二日続きの春の嵐は、雨を伴って激しく吹き荒んだ。
爛漫と咲き誇っていた白木蓮が気懸りで、吹き荒れる間を縫って外に出たら、ことごとく散り敷いていた。梢に残された無残な花の姿は、看るに忍びない。散り敷いた花びらと言葉を交わし、比較的いたみの少ない「ひとひら」を手に拾い、「うつろ庵」に戻った。
吹き荒ぶ春の嵐に散り敷くも
もののあはれぞ 白き花びら
散り敷けるはなびら踏みそあはれにも
嵐にしだく花のこころを
ひとひらの花びら拾い爛漫と
咲きにしきのうを想ほゆるかも
幾ばくの時も経ずして白妙の
花びら儚く萎えにけるかも
白木蓮も思う存分咲き切ったところに春の嵐に吹かれて、木にしがみついていることが出来なくなったのでしょうね。
散り敷かれた白木蓮の写真を見て、私も以前京都で見た風景を思い出しました。
仕事で外出中にあるお寺の塀沿いの歩道を歩いていましたら、真っ赤なじゅうたんを敷き詰めたように、薄紅色の椿の花がいっぱい落ちているのです。
高い塀越しに張り出した大きな椿の木の枝から落ちたものですが、まだ落ちて間がないらしく、どれを拾い上げてもひとつひとつの花がそのままの形で綺麗に残っています。
思わず持って帰ろうかと思ったのですが、まだ家に帰るまでには何時間もあり、その間に変色してしまうことはわかっていますから、やむなくまた歩道に戻して、その場所を後にしました。
ほんとうに名残惜しいほどの美しさで、未練がましくもう一度振り返らないではいられませんでした。
花の命は短くて・・・・と申しますが、でもまた次の年も次の年も咲きますものね・・・。
それが救いです。
庭の紅梅に小鳥たちが訪れ・・・、情景が目に浮かびます。
藪椿でしょうか花の姿のまま散り敷く、ひっそりとした塀沿いの道にりらん様が佇む姿には、何やら文学的な雰囲気が感じられます。
散り落ちた椿の花を手に取り、尚且つこころが残るのは、「掃かずに留めむ・・・」と漢詩や歌人たちが、余情を楽しむ心と相通じる、素晴らしい心象風景ですね。