「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「風に舞う落葉」

2010-12-02 21:21:22 | 和歌
 
 晩秋は落葉の季節だ。

 近くの公園の欅は、風と共に一斉に落葉の乱舞がはじまり、見事な風物詩を醸して愉しませてくれる。散り敷いた落葉は、公園の芝生も歩道も埋め尽くして、それがまた風に吹かれて地上の乱舞を演じることとなる。「うつろ庵」のお隣の白木蓮も落葉の季節だが、公園の欅とはまた異なった情景を演出している。

 三月下旬には毎年見事な花を咲かせて、春爛漫のお裾わけを頂戴しているが、かつて 「白木蓮」とのタイトルで、その晴れ姿をご紹介した。
 木蓮の花時は春一番の嵐の季節でもあるので、木蓮の花びらはなす術もなく散り敷いて、これまた詩情をくすぐられて、「散り敷く木蓮」 にその情景をご紹介した。

 木蓮は落葉の季節を迎えて、再び話題を提供して呉れた。木蓮の葉はかなり大き目で、大人の掌ほどの大きさだ。秋風に吹かれれば高い梢から舞落ちて、向う三軒両隣の範囲を超えて、ご近所に散り敷くこととなる。枯れ葉は三次元に姿を変形しているので、風を孕みやすのであろう、閑静な住宅地のアサファルトの路上を、微かな乾燥した葉音を
伴って何処までも乱舞を続けることとなる。

 木蓮の落葉の色は茶鼠色で、アサファルト道路に散り敷いた情景は見栄えもしないので、写真は掲載しないが、風に舞う葉音は何故か悲しげで、心に沁みいる調べであった。

 風に舞う落葉を追いかけて道路掃除をするのは、凡人にとっては難儀で、落葉を放置するお隣の感性に聊か抵抗を感じていたが、幽かな葉音に別次元の感性を訓えられた。枯れ葉の風に舞う葉音に耳を澄ませれば、己の次元を超えて、より深いものを汲みとる術があることを・・・。


           
            舞落ちる欅の枯れ葉は行く秋の

            せつなき思いを誘いてやまずも


            散り敷ける落葉は再び乱舞して

            暮れ行く秋をなおも追うらし


            木蓮の落葉はかそけけき葉音たてて

            路上を舞ふかな耳を澄ませと







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