木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

かみあわない一幕

2004-09-17 10:04:56 | インポート
 営業をしているお方なら一度や二度はかみ合わぬ展開
や顧客を失う、そういう苦い時間を過ごしたことがおあ
りではないだろうか。

 例えば月末が近くなると、営業マンは今月の成績に影
響するために是非是非、今月中に契約して欲しいと顧客
に迫ってしまう。客の立場からすれば、別に嫌ではない
がしかし早急に購入しようとも思っていない場合もある。
しかしすぐにすぐにと迫られるために気分を害して契約
破棄するということもよくある話である。
 営業マンは泣きを見る。

 例えば保険について。
 和歌山の毒入りカレー事件は保険金詐欺目的の大事件
であった。ために保険業界は事件以降、とても契約につ
いて慎重になった。どんなに身軽な商品でも、顧客の氏名
住所、年齢、性別など厳しく記載を求めるようになった。
 しかし客の立場からすれば、個人情報の扱いに敏感に
なっているご時世なので保険会社を不審に思うこともある。
 どちらもがお互いに慎重になり過ぎた結果、話がかみあ
わないという典型的な事例である。

 時としてこういうことがある。
 それが世間というものかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

間違いではない

2004-09-17 09:53:05 | インポート
 政治家としてきちんと見解を述べなければならない事
の一つに、池田小学校の凄惨な事件がある。
 今回、異例とも言える早さで刑が執行されたがこの件
は表現に難しさを感じるものの間違いではない。

 あの事件は殺人事件というものではない。
 テロであった。
 まだ責任能力も備わっていない児童ばかりを意図的に
狙った無差別大量殺人であり、まさにテロである。
 視点を変えれば、今日我々が認識しているテロよりも
もっと悪質なテロであったとも言える。

 理屈で考えれば、被告の責任能力や判断力が云々という
論理も生じるが、被害者の視点や立場そして人権や権利こそ
が最も優先されて当然である。
 私達が見落としている視点は、被告の責任能力云々ばかり
に論点が移り、責任能力の備わっていない小さな子供達が
殺戮されてしまった、という絶対的で究極の事実を忘れて
しまっていることである。

 今日の風潮は被害者と加害者とのどちらにもいい顔をしよう
とする姿勢が目立ち、結局は物事の本質を失っているのでは
ないかと感じざるを得ない局面が多々見られる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする