かなり日時を経たが、郷里・信州の菩提寺で兄夫妻の法要が営まれて、参列した。
ごく近親者のみの法要であったが、曹洞宗の格式高い菩提寺には久方振りの参詣であった。
亡き父が檀家総代として改修した鐘楼を仰ぎ見ながら、本堂に向かった。かつての法要は座布団に座して読経・ご焼香・僧侶の法話などと、長時間に亘り痺れを我慢するのに難儀したが、菩提寺では椅子が準備されていた。椅子の生活に馴れたエセ仏教徒にとっては、有難いご配慮であった。
法要が済んでのち、改めて本堂に掲げられた書額を観賞させて貰った。
筆致から中村不折の書だと判ったが、「立一塵」は稚拙そのものの趣で、布置などは聊かバランスを欠いていたが、禅寺に相応しい書額であった。この書を観ていたら、学生時代の夏休みが思い出された。
この菩提寺と同じ山中に在る尼寺の庵を拝借して、のどかな一夏を過ごしたことがあった。
尼僧たちの極めて真摯な宗教生活に刺激されて、「般若心経」や「碧巌録」のごく一部をカジッタが、その中に「立一塵」の禅語も在った様に思い出された。帰宅して、書棚から碧巌録を取り出して調べたら、第六十一則 「風穴一塵・ふうけついちじん」 に 「立一塵」 の禅語が見つかった。
風穴垂語云、 若立一塵、 家國興盛、 不立一塵、 家國喪亡. (風穴和尚は垂語して云く、若し一塵を上げ得れば家も国も興盛し、一塵を上げ得ざれば家も国も喪亡す。)
「ごく僅かな塵を立てる」ことと、小さな存在の一人の人間の行動とを重ねて、かつての禅僧達の公案修行の一端が偲ばれる言葉だ。また禅僧でもない中村不折が碧巌録に眼を通していたと知り、この書額の前にしばし立ち尽くした。
兄夫妻を偲びて集う諸人の
髪しろたえに老いを告げいて
いずこ迄旅ゆくものかは亡き兄は
笑みて瞼に残りしものを
叱られて蔵にて泣ける幼子の
ボクを義姉(あね)さま胸に抱きぬ
立一塵 不折の書額に学生の
夏甦り来て庵を偲びぬ
禅修行の僧にはあらねど若き日に
目にした一語が甦るとは
お詫び: お恥ずかしいことながら、不折翁の雅号(後に本名)を誤記のまま
気づかずに掲載していました。訂正し、慎んでお詫びします。