禅寺の本堂には、「立一塵」と「無刀痕」の書額が相対して掲げられていた。
双方とも中村不折の書で、書き振りから判断するに同時期に揮毫されたものであろう。奇をてらった作意もなく、目で筆順を辿っていたら、不折翁の泰然自若とした運筆の呼吸が、そのまま虚庵居士の呼吸に再現されて、不折翁と共に筆を執っているかのように思われた。
不折は私財をなげうって碑銘などの秀品を蒐集し、台東区鴬谷の彼の住いが現在は「書道美術館」に衣替えして維持されている。蒐集作品と共に不折の書も展示されているので、機会があれば是非観覧をお勧めする。新宿「中村屋」の看板・ロゴも、信州諏訪の銘酒「真澄」も不折の書であることを付記する。
「立一塵」の禅語は、碧巌録にあった一語を偶々思い出したが、「無刀痕」については思い当たる手がかりも無かった。禅寺を辞した後も、気がかりであったのであれこれと調べてみたが、なかなかこの一語には辿りつけなかった。暫らくして森鴎外の「寒山拾得」は、唐代の天台宗の禅寺での物語であったことを思い出して、寒山拾得をキーワードとして検索してみた。繰り返して検索を続けたところ、拾得録の中の偈の一節に次の句を見つけた。
『靈源湧法泉、斫水無刀痕 。 靈源は法泉に湧き、水を斫るも刀痕なし。』
寒山・拾得は、天台宗国清寺に寄宿していた豊干禅師に師事したが、両僧の余りな奇行や乞食(こつじき)振りが、禅画の格好の材料に使われているが、寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の化身だと言われている。
森鴎外の「寒山拾得」では、両僧に会いに行った台州の主簿(日本の知事相当の高級官吏)が礼を尽くして挨拶すると、二人は「腹の底からこみ上げて来るような笑い声を出したかと思うと、一しょに立ち上がって、厨を駆け出して逃げた。」 案内した寺の高僧は「真蒼な顏をして立ちすくんでいた。」として終わっている。鴎外も見事な公案を提示して締めくくり、読者に解を求めた名作である。
諏訪殿の菩提を弔う禅寺の
書額の公案 如何にや応えむ
奇矯なる禅僧寒山・拾得は
破顔の笑いに何を託すや
もろもろの姿も言葉も多けれど
ただのひとつを如何にや捉えむ
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