「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「台湾連翹(たいわんれんぎょう)の実」

2010-12-20 20:18:02 | 和歌

 自転車を走らせていたら、道路脇の「台湾連翹(たいわんれんぎょう)」に黄色い実がなっていた。用事を済ませてから、カメラを持って取って返した。 実の大きさはちょうど大豆ほどの大きさだが、あたかもレモンを小さくしたような形の実であった。





 「うつろ庵」の台湾連翹もご近所の花も、何れも実を付けないので、うつけ者の虚庵居士は、台湾連翹は花を楽しむ庭木で、実など生らないものとばかり「早とちり」していた。 「管見」という言葉がある。
ストローのような細い管から覗いて見える範囲はごく狭いので、広い範囲を見渡した知見とは雲泥の差が生ずる。物事は広く見よ、注意せよとの箴言だ。虚庵居士の狭い生活の範囲で見たものだけが総てだと早とちりすると、まさしく管見そのものだ。台湾連翹からたしなめられ、無言の、貴重な訓えを頂いた。

 
 道行く人は、爺さんが台湾連翹の実を覗き込んで、而もカメラを取り出して写している姿を見れば、怪訝に思ったであろう。せいぜい好意的に見ても「もの好きな爺さんだ」と嘲笑のまなこで見たに違いあるまい。

 「うつろ庵」の台湾連翹もお隣さんのも、花色がもっと濃い瑠璃色で、花びらは白い縁取りがある。台湾連翹は様々な種類があって、花の色も白・ピンク・瑠璃色・瑠璃色白縁などと多様だ。葉の色も形も様々だ。ことほど左様に、皆さんに好まれ、愛されている証であろうが、実のなる木とならない木の種類もあるのかもしれない。

 それにしても、実の数が少ないのはどうしたことであろうか。食べ物が少ないこの時節では小鳥が啄んだのだろうか。


              昼下がり散歩の道を自転車で

              走れば小粒の黄実ぞ眼に入る


              しだれ咲く名残の花の連翹は

              手をつなぐらし黄実の小粒と


              春夏と秋をも花を付けにしが

              やがて散るかも黄実を残して