心の底から私達の世の
中を充実させなければならないと欲するならば着手しなければならない領域である。
 財源はある。
 国民に還元されていないだけなのである。
 GDPを健全にすれば自ずと財源は出来てくる。
 消費税増税というまやかしに誘導されている場合ではない。

コメント
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