鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺やの デジカメ散歩  (京都御苑)

2012-07-25 22:10:59 | 日記
ほな~ 京都御苑をご案内しまひょ。

「京都御苑」とは東京の新宿御苑・皇居外苑と同じように戦後になって
一般に公開された国民の公園の一つなんですよ。

「京都御苑」は東西700m・南北1300mの大きな敷地でその内部に
京都御所・大宮御所・仙洞御所が在ります。

江戸時代にはこれら御所を囲んで200件ぐらいの宮家や公家の
屋敷が並んで居たのが現在の「京都御苑」なんですよ。


(京都御苑の 案内板)


photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド


「清和御門」(せいわごもん)   (京都御苑の東側の入口)


photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド


この門の東側に駐車場があります、京都御苑には「中立売御門」にも駐車場が
在りますがこの「清和御門」の駐車場が一番大きいのでお勧めですかな。

前回のブログで光格天皇が崩御されて皇后を「新清和門院」とお呼びすると
ご位牌の画像を載せましたけど。

その院号の元になったのがこの「清和御門」なんですよ。

歴代の皇后陛下や中宮さまは天皇が崩御されると仏門に入られ御所の門の名前を付け
院号でお呼びするのが、ならわしのようですな。


(京都御苑から東山の如意ケ嶽を望む)


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送り火で有名な「大文字」の山なんですが左側の森が邪魔をしていますな。

奥の方の門はさきほど潜ってきた「清和御門」が小さく写ってますね。


(大内保存のご沙汰書)  (明治10年 宮内省→京都府へ)


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ご存じの通り明治2年に明治天皇は東京へ遷都され、公家達もほとんどが
この京都御苑にあった屋敷を捨てて東京へ引っ越ししてしまいました。

明治10年に天皇は久しぶりに京都へ戻られ京都御所や公家屋敷跡が荒廃し
見る影もない状態になっているのをを哀しまれ
京都御所と周辺を保存修復するように命令書を作らせたそうです。

天皇はお手許金から4000円(現在の約1億6千万円)を下賜されたとのこと。

京都府は屋敷跡を買い取り、付近を公園にして明治19年にほぼ完成したのが
現在の「京都御苑」のルーツになるそうです。


(京都御苑の あんない図)


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京都御苑は戦前も一般市民が通り抜ける事は出来たそうですが
京都御所は従6位か勲6等以上の身分がないと許可されなかったとのこと。

我々の庶民は現在のように春・夏の一般公開や宮内庁に申し込んで
希望する日に、京都御所を見学することは許されなかったようですね。

敗戦後アメリカ軍が「京都御苑」に住宅を造るという申請があったそうですが
国民感情が許さないと京都府は京都植物園に敷地を提供したそうですな。


(京都御所 西側の築地)


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手前の桧皮葺の屋根を持つのが「宣秋門」で唐門とも呼ばれ、摂関家や
親王殿下・門跡や公家達が出入りした門だそうです。

その先に瓦葺の屋根が見える門が「清所門」で御台所門とも呼ばれ
皇后を始め皇子・皇女や高級女官が使う勝手口の門でした。

現在、京都御所を見学する時は、この門から入門し内部を巡った後
この門から退出するように常時開門されていますね。


(元・清水谷家の椋の大木)  (京都御所 西南角にあります)


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「蛤御門」(はまぐりごもん)  (歴史上有名な門ですね)


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1864年(元治元年)の禁門の変と呼ばれる長州藩が京都御所に攻め寄せて
御所を守る薩摩・会津・桑名の藩兵とこの辺りで激戦となりました。

この時は長州勢が破れて多くの死者をだした明治維新前夜の事件ですかな。

この時の鉄砲の弾痕が今も「蛤御門」の梁に残っているんですよ。

明治維新後に東京に「靖国神社」が造られますがこの時に死亡した長州の
藩兵(賊軍?)は靖国神社に祀られたのに会津藩で死亡した藩兵は
後に賊軍になったとの事で祀られなかったそうです。

御所に鉄砲を打ちこんだ者が祀られて、京都御所を守って戦死した会津藩士が
大正時代になるまで祀られなかったのは今となれば不平等なことですよね。


(京都御苑内  枝垂れ桜)


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(京都御苑内  楠の大木)


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(京都御所の正門  建礼門)  (京都御所 南側で唯一の門ですよ)


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前回にも紹介しましたが昔は天皇陛下しか通れなかった格式の高い門でした。

この「建礼門」(けんれいもん)の内側には「承明門」(じょうめいもん)が
在りそれを潜り抜けると大きな庭があります。

その庭の北側にあるのが「紫しん殿」で御所で一番大事な宮殿になります。

「紫しん殿」は天皇が即位する時に使われる大事な建物で、大正天皇も昭和天皇も
ここで即位の大礼をされたんですよ。

だから今でも天皇が座られる高御座(たかみくら)はここに据えられています。

今上天皇が即位された時はこの高御座(たかみくら)は解体して皇居へは
ヘリコプターで移動したそうですよ。

即位の後は、再び京都御所に戻されていますからね。

だから今でも京都御所は天皇の本宅で皇居は仮の住まいとも言えますかな。


(環境庁が展示している江戸時代の品) (公家屋敷跡から出土)


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京都御苑の中で京都御所・大宮御所・仙洞御所は宮内庁の管轄になっています。

これらを除く公園の部分や旧宮家跡などは環境庁の管轄とされているようです。

警察も皇宮警察が通常は警備し京都府警が応援する形を取っていますね。

驚きました!  マンホールの蓋も宮内庁の別注品なんですな。


(宮内庁の マンホールの蓋)


photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド


外へ出ると地下鉄は烏丸線の丸太町が最寄りの駅になりますかな。

京都御苑の西南の角に京都府警の交番所がありますね。

ここは烏丸通と丸太町通りの交差点になりますよ。

じゃ~ ここから地下鉄で戻ることにしますかな。

JR京都駅まで地下鉄に乗れば10分チョイですね。



コメント (24)
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