散り残った「櫨の木(ハゼノキ)」のたった一枝が、見事な紅葉を見せてくれていた。
赤道の両脇には、かなり大きな石組が連なっているが、その合間にごく小さな「櫨の木(ハゼノキ)」が二本生えていた。勝手な想像ではあるが、小鳥が櫨の木の実を啄んで、その小鳥の置き土産から芽生えたものかもしれない。
12月も半ばだというのに、根元のカタバミの葉はまだ青々として、櫨の木の紅葉には打ってつけの彩りであった。
櫨の木は元来「うるし」の一種だから、子供の頃は「カブレルから触ってはいけません」と父母に注意されたものだ。子供の過敏な肌には「ウルシかぶれ」の炎症を起こしかねないようだ。山野を構わず走り回って「冒険ごっこ」をして遊んだ子供の頃に、「ウルシかぶれ」の酷い目にあったことがあったが、櫨の木によるものか、「ウルシの木」に触ったものかは不明だ。塗り物の「漆」を採取する「ウルシの木」は、葉がもっと丸みを帯びているが、正確に見分けるまでもなく、用心に如くはない。
櫨の木の実は小粒で房になるが、どの様に処理するのかは知らないが、木蝋が抽出される。
木蝋は、和蝋燭の原料となるが、「鬢付け油」
にも使われているようだ。お相撲さんの髷を整える際には、無くてならない油だ。
「櫨の木(ハゼノキ)」のたった一枝の紅葉から、子供の頃の「ウルシかぶれ」や亡き父母のことが偲ばれ、感慨深いものがあった。秋の紅葉は、様々なこと共を連想させ、人を感傷的にさせるもののようだ。
散り残るハゼの木の葉の紅葉に
亡き父母をおもほゆるかも
母の顔のすぐそこにあり幼き日
頬にかぶれのくすりを塗るとて
あの木には触るでなきぞと指し示す
節くれ指と とうちゃんの聲